夜明けのダイナー(仮題)

ごった煮ブログ

JAF GP2012(その18・レジェンドカップ前編)

2012年12月19日 21時35分03秒 | 自動車関連
2012年11月18日です


「本日のメインイベントだな」と周囲のある人が言ってたが、ある意味当たってるレースが開始されます。
往年の名レーサーが集いバトルする
レジェンドカップ
です。
――このイベント以外では見れないメンツでしょうね。 流石JAF GPと言った所でしょうか?

2010年の初回はマツダ・ロードスター、二回目の去年はホンダ・CR-Z、今回はトヨタ・ハチロクのワンメイクで年齢に関係なく本人の『腕』がそのまま成績に出ます……と言いたい所ですが、予選トップの黒澤琢弥選手は『年齢補正』で後方グリッドに下げられました(笑)

※以下の選手紹介はエントリーリストのコピペです


100号車・高橋国光選手
2輪のロードレース世界選手権で日本人初優勝を成し遂げ、1965年に日産ワークスから4輪デビュー。日産R382からサニーまでさまざまなクルマで活躍。73年から富士GCに参戦し、F2にも進出。85~87年には3年連続ポルシェで全日本耐久選手権を制し、以後も59歳までJGTCで活躍した“レースの鉄人”。


55号車・津々見友彦選手
1963年の第1回日本グランプリにDKWでレースデビュー。その後日産、トヨタ、そしていすゞのワークスチームを経て70年以降はプライベーターとして活躍した。85年に始まった全日本ツーリングカー選手権にプレイングマネージャーとして参戦しチームを王座に。


81号車・見崎清志選手
1965年にホンダS600でレースデビュー。活躍が認められ67年にトヨタ・ワークス入り。パブリカからトヨタ7までさまざまなクルマを駆り活躍。73年には富士GCにも挑戦した。その後、一時的なブランクもあったが82年のWEC in JAPANで3位に入賞。グループAのJTCでも活躍した。


3号車・長谷見昌弘選手
2輪のモトクロスで活躍した後、日産と契約して1965年に4輪デビュー。日産車で活躍する一方で富士GC/FJ1300にも参戦。74年から国内トップフォーミュラでも活躍した。76年に富士で行われたF1レースの予選で、あわやポールの好タイムをマークして注目を集めた。昨年のレジェンドカップ優勝者。


11号車・星野薫選手
68年の富士フレッシュマンにカローラでデビュー。主にツーリングカーで活躍し78年にはツインカム・スターレットで富士マイナー・ツーリング王者に。82年には富士GCにも参戦。TEAM TOM'Sに所属しツーリングカー/グループCで活躍。その後、JGTCにも参戦した。


37号車・関谷正徳選手
1971年の富士500kmでレースデビュー。サバンナで活躍した後、78年には富士GCに進出した。83年にTEAM TOM'Sと契約しツーリングカーやグループCで活躍。一方86年からはレイトンハウスよりF3000/富士GCに参戦。92年のル・マンで2位、95年には日本人初の総合優勝を飾った。


20号車・柳田春人選手
69年にフェアレディ2000でレースデビュー。72年の富士GC第2戦では大雨のコンディションを制し総合優勝。『雨の柳田』『Zの柳田』と讃えられた。以後もフェアレディZを駆り富士スーパーツーリングで活躍、78年チャンピオンに。その後もさまざまなカテゴリーで活躍。


82号車・寺田陽次郎選手
1965年にホンダS600でレースデビュー。その後マツダオート東京に入社し、70年からロータリークーペで参戦。73年には富士GCにも。74年にはル・マン24時間にも初参戦。80年代にはマツダスピードから参戦し、83年にはクラス優勝。29回の出場を誇り、“ミスター・ル・マン”と呼ばれる存在でもある。


18号車・鮒子田寛選手
1965年にホンダS600でレースデビュー。翌66年にはトヨタから抜擢され、若きエースとしてトヨタ7などを駆り活躍。70年にはトヨタを離れ、単身渡米してF5000に参戦。帰国後はトップカテゴリーを中心に、幅広く活躍。73、75年にル・マン24時間レースに参戦した。


17号車・鈴木恵一選手
68年にブルーバードでレースデビュー。以後はカローラやサニー、スターレットを駆りマイナーツーリングレースで活躍。後にミドルフォーミュラからグループCまであらゆるレーシングカーをドライブ。96年と98年にはGT300で全日本GT選手権のチャンピオンに輝いている。


7号車・桑島正美選手
1969年の富士フレッシュマンにブルーバードSSS でデビュー。72年に渡英しF3に参戦。73年はヨーロッパF3を転戦し74年にはF2にステップアップ。75年半ばに帰国。以後は国内のトップカテゴリーで活躍。デビュー時の黒いレースカーとヘルメットから『黒い稲妻』と呼ばれた。


2号車・土屋圭市選手
1977年に富士フレッシュマンでレースデビュー。全日本ツーリングカー選手権(JTC/JTCC)や全日本GT選手権などで活躍。ドリフト競技や自動車評論、MCでも人気で“ドリキン(ドリフトキング)”と呼ばれる。ル・マン24時間にも参戦し95年にはLMGT2クラスで優勝し、99年には総合2位になる。


51号車・岩城滉一選手
1980年にサニーでレースデビュー。主に耐久レースで腕を磨き、86年に全日本F3にステップアップしたのを皮切りに88年には富士GCに、そして90年には国内トップフォーミュラのF3000に進出。現在はチームイワキのライダー兼監督として2輪で活動している。


12号車・星野一義選手
2輪のモトクロスで活躍した後、1969年に日産と契約し、スカイラインGT-Rでデビュー。74年にはFJ1300(現在のF3に相当)に参戦。活躍が認められ同年の最終戦でトップフォーミュラのF2000へ。F2、F3000、FN、Gr.A、Gr.C、GT等多くのカテゴリーで多くの勝ち星を挙げ、『日本一速い男』と呼ばれた。


15号車・岡田秀樹選手
1977年にサバンナRX3でレースデビュー。80年代に入ってサバンナRX7のGr.5仕様に乗り頭角を現す。85年には富士GC/グループCにもステップアップ。また同年から始まったグループAの全日本ツーリングカー選手権では、シビックで4度もドライバー王座に就いている。


6号車・黒澤琢弥選手
1985年の筑波300kmでレースデビュー。87年には渡英してFフォードに参戦。88年にF3にステップアップ。90年からはF3000にも進出しトップカテゴリーで活躍。往年の名ドライバー、黒澤元治氏の息子。アグレッシブな走りからF1人気選手にちなんで『和製マンセル』とも呼ばれた。


8号車・鈴木亜久里選手
カートを経て1979年にF3で4輪デビュー。84年に日産のF3エンジン開発を担当し、翌85年にワークスに抜擢。全日本F2/F3000や富士GCでも活躍し、86年にはグループAで、88年にはF3000でチャンピオン。88年の日本GPでF1デビュー。翌年から日本人2人目のレギュラードライバーとなった。


0号車・片山右京選手
1983年にFJ1600でレースデビュー。85年に全日本F3にステップアップ。同年に渡仏しFルノーのスクールを受講。翌86年はフランスでFルノーに参戦。攻撃的な走りで“カミカゼ・ウキョウ”と呼ばれた。全日本F3000チャンピオンを経て92年、日本人3人目のF1レギュラードライバーとなる。


24号車・近藤真彦選手
1984年に富士フレッシュマンにパルサーでデビュー。星野一義氏に師事し88年にはF3にステップアップ。94年から始まった全日本GT選手権にも参戦。また同年ル・マン24時間レースにも参戦するなど、人気ある歌手・役者でありながら、以後もFN/JGTCなどトップカテゴリーで活躍した。


これで全車撮影したと思ったら……
32号車撮れてねぇ!
――タイミング逃したみたい(泣) んじゃ紹介だけでも。

32号車・中嶋悟選手
1973年にロータリークーペでレースデビュー。75年からFLなどでも活躍。77年にFJ1300とF2000にステップアップ。FJ1300で王座に。78年からトップカテゴリーに専念。以後、国内メジャータイトルを数多く獲得。87年には日本人初のレギュラードライバーとしてF1に参戦し、海外進出ドライバーの礎となった。


一先ずダミーグリッド上に全車並びまして


グリッドウォークが行われました。
現役選手が居並ぶグリッドウォークとは違い、引退した選手ばかりだから貴重な機会ですよね。

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