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冷えた眠り

2025-03-29 22:00:34 | 

夜が狂うから眠りはぶつ切りにされる、幾つもの夢が混ざり合って、筋書が存在しない奇妙な色で塗り潰される、なぜこんなに身体が強張っているのか、眠ってはいけない理由がどこにあるのか、俺は理解することが出来ない、端切りされた肉みたいに夜の中に置き去りになって、薄暗い部屋の中で目を見開いているだけだ、すべてを言葉に変えられないことは知っている、だからこそ書き続けている、胸の中で渦巻くものは歳を取るほどに勢いを増す、それは俺が自分を疎かにしないからさ、研ぎ続けていれば刃物は折れるまで使える、すでに錆びてしまったやつにはこんな話をしても伝わりはしないけどね、寝返りを打っても無駄なことはわかっている、それでも寝返りを打ってしまうのは、時間があまりにも手持無沙汰に過ぎるからだ、時計が一個も置かれていないこの部屋では猶更だ、リズム、どんな時間にだってリズムは必要だ、それがどんな時間であろうと、思考を望む限りそれはキープされなければならない、意味などあろうとなかろうと、いまどんなリズムが体内で刻まれているのか、それを正しく理解しておかないと思考はどこかで妨げられてしまう、リズムと噛み合わなくなると上手く言葉が生まれなくなる、会話だってそうだ、呼吸のリズムや相手のリズムに上手く絡むように喋らなければあっという間に途切れてしまうだろう、そもそも人間の体内には常にリズムが存在している、鼓動と呼吸、これだけはどこの誰だって完璧なオリジナリティーとして所持している、そしてそれを自覚するものたちが新しくページを埋めていくのだ、肉体と精神、どちらが欠けてもいけない、またその両極の間にあるなにが失われてもいけない、持って生まれたものをそのまま焼き付けなければいけない、もしも人生に理由や動機なんてものが必要であるとするならば、そうして生まれたものがまさしくそれを語るだろう、子供の頃、いつの間にかうつ伏せに寝ていて、顔が枕の中に埋もれてまったく息が出来なくなって、もう駄目だと思った瞬間に目が覚めて頭を起こしたことが何度もあった、それが誰にでもあることなのか、それとも俺だけに起こったことなのかなんて、確かめたことがないからわからないけれど、思い出すたびに眠るのが怖くなる、いつか寝床で死ぬのかもしれない、なんて考えたこともあった、まだ小学校に入ったばかりくらいのことだよ、そう、こんな夜には時々思い出す、寝返りを打った瞬間なんかに、人間なんていつまで生きていられるのかわからない、家族がばらばらになった今となっては本当にそう思う、兄弟の中で社会にとどまっているのは俺くらいなんだぜ、まあ、それにしたって底辺に滑り込んでいるだけだけどね、でもそれがなんだって言うんだ?社会的価値なんてものをカサに着るようなやつは、所詮決まった枠組みの中でしか生きられないのさ、人生なんて自分がやるべきことをやっていればそれでいいんだ、大切なのは手応えさ、外野の言うことに耳を貸しても得することなんてひとつも無いよ、自分の道を歩けるのは自分だけだ、外野に回るのはもう自分で歩けなくなった連中がすることさ、眠れない真夜中で概念的な心拍が誤作動を起こす、ほんの一瞬、運命は強制終了されるのかと狼狽えるも、それは長くは続くことはない、きっとはぐれた時間の中で本当にはないものを見たのだ、俺は眠るという行為を諦める、願望や感情を放棄して、人形のように仰向けになってじっとしている、天井の照明の傘の中で数匹の虫が乾涸びている、この前取り外して中を捨てたのはいつだったか、今からそれをしてやろうかと一瞬考えたが寝床を汚したくないので諦めた、どこかの日中に気が向いたら実行するだろう、今住んでいる部屋の明かりはリモコンで操作出来る、何段階かの明るさも調整出来る、でもそんな操作をすることは滅多にない、部屋の明かりなんか点いているか消えているかだけでいい、それだけでいいはずのものにいろいろと余計なものがくっついている、多くの人間が本質だけで物事を考えることを止めてしまった、いまや形骸化してしまったルールの中で、滅びた国を守る防衛機能のように愚直に任務を遂行するばかりだ、まるで社会はまだ真実を手にしているというようにしたり顔で旧態依然のシステムを転がしている、それはまるで廃墟に置き去りにされた人形が見ている夢に似ている、ああ、意識が朦朧としてきた、もう眠ってしまっているのだろうか、それともこれはさっきまでの思考の続きなのか、俺の意思ではない寝返りが打たれた、ああ、すでにもう身体は自由にはならない、まったくひねくれている、もう眠らなくてもいいと思った途端にこれだ、でもそれについていったいなにを憎めばいいのかわからなかった、俺はため息をつく、まあ、しゃあない、どうせもうなし崩しに引き摺り込まれるだけなのだ、次に目覚める時にはこんな夜があったことなどすっかり忘れてしまっているだろう、もちろんそれによってなにか支障があるなんてことはまるでなく、日常は昨日と同じように展開されるに違いない、そしていつかまたそんな夜はやって来るだろう、枕に顔を埋め、呼吸を奪われて苦しんでいたあの頃の夜のように。


あまりにも込み入ってだけど在りようとしては単純

2025-03-25 22:12:34 | 

礫塊に埋もれて漆黒の眠り、だけど極彩色の夢を見てた、かろうじて確保された呼吸、無自覚な日々よりもずっと尊いものを教えてくれた、百鬼夜行は毎晩決まった時間に、ままならぬ俺の鼻先をかすめるように…なんでもいい、春の歌が聞きたかった、でも無理みたいだ、欲しいものは決まって手に入らない、ハナからないものねだりだったのかもしれない、だけど欲しがらなかったことを誇りに思うことは出来ない、価値観なんてものを結果に結びつけるのは馬鹿げている、そうだろう?短い人生、叶おうと叶うまいと身構えて吠えるだけさ、生半可な場所で満足してしたり顔をすることなんて死ぬまで出来やしない、共通認識にすべてを預けて、成長をでっち上げるなんて醜いにもほどがあるぜ、あんたにも、あんたにも、誰にも言いたいことなんてない、俺は現実を飲み込んで詩として吐き出すだけさ、そこにはどんな意図も存在しないんだ、いつも言ってるように―無駄口が多いのは不安で仕方がないのかい、まあいい、俺には相手する気なんかないよ、そんな暇があればひとつでも多く書いた方がずっと有意義だからね、あまり自由にはならない時間の中で僅かな隙間に指先を躍らせてる、踊り続けることだよと誰かが言った、それはそうだ、まるで異論は無い、だけど、踊ってるふりをしてるだけのやつらも大勢居る、まあ、こっちにやって来ないならなんでも、好きにやってくれりゃいいんだけどね…大豆のバーを齧りながら鼻を鳴らす、システムが大事なら大人しく社会に含まれればいい、型枠を必要としないのが俺の人生だ、同じようなものを書いているように見えるかい、でも少しずつ変化しているんだ、数年前まではひとつの意志を持った塊であることが大事だと考えていた、内容物にはあまりこだわりはしなかった、でも近頃は、そう―豆を厳選して珈琲を入れるみたいに書こうとしているよ、昔よりも隙の無いものが書きたいんだ、きちんと固めたコンクリみたいなものがさ…水をあまり入れずに丁寧に練り上げたコンクリさ、そいつはドリルを通すのも一苦労なんだ…そう、少し煩いくらいのものを書き上げたいのさ、そうすることがいまは大事なんだ、そうだな、でも―変化にきちんと気付いてくれる人間が居ることは嬉しいね、それが良いと思うか悪いと思うかなんてのはこの際どうだっていい話、大事なのは変化を続けることさ、同じことをやり続けるには特に、変わり続けることは必須科目だ、これは俺に限ったことじゃない、いろんな先人たちがやっていることだ、その時々の欲しいものを、手応えを追い求め続けなければならない、生涯通してひとつの詩を書き上げるのさ、いまはその為にいろいろなアプローチを試しているんだ、最初に手にしたやり方を頑なにやり続けるという方法も確かにあるだろう、それは一見格好良く見える、でもさ、俺にはどうも甘えのように思えて仕方が無いんだよ、国道だけを走り続けたって旅をしたとは言えないだろう?俺の言ってることわかるかな、いろんなやり方に身を委ねるのさ、スタイルが出来上がるのはいつだって最後の方の工程のはずだぜ、わかるだろう、これはまだ出来上がっていない、途中経過に過ぎないんだ、スタイルなんて簡単に出来上がるものじゃない、いや、出来上がってしまったらお終いなのかもしれないな、俺の詩をずらっと並べてごらん、十年くらい前のものからさ―一見同じ羅列型の長ったらしい詩に見える、でも、その一行一行の密度や勢いは常に形を変え続けている、そう、確かに途中までは変える気なんてなかった、俺は自分のスタイルを手に入れたのだと思っていた、でもそれは間違いだったんだ、蜃気楼のようなものだ、在るのか無いのかわからないものだからどこまでも追いかけてしまう、それが一番はっきりと間近で見える場所はあるのだろうかってね、そんなことになにか意味があるのかって?さあね、意味の有無なんてどうだっていい、それに興味を抱いてしまったのなら、納得が行くまで追いかけてみるべきなんじゃないかって思うだけだよ…誰も彼も、そんな行為に意味を求め過ぎるよね、生きるためのナントカとか、自己をより高みに持っていくための手段だとか―書くことをそっちのけにしてそんな意気込みばかり喋ってるやつだって居る、でもそういうやつって、たいていいつの間にか居なくなっちまうんだよな、なにに一生懸命になっている?そういう…自己暗示みたいなことをしていないと不安なのか?そんな労力を使う暇があるのなら一行でも多く書いた方がマシだと思わないか?感性や知識ももちろん大事だが、そいつを適材適所で上手く使うのは場数をこなさないと絶対に無理さ、もっと日常的な視点で、息をするのと同じようなやり方をするべきなんだ、現在地なんか気にしてもしょうがないよ、書き続けるというのは動き続けるということなのだから、測定結果が出る頃には数メートル先辺りに居るのがオチだぜ、

詩岩

2025-03-21 22:23:52 | 

音楽や言語の旋律によって意識が肉体から引き剝がされんとする瞬間、乖離の中に痛みや苦しみなど微塵もないことを知るだろう、人間としての知性と生物としての本能が共鳴するためには、生半可な覚悟じゃ到底成し遂げられない羅列が必要になる、それが意識の深奥を明らかにし、尚且つ、深層心理のストレージとして多分に役に立つ、普段意識出来ない階層というのは湖で言えば光が届かなくなる深さのその先、おいそれとは見ることが出来ない異形なるものたちが蠢くところ、そういう場所にこそ存在する理由がある、そちらに気を向けることが無い限り決して気付くことが出来ない、そういう領域にこそ―例えば俺が誰かに尋ねる、その場所を知っているかと、そいつがもしも首を横に振れば、俺はそいつへの興味のほとんどを失う、そいつはきっと違う理由で書いているのだろうから―どいつもこいつも手法にこだわる、見えるところさえ綺麗に色を塗っておけばそれでいいとでも思ってるんだろうさ、とりわけこの国には心ってもんが無い、遺伝子レベルで洗脳されている、そうされることに慣れている―だよね?だから、自我にこだわり続けている人間がまるで狂人のように扱われる、安全パイな幻想ばかりを選び、舗装された道を周囲と同じ速度で歩き続ける、そんな人生を疑いもしない傀儡にならなければ、誰も美味しいものを口に放り込んでくれはしない、とはいえそれは、別にここに限ったことじゃないのかもしれない、どこのどんな街に居たって、集団というのは盲目で愚かなものなのかもしれない、でも俺のやりたいことは、聖者と愚者の分布図を作成することじゃない、だから俺は周辺の話をすればいい、どのみち一番大事な話じゃない、とはいえ、まるで関係が無い話というわけでもない、まあ、つまりさ、入口にすら立っていない人間が先を歩いている人間の背中に唾を吐きかけるのは愚の骨頂だってこと、とあるミュージシャンが言った、「音楽っていうのは楽譜から生れたわけじゃない」っていう言葉を思い出す、なにかが生まれるにはそれだけの理由がある、これを詩に置き換えるとどうなるのかな、文法から生まれたわけじゃない―とかね―もしも詩というものがやり方次第でどうにかなるようなものだったなら、俺はとっくに書くのを辞めているだろうね、そりゃあそうさ、だってそんなもん、クソつまんないものでしかないからね、出世術みたいにさ、浅知恵やご機嫌伺いで成り上がれるような世界じゃない、だから俺はこれを気に入ってるんだ、もっと根源について考えてみるべきさ、自分がそれを選んだ理由や、書き続けているわけをきちんと考えてみなければならない、表現というのは無責任でいいものだ、論文やレポートとは違う、矛盾や破綻があるくらいの方が生身の人間としてはリアルに感じられるものさ、これは言葉を使った表現なんだ、内奥や皮膚感覚、瞬間的な察知能力、言葉を並べながら、それがなにを語ろうとしているのかを直感でキャッチしつつ、掴んでいるラインを維持して繋げていくんだ、ディスプレイに向かっている自分を出来る限り在りのまま焼き付けていくのさ、そうすることによって肉体は細胞レベルで分解され、不純物を取り除いた状態で再構成される、なにが必要でなにが不必要なのか、それを確認してデリートを実行していくのさ、デフラグとは違うんだ、整理整頓じゃない、より効率的に思考が流れやすいシステムを構築していくとでも言うのかな、だからさ、俺は書くことを休まないようにしている、身体はすぐに忘れてしまうからね、忘れるとほんの少し、システムは退化してしまう、旧モデルに戻ってしまう、そうするとまたモデルチェンジに持っていくための時間と体力を無駄に使うことになる、いつでも書いて居られる身体を維持しておくべきだ、内容なんてどうだっていい、もしかしたら手応えだってね―ただ黙って書き続けているだけでいいんだ、どのみち書く側と読む側の感覚は同じではない、求めるものが一致することなんて夢物語に近いんだから、好きに書くだけでいい、自分のコントロール下に置けないものの方が、読み返してみると面白かったなんてこともあるものさ、基礎体力を作るトレーニングのようなものさ、なにをするにもそれが無ければ大したことは出来ない、水が流れ続ける川は深く広くなって行くものさ、深度と速度が増すと、昔みたいな濁流には見えないかもしれない、ただただのんびりとした流れに見えるかもしれない、まあ、ちゃんと足を突っ込んで身体で感じてみなよ、そこにどれだけ確かな流れがあるかなんてすぐに知ることが出来るさ、そう、どんなにカッコよく吹かして見せてもね、そのあとくだらないものしか差し出せないようじゃまだまだ甘いってもんだぜ、俺は直感的に深層の思考を掬い取り飲み干すことが出来る、そこから得られる情報には終わりがない、死ぬまで書き続けられるくらいのストックはとっくにもう溜め込んでいるんだぜ。


どうせすべては塵になるから

2025-03-17 16:07:46 | 

人生の中でもしも、人が人でなくなる瞬間があるとすれば、俺が腰を下ろすのはそこに決まっている、型枠を取っ払った場所、余計な思考、余計な動作をまったく必要としない場所―人間という生命体にもしも正解なんてものがあるとしたら、その場所を自らの意志で求めることだと俺は思う、冷え切ったキッチンでインスタントコーヒーを入れるための湯を沸かしながら蠅のように周辺をうろつく思考の断片をキャッチして遊んでいた、形を成す前に飲み込まなければならない、大体の輪郭だけとらえておけばあとは精神と肉体が理解を進めてくれる、なんでもかんでも言葉で完璧に表そうとするのは、人間というアイデンティティで身動きが取れなくなったやつが犯す愚行だ、小さなケトルが蒸気を吹き上げる、マグカップを取って底にコーヒーの粉を落とし、湯を注ぐ、液状化した蒸気が茶色になって渦を巻いている、ブコウスキーの余った作品が一冊の本になるまでぶち込まれたハードカバーを捲りながらそれをゆっくりと飲み干すと、その日やるつもりだったほとんどが済んだ、たまには何も無い世界で頭を溶かさないと、時々本当に脳天が煙を噴き上げているかもしれないと感じるほど動き続けている時間がある、意気込みと作品にはなんの関係も無い、どんなに思いを込めた書いたものでも駄作は駄作だし、バラエティー番組を観ながら三行ずつ書いたものが絶賛されることだってある、こんなことを言うと傲慢に聞こえるかもしれないけれど、俺は駄作を書いたことはない、俺が書くべきことなんて書き始めた時からずっと一緒だからだ、つまり俺はなんの為に自分がそれをやっているのかきちんと理解してたってことさ―言語化しようと思ったことは一度もないけれどね、もしかしたら、最初の一行がある程度の説明にはなっているかもしれないね、コーヒーの苦みは気分を穏やかにさせた、今から書き始めても良かったがもう少し置くことにした、ある程度焦らした方が回転力は上がる、無理矢理に上げるよりも、それが生まれやすい状況を作る方がはるかに簡単だ、ソファーに身体を沈めて本の続きを読んだ、じわじわと粘度の高い溶岩のようにその日産まれたがっているものがせり上がってくる―俺は書きたくなったときに書くというやり方をしない、思いつこうが思いつかなかろうが週に一度必ずまとまった分量を書くと決めている、書く気が無い時でも書けるようにならなければ意味が無い、気まぐれで書いたり書かなかったりすることは俺の人生に何をもたらすこともない、いついつに書く、と設定しておけば身体は自然にそこに合わせて調整し始める、そろそろなにかを書くときだ、と、勝手にそれについて考え続けているという状態になる、それを書き残したりはせずに、生まれては落ちていくままに任せる、そうしておくとしかるべき時に勝手に這い上がって来て指先にしがみつくのだ、それは昨日思いついたことであることもあるし、何年も前に思いついてずっと忘れていたことでもある、俺の周辺にはいつでもそういう、思考の亡霊とでもいうものがうろうろと舞っている、大昔に見た夢を思い出すみたいにそれは唐突に目の前に現れる、その日書こうとしているテーマによって相応しいものたちが勝手にやって来る、詩作というのは自然的な行為だ、当り前にそこに在る日常の具現化だ、もちろんそれは、どこに何が置いてあるというような現実の描写ではない、そこに染み込んだ記憶や、感情や、閃きの記録なのだ、なぜ書くのか?人生に理由の無い連中なんかは俺が誰も知らない存在であることを茶化している、でも俺が書き続けるのは別に、有名になりたいからじゃない、ずいぶんとさもしい考え方だね、と笑って返すだけだ、なにか革新的なやり方を発明したいわけでもない、それは、書きたいものを持っていなくても出来ることだからだ、なぜ書くのか、それはつまり、鏡に自分の姿を映すように、自分の心を映すものが欲しいというだけのことなんだよ―だから俺は、出来事や感情のすべてに付箋をつけて、そいつらを事細かく解きほぐしていくんだ、それは絶対に必要なことなのさ、遊んでいる暇なんてないよ、頭の中では常に、目に映るものが分解されて並べられている、部品は組み方次第で調子が良くなったり悪くなったりする、ミリ単位での調整が必要になる、どこにどんな力をかけるのか、どことどこでボルトを締めればいいのか、そういった判断を正確に行わなければすべてが駄目になってしまう、しかもそれは、速ければ速いほどいいというものではないし、時間をかければいいというものでもない、すべてが適切な速度、適切な感度で行われなければいけない、しかもその基準は、一度たりとも同じであったことがない、熱に浮かされるみたいに書いたのなんてもう大昔の話だ、でも、今にして思えばあの頃にはまぐれ当たりみたいなものも沢山あったよ、あの頃本当に書きたいと思っていたものを今書いていると思うことがある、感情や感覚の連鎖、自然現象のように常に繰り返されているそれを、出来得る限りそのまま文字に落とし込みたい、そうすればそれはきっと、俺という人間のひとつの記録としてここに残り続ける。


Hostage

2025-03-07 17:07:22 | 

酷い火傷の様な深く疼く痛み、その痛みの上に無数の言葉をばら撒いて膿を解いた、あちこちで蠢く蛆虫の様な思念が、敵なのか味方なのか判別出来なかった、俺もまたそんな、薄気味の悪い境界線の上で歩みを続けているせいだった、焦げた血液の様な臭いがした、もちろん、そんなものの臭いなど嗅いだことはないが―そう形容する以外どんな言葉も無いような臭いだった、あらゆる感覚は寄生虫のようにだらしなくぶら下がっていた、どんな蓄積も役に立たない瞬間というものは必ずある、また、そういう思いをしなければ思い出すことは出来ない、生き続けてきた理由がなんであったか…俺はいつまで経っても悍ましい肉塊であり、貪欲な根源を抑え込み続けていた、とは言え、そのどちらかを切り離して生きることはおそらく不可能だったし、いささか調整が欠けているのはおそらく俺自身の落度だった、俺は美しい花の様な毎日など望まなかった、生まれて来た以上はすべてを知るべきだと早い段階でわかっていた、建前を受け入れてしたり顔を貼り付けて生きることなど一秒も御免だった、いつでも自分が向かうべきだと思う方向を取った、当然ながらそれは正しいことも間違っていることもあった、でもそんなことはどうでもよかった、それは結果そうだったというだけのものでしかないからだ、俺が欲しいものは始めから結果などではなかった、火に炙られて初めてその熱さを知るように、あらゆる現実を身体に刻みたかったのだ、俺が俺である為に必要な通過儀礼だった、そしてそれは、俺が自己を得てから死ぬまで、延々繰り返されるものなのだ、俺が途中でそれを叩き折ったりしない限りは、ね…そうさ、血液が焦げたような臭いだ、いつだってその臭いの正体が知りたかった、太陽の光の眩しさや、月の光の穏やかさについて語るよりも、いつだってそれについて語りたかった、だからこんなものに手を染めたのだ、それが俺をどこに連れて行くかなんてことはどうでもよかった、簡単に言えば、俺はどんな前置きも無くそこに飛び込んで塗れたかったのだ、途轍もなく不吉な騒めきの中に―生温く薄暗い、腐肉の上を歩くみたいなトンネルの中を、吐瀉物を書き殴りながら一歩一歩を地面に刻むように歩き続けた、そうしないと自分の名前すら忘れてしまうのではないかという気がしていたのだ、だがしかし、歩みを進めるに従って自我は果てしない成長を続けた、見るべきものを見、口に放り込み咀嚼して飲み込んだ、それは肉となり、そして血となって全身を駆け巡った、肉体に刻み込まれたものだけが俺の言葉と成り得る、俺はそれを快楽と認識し、あらゆるものを食らいながら陰鬱な景色の中を歩き続けた、他のどこに行く気も無かった、自分で選択したのだから歩き続けるべきだということはわかっていた、初めは痛みがあるばかりだった、そう、酷い火傷みたいな…しかしそれはいつしか緩み、俺の身体の中心で太い幹の様なものになった、それが体内にいろいろなものを循環させた、肉体と精神が様々な現象に慣れて、それを飲み込みながら分析する余裕すら出来た、俺は地震計測器の様にこの肉体の揺れを記録し続けていたのだった、それは時々システムを更新する必要があった、だから俺は綴り始めた、それがすべてを円滑に進めるためのオイルの様なものだった、そうして得てきたものにある程度の脈絡を与えることによって、俺は自分が飲み込んできたものたちの正体を知ることとなった、その為に立ち止まって情報を吟味したりはしなかった、歩みを止めるのは愚かなことだった、それはあくまで歩みの中で自然に表出し、悟られた、そうする頃にはどこを歩いているかなどと気にすることもなくなった、いつしかそれは渇き、平坦で開けた、明るい一本の道となっていた、だが俺は理解していた、すべては所詮同じ道の上なのだと―現象のすべては、この俺の心情を反映しているのだと―俺は様々な現象を理解し、自らの奔流に振り回されることなく、自在に操ることが出来るようになっていた、俺が吐く血反吐を見て喜んでいた連中は面白くない顔をしたけれど、俺は自分が描いてきた軌跡にだいたい満足していた、だいたい、ひとつ山を越えたところでなにも終わりはしないのだ、歩み続けていれば、いつでも自分と向き合うことになる、それが地獄のようであろうと天国のようであろうと、別段頓着することは無い、それは結果を求めないことと同じことだ、それはこれからも大気のように荒れたり萎えたりする、俺はただそこを潜り抜けるだけでいい、時には怪我をするかもしれない、これまでにもあったように、命を落としかけることだってあるかもしれない、けれどその度に俺はなにかを手にし、また新しく綴ることが出来る、覚えてるか、昔俺はこう言った、詩人は兵士なのだと…そいつに砲撃の雨を降らせ続けているのはいったい誰だと思う?それは他ならぬそいつ自身なんだぜ。