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音のない雨

2024-03-24 21:39:30 | 

秘罪は内側から羽虫のように自我を食らい尽くすだろう、薄暗がりの路地の中で死後の自分の眼差しを見た週末、雨はかろうじて降らないでいるだけの午後だった、冬の名残でもなく、春の目覚めとも思えない温い気温、内奥の燻りが爆ぜた途端なにもかもが静寂に見えた、誰かがカバーした「雨を見たかい」がホットドッグのキッチンカーから漏れているのが聞こえた、あれはもしかしたらロッド・スチュアートが歌ったものかもしれない、こめかみに銃口の感触、思えばそんな冷たさがいつだって存在理由だった、冷たい鉄の欠片が体内に紛れ込んでいる、一粒残らず刻みつくして取り出したい、それが生きる為なのか死ぬ為なのかは分からない、焦らなくてもいつかは分かる時が来るだろうさ、望むかたちではないかもしれないけれどね、人生も、人間も、宿命も、信念も思うままにかたちを変える、いつだってその誤差を修正しながら地面を這いつくばるのさ、まるで長寿の羽虫だ、出来ることは限られているのに時間は腐るほどある、生きあぐねて飛びもせず、羽を震わせているだけの毎日なんて御免だ、個としての価値を持てないものたちはデモ隊みたいに連なって満足する、ノリだけで生きてきた空っぽ野郎が俺を評価出来る気で居るなんてお笑い草だね、俺は誰かを屠る時に他人の手を借りようなんて思わないぜ、真実は自分ひとりで、いつだって自分ひとりさ、余計な前提の無いところで、血眼になって掴み取るのさ、群れの中に隠れようとするやつらはいつだって牙を剥く振りだけを続けるのみさ、頬を打つ冷たい雫、とうとう、とうとう雨が降り始めた、一瞬のうちに街は冷たい透明の中で溺れていた、自覚の無い溺死体たち、傘の中で幸せを装っているみたいな笑みを浮かべ続けている、積極的な洗脳、そこに居るだけですべてを手に入れていると思わせる鉄壁のシステム、ボーイ、君の存在意義は税金を納めるという一点にしかない、群衆に背を向けるのは俺の癖みたいなものだ、でもその為にすべてを投げ打とうとは思わない、いつか野垂れ死ぬ覚悟だけしておけばいいのさ、大通りの途中でもう一度路地へと紛れ込む、もはや道というよりはビルとビルの間と言った方がいいような場所さ、沢山の室外機、こんなものが本当に必要なのだろうか、生活が快適になればなるほど流行病は癖が悪くなる、どれだけの人間がそのことに気付いているんだろう?本当に浄化された世界で過ごすべきだと言うのなら、もはやエアコンや空気清浄機の完備された部屋から一歩踏み出すことさえ出来ない、幾つもの羽の稼働音と生温い風、どこかの窓から聞こえてくる下らないポップソングを歌う素人たちの歌声、我知らず「雨を見たかい」を口ずさんでいる、上着は濡れてしまったけれど滴るほどじゃない、手で掃えば忘れてしまう程度の雨粒、それは降ったり止んだりしている、踏ん切りのつかない女みたいに、ここから見えているプロパンガスのボンベを銃で撃ち抜いて誰かのせいにしたい、でもたとえ銃を持っていたところで俺は愉快犯にはなれない、俺が撃ち抜きたいものはいつだってたったひとつなのさ、ひとつ外れた狭い道では表通りが隠しているものが臭い続ける、どいつもこいつも本性、本能を抜きにした綺麗ごとを並べるばかりさ、あいつらが見えないところで、室外機やダクトから何を吐き出しているかなんて考えるまでもない、秘罪は内側から羽虫のように自我を食らい尽くすだろう、外皮を美しく塗ることばかり気にしていたら臓腑が腐ることに気が付かない、原因が明かされない死のニュースが増えた、やがて路地は終わる、もう一度表通りに躍り出る時、自分が誰かを狙っているような顔をしていないかと心配になる、執拗にクラクションが鳴らされて小競合いが始まる、ルールの中で程よく悪漢で居ること、真っ当なラインに依存しているからこその振舞、とてつもなく滑稽、あいつらの拳はきっとスポンジケーキのように柔らかいだろう、突然、激しく雨が降り始めた、人々は傘を差して足早に歩き始める、揉めていた二人も舌打ちを交換して車に戻る、良かったな、下らない見栄に最高の幕引きをしてもらえて、冷やされた街の熱が気化して火葬場の炉の中を連想させる、誰が生きていて誰が死んでいる、線引きをするのは誰だ、ヒトの真実は誤魔化され過ぎて奇形化した、生命は捻じ曲げられて繁殖すら否定し始める、安易な絶頂の為の道具がドラッグストアで格安で売られている、空っぽの世界の逃げ口上が美徳として吹聴される限り俺は人込みに背を向けよう、いつだって自分の為だけに語り続ける、その為に俺はここで息をしているのだから、数年前にどこかで失くして以来一度も傘を差したことが無い、レインドッグは犬小屋に帰るだけさ、雨を見たよ、ロッド、俺はいつだって雨を見ているんだ、もう一度晴れた空が俺の目を貫くとき、いままでに書いたこともないような詩を綴るかもしれない。


失くした頁ほど読み返したくなるものだから

2024-03-17 22:01:30 | 

時計の文字盤の進行と街の気配が奇妙な歪さをもって網膜に刻まれる午後、全身に浅黄色の布を巻きつけた梅毒持ちの浮浪者女が木の柵で囲われた売地の中でこと切れる、鴉たちは低いビルの立ち並ぶ様々な屋上からそれを見下ろしている、もはや生肉を好む時代でもないだろうと…それが食うには値しないものだということをちゃんと理解している、排気ガスと電磁波が交錯するレクイエム、三本足の犬が真直ぐな道に苛立っている、終わりの無い演目をこなすだけのピエロたち、拙い芸を口先で誤魔化している、言ったもん勝ち程度の世の中、国語辞典がゴミ捨て場で黄色く焼けている、武器を欲しがるのは兵士だけじゃない、戦場に出る覚悟がないから正面にも立つことが出来ない、逃亡を誇らしく装うやつら、俺は唇を歪めて次の一行を探す、世界が生まれる瞬間、沸騰する血液の泡がイマジネーションによって記録される、音符の存在しない楽譜、日本語はそれだけでグルーブに成り得る、先端が刃物に変わる津波のようなものだ、すべてが切り刻まれてばら撒かれる、新天地に根を張る種、探し続ける者にしか伝わらない寓話さ、覚悟?俺の覚悟はすでに出来ている、それはいつか道端で薄汚れてのたれ死ぬだろうという運命を受け入れる覚悟さ、路地裏で死んだ薄汚い女へのシンパシー、詩書きなんて性病持ちと同じくらいの価値しかない、それでもまだ見たことの無い一行を書きたがるやつがたくさん居て、そいつらの何人かは俺を神輿に乗せたがってる、そして俺はいつだってそこから降りることを―いや、そこだけの話じゃない、あらゆる場所から降りてひとりきりになることを考えているのさ、書くということはもっともシンプルな行為だ、虚栄心や下心はそこには存在しない、誰だってそうじゃなくっちゃおかしいだろ、もちろん時々にはそんな厭らしさを持った人間も現れるよ、でもすぐに居なくなるんだ、そんなやつに出来ることは限られているからね…すれ違いざまに肩をぶつけていくやつら、なあ、それでおしまいなのかい、まるで面白くないぜ?女が倒れた場所にはすでに人だかりが出来ていた、たくさんの人間が彼女の死を撮影していた、彼らの携帯のフォルダに保存された彼女はどんな腐敗を始めるのだろう、俺は彼女の死にこっそりと手を合わせた、どこのどんな人間だってそんな風に死にたくはないはずさ、街は少し曇り始めていた、雨の予報が出ていたかどうかは思い出せなかった、そして俺にはまだしばらく傘を買うつもりなどなかった、下らない出来事に群がるやつらはいつだって蠅みたいに見える、潰れたパチンコ屋の前を歩きながら短い詩を書いた、SNSは時々感情の墓場になる、それは詳細な時間の死の記録でもある、若い頃よりは確かに死の臭いは近くにある、だから身体は刺激を求め続ける、錆びついて安易な共通概念を共有するような毎日になったらおしまいさ、そいつはもう生きながら死んでいるようなものだ、自動音声案内のように毎日同じ台詞を繰り返し続けるだけさ、ゴミ捨て場で焼けた国語辞典のページが剥がれて風に舞う、一枚や二枚じゃない、壊れ始めるとあっという間、道は次第に死に絶えたイマジネーションの死体で一杯になる、それを殺したのは、それを殺したのは…?スターバックスは自己顕示欲の坩堝、俺はカップベンダーのコーヒーを飲みながらその悍ましい一角を通り過ぎる、誰に聞かせたい話なのか、あまりに薄っぺらい価値観の数々、友達と話してるていでしか話せないやつらが多過ぎる、俺は紙カップを握り潰してゴミ箱に捨てる、誰かが俺よりも前に投げ込んだ食べかけのハンバーガーの臭いが鼻につく、大量殺人の幻想―あるいは欲望、それが誰のためのものなのかなんてあまり突き詰めない方が身の為だ、人殺しに慣れるかもしれない希望を持っておくことは悪いことなんかじゃないさ、それもある意味で覚悟ではあるだろう…もちろんそれは幾つもの意思やビジョンを、正しく変換して飲み込める回路を保持しているかどうかにもよるけれどね、とかくこの世は安直に安直にと、取るに足らない解釈を積み上げたがるものだから―そしてとうとう雨は降り始めた、タクシーを捕まえるかい?それぐらいの金は財布の中にある、でもそんな気分じゃなかった、引き込んだ風邪がようやく治りかけているけど、傘も買わずに家に帰ることに決めた、どうせここで意地になってもどこかでしわ寄せが来るものさ、だからしわ寄せを先に済ませておくんだ、それもバランスのとり方のひとつではあるはずさ、家に帰ったら温かい珈琲を飲もう、腹を壊している猫に胃薬を飲ませて、音楽を聴きながらサローヤンの小説を読もう、俺だって嘘に違いない、でもそんな俺だって時折は、真実のように確かに見える瞬間があるものなんだ。


寄り道の先の亡霊

2024-03-09 22:49:33 | 

誰かが俺のことを呼んでるのは聞こえていたけど俺はすっかり出来上がってしまっていて返事ひとつもままならなかった、ここで無理矢理立ち上がったところでテーブルと一緒に転んで弁償するグラスがまたひとつ増えるだけだった、まわりの皆も俺がそこに居ることやどんな状態かってこともわかっていたけれどそれは珍しいことじゃないから誰もなにも言わなかった、それは本当は冷たさだったのかもしれないけれどべろべろの俺にはとんでもない優しさに思えて恩返しに酒でも振舞いたかったけれどさっきも言った通りろくに口をきくことも出来やしなかった、出来上がっているのに出来ないことばかりだ、なんだこりゃ、哲学かなんかか?哲学なんて時間の無駄だって言うやつ居るよな、預金残高をデカくすることだけが生きがいみたいに思ってる連中さ、そういう連中ときたらいつでもどこでも俺を捕まえてよくある説教をまるで自分で考えたみたいに喋りやがるんだ、そうして俺はそれをへらへら笑いながら最後まで聞いてやるのさ、どうせあいつら他人の話なんか聞きやしないからね、まったく、簡単なことすら出来ないやつほど妙な自信でもって大上段から話しやがる、俺に言わせりゃ時間の無駄ほど人間を育ててくれるものはないね、メイン道路を歩くだけのヤツよりも寄り道を繰り返すヤツの方がその土地のことはよくわかっている筈さ、そういうくだらないことを考えているといつの間にか床に倒れていた、うつ伏せに、力無く…初めて見るヤツは死んだんじゃないかって気を揉んでいる筈さ、俺はなにひとつままならなくなってもそういうことはきちんと理解出来るんだ、いや、もしかしたら、なにひとつままならないからそういうことに敏感になるのかもしれないな―ともかく俺はいつものように数人の客に店外に放り出され、軽く雪の積もった歩道の上に落ちた、冷てえ、けれどそれは酔いを早く覚ますのに役に立った、半時間もせずに俺は人間のようにきちんと立ち上がることが出来、そのまま壁にもたれていると歩くことだって出来るようになった、まるで赤子からやり直してる感じだ、死と再生、退化と進化、そんなの、なにも何千年も待たなくったって何回も繰り返すことが出来るのさ、ひとりの人間が生まれてから死ぬまでまったくおんなじそいつだなんて馬鹿げた話だと思うぜ、俺は口笛を吹きながら住処へ向かう道を歩いた、急ぐ気はなかった、寄り道の話はもうしたよね?そう、俺は寄り道をするのが以上に好きな人間なんだ、そのせいで見る必要もないような光景を見ることもあったけれど―ひとつ凄く強烈に覚えてる景色があるんだ、その話聞いてくれるか?これは以前詩に書いたことがあるんだけど、この話をもう一度したいわけってもんがあるのさ、もう何年前だろう、四年くらいは前の話かもしれない、その頃俺は割と家から近いところで仕事をしていてね、だから毎日歩いていたんだ、家と職場の間をね、寄り道をしながらさ、もちろん…ある日の帰り道、当時の仕事場と俺の住処の間には風俗街というものがあってさ、と言っても、かつての栄光はどこへやら、割れたガラスの中にあらゆる種類のゴミがたくさん詰め込まれた巨大なビルのソープランドの廃墟が数軒あって、営業している小さな店も昔みたいに呼び込みのアンチャンが立っていたりなんかしない、ただ看板を点灯させて客がドアを鳴らすのを待っているだけさ、あとは、もういまはやっていないだろうけど、婆さんに小さな建物に呼び込まれて、その婆さんよりはもう少し若い女とヤレるところとかあったよ、とにかく、そういう区画があるんだ、どちらかと言えば俺の家に近い方にね、そこに一軒のそこそこ大きなラブホテルがあって、そこはもちろん女と一緒に入ることも出来るし、ひとりで入って中から女を呼ぶことも出来るようなところだったんだ、そのホテルの近くを歩いていた時さ―ショートカットで咥え煙草の酷く痩せたメイド服を着たショートボブの女が自転車で俺のことを追い越して、ホテルの駐車場の隅に自転車を止めた、彼女はそこで煙草を消して携帯灰皿にしまい、自転車に鍵を掛けてすたすたと、テニスの試合にでも行くような感じで中に入っていった、俺はその一部始終を見てからなんだか酷く陰鬱な気持ちになってさ、本当にしばらくの間どんよりとしていたんだ、何が俺をそうさせているのかよくわからなかった、あの女が凄く痩せていたせいかもしれない、あの女にどんな感情も感じられなかったからかもしれない、あの女が咥えていた煙草のせいかもしれない、俺にわかっているのはそんな一連の光景のすべてが、俺を酷く悪い気分にさせたってことだけなんだ…じゃあ、なんでもう一度この話をしたのかバラそうか、このホテルも去年くらいに無くなっちまったんだ、やっぱり仕事の帰りに、いや、あれは休みの日の散歩の帰りだったかもしれない、そのホテルの中のものが撤去されている場面にたまたま出くわしたんだよね、そこから数ヶ月もしないうちに更地になってた、俺はいまでもそのあたりを歩くとき、時々立ち止まってホテルのことを思い出すのさ、そんなときには必ず、あの痩せぎすのメイドコスの女が亡霊のように俺のことを追い越していくんだ


いつでも枕がそこにあるとは限らない

2024-03-03 14:41:21 | 

お前の筋書き通りさ、神様は血を吐いて仰向けに倒れた、悪魔は小洒落た燕尾服で現れて上等のワインを抜いた、甘い香りがそこら中に漂って…忌み嫌われたロックンロールのイントロが流れ出すとどいつもこいつも狂ったように騒ぎ出す、みんな熱狂の幻覚の中で馬鹿になった振りをしたまま死に絶えてみたいのさ、地面に染みを作るのは興奮のあまり漏らしてしまったグルーピーたち、何も心配しなくていい、踊っているうちにすべては乾いてしまうだろうさ、罪を流すにはとにかく時間をかけることだ、やり過ごす間に自己嫌悪で壊れてしまったりしないことだ―みんな教えてくれているだろう、そういうテキストは世の中に腐るほど溢れている、どこを見ても優秀な教師ばかりさ、まったく、反吐が出るほどにね…片隅のモニターでは「ルード・ボーイ」が流れている、俺はその映画を二十年くらい前に二、三度観たことがあるよ、世の中に向けて差し出されるものたちのほとんどは、その意味も知られないままに片付けられる宿命を背負っている、だけどそれを、だけどそれを、正しく受け止める連中というのも、少ないけれど必ず居て、そういうやつらは決まって俺をいい気分任させてくれる、お前の筋書き通りさ、老いぼれるまでずっとこんなことを続けているんだ、だけどそのことを悲しいと思ったことなんかないさ、濁流の中でも行先を見失わなければ、それなりの景色は見えるとしたものだ、かなりたくさんのものを落としてきてしまったけれど、そのひとつひとつに不幸なんて名前をつけようとは思わない、その中にはかなり大切だったものだってある、でもいまさらどうしようもない、誰だって望むものをすべて手に入れることが出来るわけじゃない、それに、本当の喪失なんて生きている限りは在り得ないものだ、ピンク・フロイドの映画みたいにベルトコンベアに乗ってるやつら、速度が安定していることを誇りに感じている、でもそれは彼ら自身で手に入れた速度ではない、俺は特殊な刃でやつらを切り刻む、それは肉体を傷つけることはない、ある種の盲目―そいつだけを切ることが出来る刃だ、俺は古い傷を押さえる、俺だって遠い昔、誰かにそんな風に切り刻まれたのさ、それが、いつ、どこで、誰だったかなんてもう思い出せない、でも俺はそのお陰で、なにも見ないまま人生を重ねずに済んだ、自分の力で自分の人生を生きることが出来たんだ、切り刻まれた衝撃は色褪せない、魂が曇らない限りね…列の後ろに居た女が倒れる、熱気に当てられたらしい、スカートが捲れて下着が露わになっている、俺は紙カップウを捨てて、女のもとに歩み寄りスカートを直してやる、どうせみんなステージを見ている、誰も俺たちになど気づきはしない、俺は自分の荷物を枕代わりにして、彼女を寝かせてやった。倒れてた時に頭を打ってたように見えた、起きるかどうか心配だったのだ、アンコールの途中で女は目覚めた、俺は前日の仕事の疲れでウトウトしていた、「これはあなたの?」女は枕になっていたものを持ち上げて言った、俺は目を開けて頷いた、「目が覚めたか」「ヤバい倒れ方だったから心配していた」女は肩をすくめた、「わたし、興奮するとすぐ気絶しちゃうのよ、脳がすぐ酸欠になるの」そんな病気もあるんだな、と俺は言った、ライブは終わり、人々はわりとあっさりと現実に帰って我先にと出口に向かっていた、「あなたはこれからどうするの?」「家に帰って眠るつもりだよ」女は笑った、「それじゃあわたしもそうしようかな」帰り道で興奮するなよ、と俺は釘を刺した、女は口を歪めて笑いながら俺を軽く小突いた、「いつでも枕がそこにあるとは限らないものね」御尤も、俺たちはライブハウスを出た、女はひらひらと手を振って俺とは反対の方向へ駆けて行った、興奮すると気絶する体質、それなのにロックのライブにやって来る、余程の馬鹿なのかそれとも勇者か、もう少し詳しく聞きたい気もしたがもう女の姿は見えなかった、そんな時に彼女が見る夢はどんなものだろう、気を失っている時の女の顔はスイッチを切られた機械みたいだった、俺はその体温すら疑ってしまったくらいだ―帰り道はほんの少しの雨に濡れていた、次の雨粒が落ちてくる前に乾いてしまう位の雨だった、仰向けに倒れた神様が蘇るのはいつのことだろうか、それとも神なんてものはいつだって、見栄っ張りの大ぼら吹きなのか、今日プレイされたナンバーのことはひとつも思い出せなかった、記憶にあるのはただ、無音の画面の中で政治や若者について喋っている、今はこの世界に居ないジョー・ストラマ―の目つきくらいのものだったのだ、帰ったらシャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、古いレコードを聴きながら眠ろう、人生は巡る、失われたものたちだって、少し形を変えてまたこの手に戻って来ることもあるだろう。


はばたきは、いつか

2024-02-21 22:51:30 | 

あなたは枯れた蔓を集めて、血管をこしらえた
わたしは綿毛を集めて心臓を作り、それを繋いだ
なにも無いこの地にはいつも、優しく撫でるような風が吹いていて
そのせいでわたしはいつだって落ち着かなかった
たくさんの鳥がいっせいに飛び上がるのを見たの
冬にしては暖か過ぎる日のことだった
わたしはかれらがなにかの兆しを感じ取ったのだと思って…あとをついて行きたくて仕方がなかったけれど
あなたには微塵もそんな思いは無く、だから
わたしはそこを立ち去るべきだと決意したの

風の中で、ずっと、だれかがつぶやいているような気がしていた
それはきっとあまり褒められた存在では無かったのだ
だけどわたしには些細なことだったし
そのせいでたとえば破滅が待っているのだとしても
わたしはきっとその、くすぐったさのようなものを
拒否することなんか決して出来なかった
めずらしく訪れた嵐の中、わたしは足跡を残さないように
どんな音も置いて行かないようにつとめた、きっと
だれのためでもなく、ただ自己満足のために
わたしの跡のことなどわたしにはどちらにしても
どうでもいいことのはずなのに

たくさんの鳥がいっせいに飛び上がるのを見たの、わたしはきっとそこに、どんな光も闇も感じることは無くて
そのことをとても恐ろしく感じてしまった
恐怖から逃れるためにわたしは動き始めたのだ
鳥たちがどこに飛んでいったのかなんて知らない、一度も
調べたことすらない、だけど
羽音が鳴る、羽音が鳴る、たくさんの羽音が鳴るの
それはわたしの背中に針を刺すように響く
たくさんの鳥たち、わたしは、あのときにきっと
言葉では拾いきれないたくさんのものを見たのだわ、追いかけてはいけない、その瞬間の出来事はなにひとつ
バスルームで思い出すだけにしておかなければならない

知らない朝の中で目覚めるときに、わたしは産道からはみだした日のことを思う、きっとそれは
長い目で見ればそれほど違いはありはしないのだ
わたしは赤子のようにたくさんのものを見た
そしてそのたびに
綿毛の心臓はたくさんの血液をわたしの体内に吐き出し、飲み込んだ
血液の材料がいったいなんだったのかなんて思い出せない、だけど
きっとそれは全身に刻まれているに違いない
わたしには言葉があり、音楽があり、画用紙がある
鳥たちはいつかあの場所に帰るだろうか
でもきっとわたしは
いつだってそのことを知らないままでいるに違いない