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書道は漢字文化から発生した東洋の文明=哲学文化遺産であり、芸術=ARTよりも奥が深い。(2014.2.13記載)

小倉百人一首<大意~解説>続

2015-06-03 09:48:42 | 小倉百人一首

 
順徳院100
「百しきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」
<大意>皇居の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけ、よく治まっていた延喜・天暦の世が懐かしい。いくらしのんでも偲びきれないことです。
<解説>「続後撰集 巻18 雑」 作者は第84代天皇。13歳で即位。後鳥羽院を中心に政権奪回のため挙兵するが敗北。佐渡に流罪~在島22年(46歳)で崩御した。

後鳥羽院099
「人もをし ひとも恨めし あじきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は」
 <大意>あるいは人がいとおしく思われたり、恨めしく思われて嘆かわしいことです。面白くない世だと思って色々物思いする自分なのです。
<解説>「続後撰集 巻17 雑」 作者は高倉天皇の第4皇子。寿永2年安徳天皇のあとを受けて4歳で即位。鎌倉幕府討伐で隠岐に流罪~在島19年で崩御する。

従二位家隆098
「風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりけり」
 <大意>風がそよそよと楢の葉を吹き渡るころに、奈良の小川の夕方は秋気配ですが、川辺のみそぎを見るとまだ夏なのだなぁと思います。
<解説>「新勅撰集 巻3 夏」 作者は歌を俊成に学び、定家と並び称された歌人である。80歳で没。

権中納言定家097
「来ぬ人を まつほのうらの 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつゝ」
<大意>いくら待っても来ない人を待っていると、松帆の浦の夕凪の頃に焼く藻塩が火に焦がれるように、私の身も恋焦がれてせつなくなります。
<解説>「新勅撰集 巻13 恋3」 作者は藤原俊成の子。家柄才能に恵まれ、家隆と並び歌壇に君臨した。後世の歌学にも多大の影響をもたらした。

入道前太政大臣096
「はなさそふ あらしの庭の 雪ならで ふり行く物は わが身なりけり」
<大意>あらしが花を散らすような庭の落花の雪降りでなくて、ふりゆくものは年を重ねてだんだんと古くなってゆく私自身なのです。
<解説>「新勅撰集 巻16 雑」 作者は貞応元年に太政大臣となる。寛喜3年病気・出家して法名を覚空といい、寛元2年74歳で没。

前大僧正慈円095
「おほけなくうき世の民に おほふかな わが立つそまに すみぞめのそで」
<大意>私は不徳ですが身分不相応にも比叡山に住み着き、墨染めの袖を世の衆生の上に覆いかけて済度しようとしているのです。
<解説>「千載集 巻17  雑」 作者は11歳で延暦寺座主覚快法親王の弟子となり、建久3年歳で天台宗座主となる。喜禄元年71歳で没。

参議雅経094
「みよし野の 山の秋風 さよふけて ふる里寒く ころも梼つなり」
<大意>吉野の山から吹いてくる秋風とともに、吉野の里では寒々と衣を打つ音が聞こえてきます。
<解説>「新古今集 巻5 秋」 作者は貞応元年に従一位太政大臣となる。和歌以外に「蹴まり」の名手であった。

鎌倉右大臣093
「世の中は 常にもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの 綱手かなしも」
<大意>世の中は永久不変であってほしいものです。そうならば波打ち際をこぐ漁夫の小舟が網手を引く面白い風情がいつまでも見られることでしょう。
<解説>「新勅撰集 巻8 羇旅」 作者は兄頼家が将軍の地位を北条氏に追われたため12歳で3代将軍となる。28才の時鶴岡八幡宮参拝の帰りに頼家の子公暁に殺される。

二条院讃岐092
「わが袖は 汐干に見えぬ おきの石の 人こそ知らね かわく間もなし」
<大意>私の袖は、潮が引いた時にも現れない沖の石のように、人は知らないけれど恋い慕う涙で乾く間もないのです。
<解説>「千載集 巻12  恋2」 作者は建保5年頃の女流歌人である。風流の才に富み歌才に優れていた。

後京極摂政前太政大臣091
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに ころも片敷き 一人かも寝む」
<大意>こおろぎが鳴いている霜の降る寒い夜に、むしろの上に片袖を敷いて一人寂しく寝ているのです。
<解説>「新古今集 巻5 秋」 作者は元久元年従一位太政大臣となったが、建永元年38歳で急逝した。仮名序の能書家であった。


 
殷富門院大輔090
「見せばやな 雄島の海士の 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず」
<大意>つれないあなたに見せたいものです。松島の雄島のあまの袖さえも波に浸かって濡れても色は変わらないのに、私の袖はあなたのつれなさ故に血の涙にぬれて紅く染まっています。
<解説>「千載集 巻14  恋4」 作者は鎌倉初期の著名な女流歌人である。

式子内親王089
「玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば しのぶる事の よはりもぞする」
<大意>私の命よ絶えるなら早く絶えてしまっておくれ。このままだと~恋の苦しさをこらえる力が弱り果てて、人目に付くことになるであろうから。
<解説>「新古今集 巻14  恋4」 作者は後白河天皇の第3皇女で、新古今集の代表的な女流歌人である。源平の乱に巻き込まれる悲運を歌に詠んだ。

皇嘉門院別当088
「難波江の 芦のかりねの ひとよゆえ みをつくしてや 恋ひ渡るべき」
<大意>難波の入江に生えている芦の刈り取った根の一節ではないが、一夜の契りであったのに、命のある限り恋しく思い続ける年月をこれからも過ごすのでしょうか。
<解説>「千載集 巻13  恋3」 作者は永治元年皇太后、久安6年門院号を贈られた。

寂蓮法師087
「むら雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕ぐれ」
 <大意>あわただしく降りすぎていた村雨の露がまだ乾ききらない槙の葉に、霧が立ち上ってゆく秋の夕暮れは寂しいことです。
<解説>「新古今集 秋」 作者は俗名藤原定長、出家して寂蓮と称する。新古今集の代表的な歌人である。

西行法師086
「なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 我がなみだかな」
<大意>なげけと言って月が物思いをさせているのか。そうではあるまいが、いかにも月のせいのようにこぼれ落ちる涙であることか。
<解説>「千載集 巻15  恋5」 作者は武士の家柄で文武の誉れ高かった。23歳で出家して、殆どを旅をして吟遊した。73歳で没。

俊恵法師085
「夜もすがら もの思ふころは 明けやらで 閨のひまさえ つれなかりけり」
<大意>一晩中つれない人を恨んで思い悩むこの頃は、早く夜が明けてもらいたいと思うのだが、中々開けないでねやの板戸の隙間まで一向に白んでこない無常な事だよ。
<解説>「千載集 恋」 作者は東大寺の僧であった。方丈記の作者鴨長明の師として有名である。

藤原清輔朝臣084
「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」
<大意>この先も生きながらえるのなら、辛いと思う今のこの世も懐かしく思うことだろう。以前の辛く苦しい思いも今思うと懐かしく思い出されるのだから。
<解説>「新古今集 雑」 作者は勅撰集その他の解説・歌評をこころみており、歌学者として才能を発揮した。74歳で没。

皇太后宮大夫俊成083
「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる」
 <大意>あ~世の中の辛さから逃れる道はないものでな。逃れようと思い、山の奥に入ってきたものの、憂きことがあるのか鹿も悲しそうに鳴いていることだ。
<解説>「千載集 雑」 作者は藤原俊忠の子。文治3年後白河上皇の命で編纂を命じられて千載集を編纂した。元久元年91歳で没。

道因法師082
「おもひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり」
<大意>思う人に逢えないで思い煩っていても命だけはつきずに残っています。それに涙だけは辛さに耐えかねて溢れ出てきます。
<解説>「千載集 恋3」 作者は崇徳天皇に仕えて、後に出家して、延暦寺に入り大法師と言われた。没年不明だが90歳まで生きたという。

後徳大寺左大臣081
「時鳥 鳴きつるかたを ながむれば たゞ有明の 月ぞのこれる」
<大意>ほととぎすが鳴いたので、すぐに鳴声のした方を眺めたのですが、その姿は見えないで空にはただ有明の月だけが残っているばかりであった。
<解説>「千載集 夏」 作者は学識才能に恵まれ、歌人としても優れていた。建久2年53歳で没。

 
待賢門院堀河080
「ながからむ 心も知らず 黒髮の 乱れて今朝は 物をこそ思へ」
 <大意>これから先も変わらないお心なのかどうかわからないので、寝乱れた黒髪のように今朝の私の心は乱れて、黒しい物思いに悩んでいます。
<解説>「千載集 恋3」 作者は鳥羽天皇の皇后・待賢門院の女房(伯女)で堀河と呼ばれた。1級の女流歌人実力者であった。

左京大夫顕輔079
「秋風に たなびく雲の 絶え間より 洩れ出づる月の 影のさやけさ」
<大意>秋風に吹かれて空にたなびいている雲の切れ間から、洩れ出る月光のさえざえと清らかで明るい姿であることよ。
<解説>「新古今集 秋」 作者は堀川、鳥羽、崇徳、近衛の4朝に仕えた。当時流行の技巧的歌風を否定して、古風に変えることを好んだ。

源兼昌078
「淡路島 かよう千鳥の 鳴くこゑに いく夜ねざめぬ 須磨の関守」
<大意>淡路島へ行き来する千鳥の鳴き声に、須磨の関守は幾晩も眠れない夜を過ごしたことであろうか。 
<解説>「金葉集 冬」 作者は歌会にはよく出たがあまり有名ではなかった。天永3年39歳で没。(鳥羽天皇の時代)

崇徳院077
「瀬をはやみ 岩にせかるゝ 滝川の われても末に あはむとぞ思う」
<大意>川の流れが速くて一旦は岩にせき止められていた急流があとでは一緒になるように、私たちの間も今はせき止められていますが、末には必ず会おうと思っています。
<解説>「詞花集 恋」 作者は第75代鳥羽天皇の第1皇子である。5歳で即位したが、保元の乱の責任者として讃岐に遷された。46歳で崩御。

法性寺入道前関白太政大臣076
「わたの原 漕ぎ出でゝ見れば久方の 雲いにまがふ 沖つ白波」
<大意>海原に舟を漕ぎ出してみると、海と空とが一つになって見分けがつかないような沖合の白波のおもしろさであるよ。
<解説>「詞花集 雑」 作者は藤原忠通であり、後に弟の頼長との不和がもとで「保元の乱」にまで発展した。66歳出家し、68歳で没する。

藤原基俊075
「契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり」
<大意>お約束くださった「させも草」という恵みの露のようね言葉を命にして待っておりましたが、その甲斐もなく今年の秋も過ぎてゆくようです。
<解説>「千載集 雑」 作者は歌才学才に秀でて、歌は藤原公任に師事して温雅な風を理想とした。

源俊頼朝臣074
「うかりける 人を初瀬の 山おろし はげしかれとは 祈らぬものを」
<大意>私につれなくあたった人の心を和らげようと初瀬の観音様にお祈りしたのに、初瀬山から吹き下ろす風はますますひどくなりますよ~
<解説>「千載集 恋2」 作者は堀川、鳥羽、崇徳天皇の3朝に仕え、元治元年白河院から勅撰集の編纂を命じられて金葉集を撰した。

権中納言匡房073
「高砂の尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ」
 <大意>向うの高砂の峰に桜が咲いたので、その景色が見えないと困るので手前の低い山からの霞は立たないでほしいものだ。
<解説>「後拾遺集 春」 作者は平安朝の大儒であり、江師と呼ばれていた。8歳で史記漢書に通じて神童といわれた。71歳で大蔵卿に任じられ、兵法の師でもあった。

祐子内親王家紀伊072
「音に聞く 高師の浜の あだ浪 かけじや袖の 濡れもこそすれ」
<大意>評判の高い高師の浜のよせる、むやみに立ち騒ぐ波のような浮気なあなた様には私は思いをかけないつもりです。後で捨てられて嘆きで袖が濡れると困りますから。
<解説>「金葉集 恋」 作者は紀伊守であったので、紀伊と呼ばれた。

大納言経信071
「夕されば 門田の稲葉 おとずれて 芦の丸屋に 秋風ぞ吹く」
<大意>夕方になると家の門前にある田の稲葉にそよそよと音を立てて芦葺きの小屋に秋風が吹いてくるのです。
<解説>「金葉集 秋」 作者は寛治8年大宰権師に任ぜられ、後三条から堀川天皇まで6代の天子に仕えた。博学多才で、和歌詩文管弦ともに優れる。


 
良暹法師070

「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ」
<大意>秋の夕方は淋しくて堪えがたいので、家を出て眺め渡すと、どこもかしこも同じように淋しい秋の夕方であることよ。
<解説>「後拾遺集 秋」 作者は能因と同じ時代の歌僧で叡山の僧。晩年は大原・雲林院に住んだ。家系・伝記など不詳~。

能因法師069
「嵐ふく 三室の山の もみぢばは たつ田の川の 錦なりけり」
<大意>嵐が吹き付ける三室の山のもみぢ葉は散っては浮かんでおり、竜田川の美しい錦というべきものです。
<解説>「後拾遺集 秋」 作者は歌が好きで藤原長能に師事して和歌に精進した。36歌仙の一人で、「能因歌枕」「八十島記」を著す。出家して能因に改名した。

三条院068
「心にも あらでうきよに 長らへば 恋しかるべき 夜半の月かな」
<大意>もはやこの世に生き長らえようという望みもありませんが、意に反して憂き世に長らえているならば、さぞかし恋しく思われる今夜の月であるなぁ。
<解説>「後拾遺集」 作者は御名を居貞(おきさだ)と言い、後冷泉天皇の第2皇子である。目が悪く失明するなど、不幸な生涯であった。

周防内侍067
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそおしけれ」
 <大意>あなたは手を枕にせよとおっしゃいますが、春の夜の夢のような短い時間の手枕ではなんの甲斐もなく、浮名がたてばそれこそ誠に残念で口惜しいことです。
<解説>「千載集 雑」 作者は4代天皇(後冷泉、後三条、白河、堀川)の内侍であった。宮仕え良く宮中での評判も良く多くの男から歌が寄せられた。

前大僧正行尊066
「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」
 
<大意>お互いにあはれだと思ってくれよ山桜、こんな山奥に来たらお前よりほかに誰も知人はいないのだから。
<解説>「金葉集 雑」 作者は治歴2年12歳で三井寺で出家、諸国行脚して、歌僧として世にきこえた。

相模065
「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそおしけれ」
<大意>人のつれなさを恨み涙で乾く暇のない袖さえ口惜しいのに、この恋のために私の名を朽ち果てさせてしまうのかと思うと尚更に口惜しいのです。
<解説>「後拾遺集 恋4」 作者は当代一流の歌人~

権中納言定頼064
「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」
 
<大意>夜明け方に宇治川に立ち込めていた川霧切れ切れになっていく。その絶え間から瀬毎に立っている網代木がだんだん現われくる。その景色はとてもおましろいです。
<解説>「千載集 冬」 作者は歌人であり能書家でもあった。寛徳2年没。網代木とは、魚を捕るために川にはった竹のすのこと。

左京大夫道雅063
「今はたゞ 思ひ絶えなむと ばかりを 人づてならで いふよしもがな」
<大意>こんな事態となった今となっては、只もう思い切ってしまいましょうという一言だけを、人づてでなく直接あの人に告げる手立てがあればよいのですが。
<解説>「後拾遺集 恋3」 作者は中古36歌仙の一人。天喜2年63歳で没した。歌人としては余り有名でなかった。

清少納言062
「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
 <大意>あなたは例え孟嘗君の故事にならって夜のまだ明けないうちに、にわ鳥の鳴き声を真似してだまそうとしても、函谷関はだませても私たちの関は通過できませんよ。
<解説>「後拾遺集 雑」 作者は「枕草子」を著し随筆家として不朽の名をなした。晩年は尼となり、悲惨な生活を送ったといわれる。

伊勢大輔061
「いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほいぬるかな」
 <大意>昔の奈良の都の八重桜が、今日はこの京都の宮中にて、昔と変わりなく一段と美しく咲き匂っています。
<解説>「詞花集 春」 作者は和泉式部、紫式部、赤染衛門、馬内侍と共に、後世から利壺の5歌仙と呼ばれる。中古36歌仙の一人。


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