古い、小石をモザイクタイルのように散りばめたセメントの路面で、五百円硬貨程度の大きさの蝸牛が踏み潰されている、パン粉みたいに砕けた殻と、透明な血を滲ませた肌色の―ぐしゃぐしゃになった本体、それが、明確な殺意のもとに行われた行為であることは明らかだった、俺は以前から捨てようと思って忘れていた、潰れたレコードショップの会員証を使ってそいつの身体を道の隅へ寄せてやった、特別愛に満ちた人間ではないが、それはあまりにも不憫だったのだ―親近感なんかではないさ、決してね…それからのんびりとその路地を歩いた、この路地にあるのは飲み屋ばかりで、午後に入って間もない今時分はすべての店がシャッターを下ろすか扉にクローズと書いた札を吊るしている、小さな、カウンターだけの店が二十軒近く独房のようにずらりと並んでいる、近頃は大して儲からないみたいで、毎年六軒くらいは知らないうちに看板が変わっている、それでも違和感を覚えないのは、看板以外のものがまるで変わらないせいだろう、俺も以前は夜中にここを千鳥足で歩いたことが何度かある、でも、もうそんなことは十年近くやっていない、もともとそんなに酒を飲むことがそれほど好きではないし、時々つるんでいた友達は酒をほとんど飲まなくなってしまった、余程の気紛れでもない限り、この辺りを夜歩くこともそうないだろう…唯一良く通った店はマスターが亡くなってしまって、もう看板も変わってしまった、なんの前触れもない死だった、ある日突然自宅で亡くなっていたとずいぶん経ってから聞いた、べつにそれほど懇意にしていたわけではなかったし、通うと言っても年に数度くらいのことだったから、日常に何か変化が訪れたかと言えば特別そんなことは無かった、悲しいという感情もほぼなかった、ただ、その店ではたまに朗読会をやらせてもらっていたから、また違うところを探さなければいけないなと思った、実際それは厄介な問題だった、詩の朗読会なんてイベントをやらせてくれるような店はこの田舎町ではそんなにないのだ、そもそもこの街の大半の人間は人生の大半を酒と煙草に費やして脳味噌がくすんでいる、そんな街で詩の朗読会に行きたいなんて人間を探すのはそこらの川で砂金を見つけるのと同じくらい困難なことだろう、ここじゃいつだって、馬鹿であることが一番かっこいいことなのだ、携帯で現在の時刻を確認して、一本南にあるアーケード街へ道を変えた、といっても、なにか目的があるわけではない、ただの散歩だ―歩きたい時に歩きたい道を歩く、ただそれだけの行為だ、繁華街、と言っても名ばかりの、潰れた店の廃墟と更地ばかりの通り、近頃はホテルチェーンや高級マンションに買い叩かれ、狭い場所には都会からやって来たもの好きな連中の小洒落た店がオープンし、古くからやっている店と軒を連ねる、まるで居心地の悪い白昼夢みたいなアンバランスな景色を毎日楽しむことが出来る、そんな店のすべてを素通りしてそろそろ家に帰ろうと思う、見慣れた景色、代り映えしない景色、でもそれがなんだって言うんだ?新天地なんてどこにも無いんだ、どこにねぐらを変えたとしても慣れと停滞はつきまとう、肉体的に生きるための様々な条件は放っておいてはくれない、金、金、金の世の中で、なんて、古いドラマのオープニングじゃないけどな、俺は運が良かった、いや、選択を間違えなかっただけかもしれない、周辺の根拠のわからない価値観を鵜呑みにすることなく、自分自身に必要なスキルと感覚を手に入れた、それを研磨錬成することでどうにかここまでやって来れた、自分の中に何も無い連中は余所事にばかり目を向ける、隠しているんだ、逃げているのさ、空っぽの心の中から―いや、俺は社会的な生活に文句があるわけじゃない、選んだのならグダグダ言わないでやり続けろよと思うだけさ、選んだことが間違いだと思うならどこからでも鞍替えすればいいんだ、辞めるのに適当な言い訳を考えることも何かの役には立つかもしれないぜ…川沿いの道に出よう、南へと歩いて、水面のほんの少し上を歩く道へと向かった、いつも誰か、なにかしらを嫌っているといった内容をわざわざ表札にして、おそらくは昔美容院か何かだったのだろう店舗のショーケースに置いてある陰気な建物の前を通り過ぎる時、中に居る男と目が合った、生まれてこのかた一言も口を聞いたことがないというような顔をしていた、スタンスやステイタスは、在ればいいというものではない、それが自分に何をもたらすのか、それが自分をどこに連れて行くのか、そういうことがどこかで理解出来ていないと、年月が経つほどにおかしなものになってしまう、歳を取ってから、自分がひん曲がっていることに気付いても遅いんだ、口先でどうこうする以外に何も思いつかないのなら、いっそのこと黙ってる方が利口だってもんだぜ、だってそんなの、庭で細いチェーンに繋がれて吠えまくっている飼犬と、それほど違いは無いんだから、何も生み出さない行為は無意味さ、俺は自分が言葉の中に飛び込むことによって、どんな明日がやって来るのかそいつを知りたいだけなんだ。
無機質なノイズの跳弾、ペールギュントのリズムにも似て、レストハウスの廃墟の中で、シンパシーの渦に巻かれる、行きつ戻りつする時間、現実なんか参考にならない、リアルな時の捉え方は、定石通りじゃほとんど素通り、目だけで見るな、耳だけで聞くな、口だけで語るな、人間であることの意味は、自己リミッターの中で生きることでは無い、手本が必要な人生なら、お前がそれを生きる理由もない、俺がゴミを拾うやつらに文句をつけてるって?妄想も大概にしなよ、やつらは自分の評価を高くつけ過ぎているのさ、俺の眼中に入りたいなら、もっと凄いものを見せてくれなくちゃ…戯言はそこそこに、話したってしょうがない事柄なんか幾らでもあるさ、だからって別に、やることが増えるわけでも減るわけでもない、俺のやるべきことは始めから終わりまで同じなんだから、寄り道はしないよ、もちろんこれは、俺のアンテナが動かない方向に行くことはしないという意味さ、真直ぐ歩くのが格好良いなんてのは阿呆なヤツだけが信じる経文さ、沢山の分岐を好きに歩いて、あらゆるものを吸収するべきさ、それが俺の新しいリズムを作る…なんだって?それが俺の使命なのかってそう訊いたのか?下らないことを訊くなよ、俺にはどんな使命もありはしない、俺は俺がやるべきだと思うことをやるだけさ、使命なんかどうでもいい、しいて言うなら、宿命ってもんには多少似てるところがあるかもしれないね―何度も同じ夢を見る、あるいは何度も同じ人間が夢に出て来る、同じ場所で違うことをしている、始めは予知夢なのかと思った、でもそれは間違いだった、確かに夢で見た場所ととても似てる景色がその後、現実の中で現れることもあったけれど、それは決して同じ場所ではなかったのだ、分かるよね?俺は本当にどこか、そういう場所が別の世界に存在するんじゃないかと考えている、いまのところ、眠らなければ辿り着けない世界というわけさ、ただの夢だなんて俺には思えないんだ、そこで嗅いだ空気の匂いすらありありと思い出すことが出来る、二つ以上の人生が同時に進行しているのさ、そしてその感触がこの世界の俺の中に集約されている理由は多分、俺があれこれと書いているせいなんじゃないかと思うんだ、まあ、最近は、もう少し手の込んだこともしているけれどね…もしかしたら、俺が作り出して来た世界がどこかで形を成しているんじゃないかと考えたこともあった、でもそれはどう考えても違うんだ、それならもっと俺自身がその世界を把握出来るはずだからね、だから多分、それは完全に俺が作り出したものではない、俺が書いたものが少し手を貸した部分はあるかもしれない、でもそれだけさ、これについて突き詰めたところで何か役に立つものが見えるかと言ったら、答えは多分ノーなんだ、使命なんて馬鹿げてる、勝手に何かを請け負うやつらは、勝手に梯子を下ろすものさ、それも、始めた時とは比べ物にならないくらい、静かにね…そして結局は、一番シンプルなものだけが残る、最後は一番シンプルなものだけが残るんだ、勘違いしないで欲しい、これはスタイルの話じゃない、自分にとって一番心地良い流れはどこかってことが理解出来るっていう話だよ、そして俺はつい最近、そんな流れのことが分かり始めているんだ、とても長い時間を費やしたよ、でもそれだけの価値は充分にあった、どうせ過去なんか取り戻せやしない、やるだけやって無様に死ぬのみさ、介護施設で惚け散らかして緩やかに死んでいくなんて御免だ、最期の最期まで詩情とこんがらがって、脳味噌を沸騰させながら死んでいくのさ、それが理想じゃないか?みんなそうじゃないのか…?まあ、だけど、思惑通りにゃいかないものだもんな、そんな歳になる前にポックリ逝っちまうかもしれない、そんなことが過去に二度ばかりあった、正直な話それまでは少し、人生というものが面倒臭くなり始めていた、自分で終わらせようなんてことは考えもしなかったけれど、もう何かでハイお終いとなるのなら、それでもいいかななんて考えていた時期が確かにあったよ、でも死にかけてからはなにがなんでも生き抜いてやるという気持ちになった、あそこで死んでいたら新しい遊びにも出会えなかった、俺は最近こんな風に思うんだ、目的がある人間は死ぬことは無いって、次はこれをやろう、その次はあれをやろうなんて考え続けていると、運命が勝手にそっちについてくるんだ、常に俺はそれを考えているから、そう簡単にくたばりはしないよ、この前、ある動画を見たんだ、年配のコメディアンが舞台が始まった途端に心臓麻痺を起こして死んじゃうって内容なんだけど、彼が倒れても客は皆ゲラゲラ笑って口笛を吹いて、拍手喝采なんだ、死ぬ間際まで、いや死んでからだってしばらくの間、彼はコメディアンで居続けたわけさ、それって凄く幸せな終わり方じゃないか?まあ、彼にしてみればそれどころじゃなかったかもしれないけどさ、何の後悔も残らなかったんじゃないかと思うんだよね、マディ・ウォーターズだったっけ、死ぬ三日前までステージで歌ってた、願わくばそんな終わりがいいなと思うんだよね、まあ、まだ少しは先の話なのかもしれないけどさ…。
傾げた頭の中で喀血する自我、途方も無い明滅の中で見る闇の圧倒的な密度、発電機の唸りのようなわだかまりが反響する時、鋭角な四隅の中心で巻き起こる直感の渦、俺は時々肉体の存在を忘れる、気がふれるほど反復してきたイマジネーションの濃度のせいで…それは俺を一人にもするし百人にもする、そいつらのすべてが喧しく主張をする、そこから愉快なものだけをピック・アップして並べ上げる、そしてまた彼らは生まれ続ける、死んでいくものたちも居る、そのほとんどは十代や二十代の記憶を持つものたちだ、俺は他の人間ほどそれを持っていたとは思わないが、若く、無知だからこその突進力や思い込みの激しさ、そういうものの残滓を多く抱えている連中の多くが死んでいった、彼らは死ぬときになにも残さない、そもそもが思想の中の生きものだから、死体すら残らない、俺がそんな死の数々を感知することはほとんどと言って無いが、ごくたまに、ありありとその死を意識させるものも居る、思うにきっと、当時の俺が余程大事に抱えていたものをそいつは持っていたのだろう…俺はそれを惜しいとは思わない、忘れてしまっているということは、すでに自分にとって意味を持たなくなってしまったものだからだ、若い頃の輝きを懐かしく思い、焦がれ続けているような人間に会うことがある、でも俺は若いということを美しいとは思えなかった、気持ちしか持ち合わせがなく、混沌に戸惑ってばかりで、正しく抗う術も持たない、能書きは一流だが、それを具現化出来るほどの能力も無い、ひとつことわっておくけれど、俺は自分がその只中に居る時から若さというものをそう捉えていたよ、そう、自分自身が若いことを否定していたんだ、そのことで多少損をしたこともあったかもしれないけれどね、でもさ、何を選択したところでそれに見合う得と損というのはあるものだ、選んだ道を肯定することには何の意味も無い、だって結局はそこから何処かに辿り着くかどうかは自分次第なんだから…いつからか俺は闇を恐ろしいと思わなくなった、むしろどこか懐かしいとさえ感じるようになった、それがどうしてなのかはわからない、だけど、それは俺がある程度書きたいものを書きたいように書けるようになってからだったような気がする、闇の中で考え事をしてはならない、必ず悪い考えになるから―そんな言葉がある、でもそんなのは、ただ闇に惑わされているというだけのことだ、地に足のついた思考は環境によって矛先を変えたりはしない、どんな場所に居ようと、必ず何かを掴む為に稼働する、そんな風に思えないのなら、いっそ考えることなど捨ててしまえばいい、何を選択したところでそれに見合う得と損というのはあるものだ、その先に何があるかって?さあ、知らない、だって俺は、思考することを諦めたことは無いからね、なんせ生まれてこのかた、たいして頭を使わずに生きて来た人間の面ばかり見続けて来たからね、彼らの仲間に入るのだけは御免だねっていつだって思ってるんだ、人は生まれた時光を見るのかもしれない、でも、その瞬間まではずっと、闇の中でじっとしているじゃないか、物事の側面だけを見て、すべてをわかった気になってはいけない、たったひとつの要素だけで構成される事実などどこにもありはしないのだ…俺の欲しいものはいつだって血に塗れていた、そのぬるぬるとした手触りが、温度が、俺自身の生命と最も深いリンクを繋ぐことが出来た、つまりそれが、俺自身が思考し続け、書き続けていることの答えなのだ、答えが出ることは良く無いことだというやつも居る、大事なのは答えを求め続ける過程なのだと、それはもちろん一理あるし、俺自身もそういう論調で書いたこともあるけれど、だけど、イコール終点という意味のみではないはずさ、それはあくまで現時点としての答えであり、それはつまり、次へ行くための過程だということだ、必ず通過しなければならない地点―チェックポイントのようなものと言えばイメージし易いだろうか?要するにさ…答えそのものに重きを置くのは良くない、って話なのさ、それは確信であっても参考資料程度に留めておかなければならない、それにこだわり過ぎると本当に終点になりかねないぜ、闇の中で目を開け、そこで捕らえる景色はもしかしたら視覚の範疇ではないかもしれない、けれど、その先にあるものを見つめているのはやはりふたつの眼球なんだよ、すべてに通ずるドアを開け、手当たり次第に全部だ、必要なものはいつまでもそのまま開いているし、要らないものは知らない間に閉じて二度と開くことが出来ないように施錠されるだろう、闇の中で、開いたドアの前で、なにを考えるのか―うんざりするほど長いゲームの、先が見えないシナリオだ、フローチャートを探すのは止めて、思うがままに動き続けていれば、その本質はいつか肉体に溶け込んで語りかけて来るだろう、その時俺は歓喜の叫び声を上げて、今まで見たことも無い一行を書き始めるのさ。
境界線の死体の上にベタベタと張られたシール
散乱した呪物の破損具合が叫んでいる明日
君は昨日死体安置所で何をしていた?
指が一本無くなっていたってそこで働いてる知り合いがぼやいてたよ
街には曇り空の怨霊がとり憑いて晴天でも居心地が悪い
飛び降り自殺した女は地面に着くころには二人になってた
こんなものは真実でもなんでもない、と
目つきの怪しい男が地下鉄の前に仁王立ちして叫んでいる
現実主義者は自分が話したいことしか話さない
整えることは出来るけれど何かを生み出すことなんて出来やしない
俺はマーケットで半額のシールが張られた食いものを探している
一階が店舗仕様の巨大マンションの最上階では
浮気した旦那を嫁さんが滅多刺しにしている
愛だの夢だの未来だのって声高に喚く歌が多過ぎる
定型文が大蛇のように国をひと巻きしている
そこから逃れることが出来る人間は一握りしかいない
俺は始めから世界の外に居る
彼らの出来るは俺には何の価値も無い
野良犬の脚を戯れに切り取るような真似を繰り返していると
そのうち誰かに舌を引き千切られるだろうさ
悪魔たちよ、鬼たちよ、ここはお前らの世界だ、堕ちた神たちよ
矮小な真面目さの中で右往左往する現代のコメディを堪能するがいいさ
俺は炭酸飲料を飲んで喉を鳴らしている
くだらない理由で自死を選んだ女の亡霊がずっと話しかけて来るけど
声が小さ過ぎて何を言っているのかよく分からない
あらゆる種類の呪文、祝詞、祈り、手当たり次第にぶちまけてみなよ
先天的な呪詛なんて絶対に取り除けない
気休めに金を払うなら抱える覚悟をした方がマシだぜ
どんな境遇だろうが牙を失わなければ噛みつくことは出来る
廃車が積み上げられたままの自動車工場の廃墟で
繋がったままあの世まで逝っちまった若い男女が居た
その工場は人間の居住区じゃない山中にあったものだから
発見されたときには廃車の中で角煮みたいになってたって話だよ
振舞おうよ、皆で肉を食おうぜ
肉を噛みちぎる時ぐらいさ、本能を思い出せるのは
なぜ生まれて来たのかって考えることないかい?
あんたの言う価値観ってなんだい、そいつはただ社会的ってだけのものじゃないのかい
田舎だろうと、都市部だろうと、平屋住まいだろうと、タワマンの最上階だろうと、人間の本質は変わることがない
情報の中で盲目になってるやつの言うことなんか聞いてもしょうがないんだよ
旧態依然のシステムの中で何ひとつ昔みたいに動かせずに歪みばかりが生じてしまった
この世で一番正直なのは歪みだなんてもう目も当てられやしない
ペラッペラの肩書が外れたときあんたに残されたものはなんだい
それがなにかなんて別に知りたくもないけどもよ
単純明快なものなんて無い
引っかき回して並べ直して試行錯誤の末にようやく手に入れられるものだ
そこに書いてあるものを飲むこむだけじゃなんにもならないぜ
俺のやってること見てればわかるさ
そいつの為に長い長い時間を生きてる
見たいなら見せてやるよ、見たいなら見せてやるさ
ようく見ろよ、俺はいつだって
本気でそのことを伝えようと無駄な足掻きを続けているんだ
死体どもよ、起き上がれよ
そして俺と共に踊れ、叫べ、死の定義なんて昔ほどしっかりとはしちゃいないさ
誰が生きていて誰が死んでるんだ?先に死んだ連中の方がずっと
眩しく輝いているのは果たして本当に俺の気のせいなのかい
アンデッド、ただそれだけさ
それがこの現代の通念ってもんじゃないのかい
隣のやつの脳味噌を食らったところで、得られるのは体面体裁だけさ
だから、そうさ、世の中には芸術ってもんが存在してるんじゃないのかい
本当の意味で生きるのに貪欲な連中が
そこに脳味噌をぶちまけているんだよ、ほらお前ら食らえって
俺もそれを食らった、たくさんの脳味噌を
おかげで厄介な真剣さを失わないまま大人になることが出来た
俺は始めから世界の外に居る、ああ、
敵は多いけど居心地はそんなに悪くないぜ
寝床に沈み込んで壊死した夢が肉体に浸透して悪い気分になる、細胞の拒否反応、対応策の無い流行風邪みたいなさむけと身体の痛み、何も起こってはいないのに酷く摩耗している、油の切れた機械になってしまったかのよう、夜にはまれに水面下で動いているものたちが浮上してくることがある、日頃見ないようにしている、気付かないようにしている、あるいは本当に気付けないようなものたち、今夜はそんな夜だったということさ、部屋にあるだけのブランケットでも温まることは出来ない、凍えているのは肉体ではないのだ、凝固するということ、澱んだ血のように、流れを阻害するもの、そしてそれは、自分以外のどこにも原因は無く、ただただ震えながら恨み言を吐くしかない、窓の外から誰かがこちらを覗いているような気がする、そんな気がするだけだ、カーテンは隙間なく閉じられている、にも関わらず、明らかにそうだと確信してしまうほどの気配、それは誰が作り出している、それは誰が作り出している?それはこの肉体に巣食った腐敗じみた感覚と同じところから生れてきているのか?俺は目を細め、窓の向こうに居る何かを感じようとする、それは主張の強過ぎる亡霊のように、存在感だけがあり、存在してはいない、ふざけるなよ、吐き捨てる声すらまともに出てはいない、不意にカーテンが揺れる、俺は精一杯身構えるが、それ以上のことは起こらない、そして気配は消える、諦めたのか、それとも何か他の手段を考えるのか、それとも、自分が出てくるまでもないということなのだろうか、ままならぬものが増えるほどいらだちは拗れていく、あるいはもうそれは殺意と呼んでもいいものに変わっているのかもしれない、ははっ、いったい、何を殺すというのだね、今ここで誰かにその切っ先が向けられるとしたら、十中八九この俺の喉笛ではないのか、俺は立ち上がろうと決める、全身に裂けるような痛みが走る、唇を噛み、呻きながら俺は立ち上がろうとする、痛い、でもそれだけだ、もうそれだけなら立ち上がってしまおうと決めていた、唇が切れて血が流れた、それは奇妙なほど熱かった、口の中に溜まった血を吐いて俺は叫んだ、獣のように叫びながら立ち上がった、部屋の壁に一度、頭を打ち付けた、一瞬、世界は静寂し、俺は肉体の主導権を取り戻した、動くことだ、数回、深呼吸をして、余計な力を抜いた、挑めば自分が望むように変えることも出来る、そんなことだってあるかもしれない、ハッ、まるで昔のロックソングだ、無情の世界、なんてもはや洒落にもならない時代に、でもそんな原動力はまだ生きているのだ、外に出よう、俺は服を着替え、発作的に外へ飛び出した、もう開いている店などなかった、深夜一時なのだ、飲み屋でさえ店仕舞いを始めていた、しかたが無いのでコンビニに入った、入口の近くで商品を出していた若い女の店員が、いらっしゃいませと言いながらこちらを見てえっという顔をした、なに、と俺が聞くと、えっと、と額を指さしながら、血が…と遠慮がちに言った、指で触ってみると確かにぬるっとした感触があって、指先に結構な量の血が付いた、トイレに行って待っててください、と店員は言った、俺は言われた通りにした、しばらくして売りものらしいミニタオルと消毒液とガーゼと絆創膏を持ってやってきた、ビールケースを椅子代わりに俺を座らせ、濡らしたタオルで傷口を拭いた、タオルはあっという間に血塗れになった、薄く切れてる感じなんで縫わなくても良さそうですね、と言いながらスプレータイプの消毒液を容赦なく吹き付ける、俺は呻く、手洗いにあるペーパーを取って傷口以外の水分を拭き取ると絆創膏を丁寧に貼り付けてくれた、俺は素直に礼を言った、いいえ、と女は笑って答えた、「店内を血塗れで歩かれても困りますので」「ごもっとも」俺は諸々の料金を払うと言ったが、女は断固拒否した、俺は支払いを断念した、「喧嘩ですか?」「自分とね」女は渋い表情を作った、「一回、病院に行った方がいいですよ」そんなに酷い怪我なのか、と俺は訊いた、女は右手で違う違う、というジェスチャーをして、ココロの病院、と真面目な顔で言った、えぇ、と俺は軽く異議を唱えたが、聞いてください、と女は真顔で続けた、「私の弟、精神病院で死んだんです、鉛筆で自分の頭を何回も刺して」俺は声を失った、「難しいかもしれないけど、誰かを頼ってください、絶対に今よりはマシになるはずですから」俺は呆然として、思わず頷いた、ずっと自分にとり憑いていた奇妙な興奮はすっかり消えた、良くなったらなにか買いに来てください、と女は言った、俺は間抜け面で礼を言ってコンビニを出た、二時間ほど歩いたところで絆創膏を剥ぎ取り、丸めて捨てて踏んづけた、それから夜が明けるまでどこで何をしていたのか、どうしても思い出すことが出来ない、気付いたら家のベッドで涎を垂らしながら眠っていた。