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書道は漢字文化から発生した東洋の文明=哲学文化遺産であり、芸術=ARTよりも奥が深い。(2014.2.13記載)

小倉百人一首<大意~解説>続

2015-06-03 09:48:42 | 小倉百人一首

 
順徳院100
「百しきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」
<大意>皇居の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけ、よく治まっていた延喜・天暦の世が懐かしい。いくらしのんでも偲びきれないことです。
<解説>「続後撰集 巻18 雑」 作者は第84代天皇。13歳で即位。後鳥羽院を中心に政権奪回のため挙兵するが敗北。佐渡に流罪~在島22年(46歳)で崩御した。

後鳥羽院099
「人もをし ひとも恨めし あじきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は」
 <大意>あるいは人がいとおしく思われたり、恨めしく思われて嘆かわしいことです。面白くない世だと思って色々物思いする自分なのです。
<解説>「続後撰集 巻17 雑」 作者は高倉天皇の第4皇子。寿永2年安徳天皇のあとを受けて4歳で即位。鎌倉幕府討伐で隠岐に流罪~在島19年で崩御する。

従二位家隆098
「風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりけり」
 <大意>風がそよそよと楢の葉を吹き渡るころに、奈良の小川の夕方は秋気配ですが、川辺のみそぎを見るとまだ夏なのだなぁと思います。
<解説>「新勅撰集 巻3 夏」 作者は歌を俊成に学び、定家と並び称された歌人である。80歳で没。

権中納言定家097
「来ぬ人を まつほのうらの 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつゝ」
<大意>いくら待っても来ない人を待っていると、松帆の浦の夕凪の頃に焼く藻塩が火に焦がれるように、私の身も恋焦がれてせつなくなります。
<解説>「新勅撰集 巻13 恋3」 作者は藤原俊成の子。家柄才能に恵まれ、家隆と並び歌壇に君臨した。後世の歌学にも多大の影響をもたらした。

入道前太政大臣096
「はなさそふ あらしの庭の 雪ならで ふり行く物は わが身なりけり」
<大意>あらしが花を散らすような庭の落花の雪降りでなくて、ふりゆくものは年を重ねてだんだんと古くなってゆく私自身なのです。
<解説>「新勅撰集 巻16 雑」 作者は貞応元年に太政大臣となる。寛喜3年病気・出家して法名を覚空といい、寛元2年74歳で没。

前大僧正慈円095
「おほけなくうき世の民に おほふかな わが立つそまに すみぞめのそで」
<大意>私は不徳ですが身分不相応にも比叡山に住み着き、墨染めの袖を世の衆生の上に覆いかけて済度しようとしているのです。
<解説>「千載集 巻17  雑」 作者は11歳で延暦寺座主覚快法親王の弟子となり、建久3年歳で天台宗座主となる。喜禄元年71歳で没。

参議雅経094
「みよし野の 山の秋風 さよふけて ふる里寒く ころも梼つなり」
<大意>吉野の山から吹いてくる秋風とともに、吉野の里では寒々と衣を打つ音が聞こえてきます。
<解説>「新古今集 巻5 秋」 作者は貞応元年に従一位太政大臣となる。和歌以外に「蹴まり」の名手であった。

鎌倉右大臣093
「世の中は 常にもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの 綱手かなしも」
<大意>世の中は永久不変であってほしいものです。そうならば波打ち際をこぐ漁夫の小舟が網手を引く面白い風情がいつまでも見られることでしょう。
<解説>「新勅撰集 巻8 羇旅」 作者は兄頼家が将軍の地位を北条氏に追われたため12歳で3代将軍となる。28才の時鶴岡八幡宮参拝の帰りに頼家の子公暁に殺される。

二条院讃岐092
「わが袖は 汐干に見えぬ おきの石の 人こそ知らね かわく間もなし」
<大意>私の袖は、潮が引いた時にも現れない沖の石のように、人は知らないけれど恋い慕う涙で乾く間もないのです。
<解説>「千載集 巻12  恋2」 作者は建保5年頃の女流歌人である。風流の才に富み歌才に優れていた。

後京極摂政前太政大臣091
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに ころも片敷き 一人かも寝む」
<大意>こおろぎが鳴いている霜の降る寒い夜に、むしろの上に片袖を敷いて一人寂しく寝ているのです。
<解説>「新古今集 巻5 秋」 作者は元久元年従一位太政大臣となったが、建永元年38歳で急逝した。仮名序の能書家であった。


 
殷富門院大輔090
「見せばやな 雄島の海士の 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず」
<大意>つれないあなたに見せたいものです。松島の雄島のあまの袖さえも波に浸かって濡れても色は変わらないのに、私の袖はあなたのつれなさ故に血の涙にぬれて紅く染まっています。
<解説>「千載集 巻14  恋4」 作者は鎌倉初期の著名な女流歌人である。

式子内親王089
「玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば しのぶる事の よはりもぞする」
<大意>私の命よ絶えるなら早く絶えてしまっておくれ。このままだと~恋の苦しさをこらえる力が弱り果てて、人目に付くことになるであろうから。
<解説>「新古今集 巻14  恋4」 作者は後白河天皇の第3皇女で、新古今集の代表的な女流歌人である。源平の乱に巻き込まれる悲運を歌に詠んだ。

皇嘉門院別当088
「難波江の 芦のかりねの ひとよゆえ みをつくしてや 恋ひ渡るべき」
<大意>難波の入江に生えている芦の刈り取った根の一節ではないが、一夜の契りであったのに、命のある限り恋しく思い続ける年月をこれからも過ごすのでしょうか。
<解説>「千載集 巻13  恋3」 作者は永治元年皇太后、久安6年門院号を贈られた。

寂蓮法師087
「むら雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕ぐれ」
 <大意>あわただしく降りすぎていた村雨の露がまだ乾ききらない槙の葉に、霧が立ち上ってゆく秋の夕暮れは寂しいことです。
<解説>「新古今集 秋」 作者は俗名藤原定長、出家して寂蓮と称する。新古今集の代表的な歌人である。

西行法師086
「なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 我がなみだかな」
<大意>なげけと言って月が物思いをさせているのか。そうではあるまいが、いかにも月のせいのようにこぼれ落ちる涙であることか。
<解説>「千載集 巻15  恋5」 作者は武士の家柄で文武の誉れ高かった。23歳で出家して、殆どを旅をして吟遊した。73歳で没。

俊恵法師085
「夜もすがら もの思ふころは 明けやらで 閨のひまさえ つれなかりけり」
<大意>一晩中つれない人を恨んで思い悩むこの頃は、早く夜が明けてもらいたいと思うのだが、中々開けないでねやの板戸の隙間まで一向に白んでこない無常な事だよ。
<解説>「千載集 恋」 作者は東大寺の僧であった。方丈記の作者鴨長明の師として有名である。

藤原清輔朝臣084
「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」
<大意>この先も生きながらえるのなら、辛いと思う今のこの世も懐かしく思うことだろう。以前の辛く苦しい思いも今思うと懐かしく思い出されるのだから。
<解説>「新古今集 雑」 作者は勅撰集その他の解説・歌評をこころみており、歌学者として才能を発揮した。74歳で没。

皇太后宮大夫俊成083
「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる」
 <大意>あ~世の中の辛さから逃れる道はないものでな。逃れようと思い、山の奥に入ってきたものの、憂きことがあるのか鹿も悲しそうに鳴いていることだ。
<解説>「千載集 雑」 作者は藤原俊忠の子。文治3年後白河上皇の命で編纂を命じられて千載集を編纂した。元久元年91歳で没。

道因法師082
「おもひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり」
<大意>思う人に逢えないで思い煩っていても命だけはつきずに残っています。それに涙だけは辛さに耐えかねて溢れ出てきます。
<解説>「千載集 恋3」 作者は崇徳天皇に仕えて、後に出家して、延暦寺に入り大法師と言われた。没年不明だが90歳まで生きたという。

後徳大寺左大臣081
「時鳥 鳴きつるかたを ながむれば たゞ有明の 月ぞのこれる」
<大意>ほととぎすが鳴いたので、すぐに鳴声のした方を眺めたのですが、その姿は見えないで空にはただ有明の月だけが残っているばかりであった。
<解説>「千載集 夏」 作者は学識才能に恵まれ、歌人としても優れていた。建久2年53歳で没。

 
待賢門院堀河080
「ながからむ 心も知らず 黒髮の 乱れて今朝は 物をこそ思へ」
 <大意>これから先も変わらないお心なのかどうかわからないので、寝乱れた黒髪のように今朝の私の心は乱れて、黒しい物思いに悩んでいます。
<解説>「千載集 恋3」 作者は鳥羽天皇の皇后・待賢門院の女房(伯女)で堀河と呼ばれた。1級の女流歌人実力者であった。

左京大夫顕輔079
「秋風に たなびく雲の 絶え間より 洩れ出づる月の 影のさやけさ」
<大意>秋風に吹かれて空にたなびいている雲の切れ間から、洩れ出る月光のさえざえと清らかで明るい姿であることよ。
<解説>「新古今集 秋」 作者は堀川、鳥羽、崇徳、近衛の4朝に仕えた。当時流行の技巧的歌風を否定して、古風に変えることを好んだ。

源兼昌078
「淡路島 かよう千鳥の 鳴くこゑに いく夜ねざめぬ 須磨の関守」
<大意>淡路島へ行き来する千鳥の鳴き声に、須磨の関守は幾晩も眠れない夜を過ごしたことであろうか。 
<解説>「金葉集 冬」 作者は歌会にはよく出たがあまり有名ではなかった。天永3年39歳で没。(鳥羽天皇の時代)

崇徳院077
「瀬をはやみ 岩にせかるゝ 滝川の われても末に あはむとぞ思う」
<大意>川の流れが速くて一旦は岩にせき止められていた急流があとでは一緒になるように、私たちの間も今はせき止められていますが、末には必ず会おうと思っています。
<解説>「詞花集 恋」 作者は第75代鳥羽天皇の第1皇子である。5歳で即位したが、保元の乱の責任者として讃岐に遷された。46歳で崩御。

法性寺入道前関白太政大臣076
「わたの原 漕ぎ出でゝ見れば久方の 雲いにまがふ 沖つ白波」
<大意>海原に舟を漕ぎ出してみると、海と空とが一つになって見分けがつかないような沖合の白波のおもしろさであるよ。
<解説>「詞花集 雑」 作者は藤原忠通であり、後に弟の頼長との不和がもとで「保元の乱」にまで発展した。66歳出家し、68歳で没する。

藤原基俊075
「契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり」
<大意>お約束くださった「させも草」という恵みの露のようね言葉を命にして待っておりましたが、その甲斐もなく今年の秋も過ぎてゆくようです。
<解説>「千載集 雑」 作者は歌才学才に秀でて、歌は藤原公任に師事して温雅な風を理想とした。

源俊頼朝臣074
「うかりける 人を初瀬の 山おろし はげしかれとは 祈らぬものを」
<大意>私につれなくあたった人の心を和らげようと初瀬の観音様にお祈りしたのに、初瀬山から吹き下ろす風はますますひどくなりますよ~
<解説>「千載集 恋2」 作者は堀川、鳥羽、崇徳天皇の3朝に仕え、元治元年白河院から勅撰集の編纂を命じられて金葉集を撰した。

権中納言匡房073
「高砂の尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ」
 <大意>向うの高砂の峰に桜が咲いたので、その景色が見えないと困るので手前の低い山からの霞は立たないでほしいものだ。
<解説>「後拾遺集 春」 作者は平安朝の大儒であり、江師と呼ばれていた。8歳で史記漢書に通じて神童といわれた。71歳で大蔵卿に任じられ、兵法の師でもあった。

祐子内親王家紀伊072
「音に聞く 高師の浜の あだ浪 かけじや袖の 濡れもこそすれ」
<大意>評判の高い高師の浜のよせる、むやみに立ち騒ぐ波のような浮気なあなた様には私は思いをかけないつもりです。後で捨てられて嘆きで袖が濡れると困りますから。
<解説>「金葉集 恋」 作者は紀伊守であったので、紀伊と呼ばれた。

大納言経信071
「夕されば 門田の稲葉 おとずれて 芦の丸屋に 秋風ぞ吹く」
<大意>夕方になると家の門前にある田の稲葉にそよそよと音を立てて芦葺きの小屋に秋風が吹いてくるのです。
<解説>「金葉集 秋」 作者は寛治8年大宰権師に任ぜられ、後三条から堀川天皇まで6代の天子に仕えた。博学多才で、和歌詩文管弦ともに優れる。


 
良暹法師070

「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ」
<大意>秋の夕方は淋しくて堪えがたいので、家を出て眺め渡すと、どこもかしこも同じように淋しい秋の夕方であることよ。
<解説>「後拾遺集 秋」 作者は能因と同じ時代の歌僧で叡山の僧。晩年は大原・雲林院に住んだ。家系・伝記など不詳~。

能因法師069
「嵐ふく 三室の山の もみぢばは たつ田の川の 錦なりけり」
<大意>嵐が吹き付ける三室の山のもみぢ葉は散っては浮かんでおり、竜田川の美しい錦というべきものです。
<解説>「後拾遺集 秋」 作者は歌が好きで藤原長能に師事して和歌に精進した。36歌仙の一人で、「能因歌枕」「八十島記」を著す。出家して能因に改名した。

三条院068
「心にも あらでうきよに 長らへば 恋しかるべき 夜半の月かな」
<大意>もはやこの世に生き長らえようという望みもありませんが、意に反して憂き世に長らえているならば、さぞかし恋しく思われる今夜の月であるなぁ。
<解説>「後拾遺集」 作者は御名を居貞(おきさだ)と言い、後冷泉天皇の第2皇子である。目が悪く失明するなど、不幸な生涯であった。

周防内侍067
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそおしけれ」
 <大意>あなたは手を枕にせよとおっしゃいますが、春の夜の夢のような短い時間の手枕ではなんの甲斐もなく、浮名がたてばそれこそ誠に残念で口惜しいことです。
<解説>「千載集 雑」 作者は4代天皇(後冷泉、後三条、白河、堀川)の内侍であった。宮仕え良く宮中での評判も良く多くの男から歌が寄せられた。

前大僧正行尊066
「もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」
 
<大意>お互いにあはれだと思ってくれよ山桜、こんな山奥に来たらお前よりほかに誰も知人はいないのだから。
<解説>「金葉集 雑」 作者は治歴2年12歳で三井寺で出家、諸国行脚して、歌僧として世にきこえた。

相模065
「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそおしけれ」
<大意>人のつれなさを恨み涙で乾く暇のない袖さえ口惜しいのに、この恋のために私の名を朽ち果てさせてしまうのかと思うと尚更に口惜しいのです。
<解説>「後拾遺集 恋4」 作者は当代一流の歌人~

権中納言定頼064
「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」
 
<大意>夜明け方に宇治川に立ち込めていた川霧切れ切れになっていく。その絶え間から瀬毎に立っている網代木がだんだん現われくる。その景色はとてもおましろいです。
<解説>「千載集 冬」 作者は歌人であり能書家でもあった。寛徳2年没。網代木とは、魚を捕るために川にはった竹のすのこと。

左京大夫道雅063
「今はたゞ 思ひ絶えなむと ばかりを 人づてならで いふよしもがな」
<大意>こんな事態となった今となっては、只もう思い切ってしまいましょうという一言だけを、人づてでなく直接あの人に告げる手立てがあればよいのですが。
<解説>「後拾遺集 恋3」 作者は中古36歌仙の一人。天喜2年63歳で没した。歌人としては余り有名でなかった。

清少納言062
「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
 <大意>あなたは例え孟嘗君の故事にならって夜のまだ明けないうちに、にわ鳥の鳴き声を真似してだまそうとしても、函谷関はだませても私たちの関は通過できませんよ。
<解説>「後拾遺集 雑」 作者は「枕草子」を著し随筆家として不朽の名をなした。晩年は尼となり、悲惨な生活を送ったといわれる。

伊勢大輔061
「いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほいぬるかな」
 <大意>昔の奈良の都の八重桜が、今日はこの京都の宮中にて、昔と変わりなく一段と美しく咲き匂っています。
<解説>「詞花集 春」 作者は和泉式部、紫式部、赤染衛門、馬内侍と共に、後世から利壺の5歌仙と呼ばれる。中古36歌仙の一人。


小倉百人一首<大意~解説>

2015-05-22 08:38:19 | 小倉百人一首


 
小式部内侍060
「大江山 いくのゝ道の 遠ければ まだふみも見ず 天のはし立」
<大意>母のいる丹後の国は大江山や生野を通っていく遠いところなので、あの天の橋立はまだ踏んでもいないし、勿論母からの文も見ていないのです。
<解説>「金葉集 雑」 作者の母は和泉式部。才色兼備の才媛。若くして、母に先立ちこの世を去る。

赤染衛門059
「やすらはで 寝なましものを 小夜更けて 傾くまでの 月を見しかな」
<大意>初めから来ないと知っていたらぐずぐずせずに寝ていればいいのですが、約束を信じて待っていたら、とうとう明け方の月が西に傾くのを見てしまいました。
<解説>「後拾遺集 恋2」 作者は中古36歌仙の一人であり、平安中期の女流歌人として、和泉式部と双璧であった。

大貮三位058
「有馬山 いなのさゝ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」
 <大意>有馬山のふもとの猪名の笹原に風が吹くと笹の葉がそよそよとそよぐように、あなたがよそよそしくしても私は決してあなたのことを忘れるものではありません。
<解説>「後拾遺集 恋2」 作者の母は紫式部である。当時の有名な女流歌人であった。

紫式部057
 「めぐりあいて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
<大意>久しぶりにめぐり逢ってあの人かどうか見わけもつかない間に、急いで帰られたあなたは、まるで雲に隠れてしまった夜中の月のようです。
<解説>「新古今集 雑」 作者は「源氏物語」の著者で有名。初めは藤式部と称していたが、源氏物語の主人公紫の上にちなんで紫式部と呼ばれた。

和泉式部056
「あらざらむ この世の外の 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」
 <大意>病気がだんだんと重くなって死んでしまうことでしょうが、あの世の思い出にもう一度あなたにお逢いしたいものですよ。
<解説>「後遺集 恋3」 作者は歌人として高名であった。当時の女流歌人紫式部、伊勢大輔、赤染衛門、馬内侍と共に5歌仙の一人である。

大納言公任055
「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞えけれ」
 <大意>水が涸れて滝の音はしなくなってから長い年月が経っているが、その滝の名は後世にも流れ伝えられて、ずっと後の世までも知れ渡っています。
<解説>「拾遺集」 作者は和歌、漢詩、管弦の3舟の才と称せられる。また多才で、能書家でもあった。

儀同三司母054
「忘れじの 行末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな」
 <大意>いつまでも忘れないと誓われた先の遠い将来までは頼みがたいことですから、あなたの心変りを見るよりは、幸福な今日がいっそのこと最後の命であってほしいものです。
<解説>「新古今集 恋3」藤原道隆の妻で気性もしっかりした聡明な女性であるが、孤独な晩年であった。

右大将道綱母053
「なげきつゝ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」
<大意>あなたがおいでにならないのを嘆きながら只一人で寝て夜明けを待つ間のいかに長いものであることを、あなたはご存じなのでしょうか。
<解説>「拾遺集 恋4」 作者は藤原兼家に嫁いだ。美貌で文才も高く、有名な「蜻蛉日記」は兼家との21年間の結婚生活の回想記録である。

 藤原道信朝臣052
「あけぬれば くるゝものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな」
<大意>夜が明けてしまうと、日暮れにはきっとまたあなたに逢うことができるものだと知っていますが、やはり恨めしい夜明けではあります。
<解説>「後遺集 恋2」 作者は中古36歌仙の一人。年若く23歳で没した。年に似ず、歌の名手であった。

藤原実方朝臣051
「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしも知らじな もゆる思ひを」
<大意>こんなにあなたのことを思っているということさえ私は打ち明けて言うことが出来ないのですから、伊吹山のさしも草ではないが、燃え盛っている私の思いをよもやご存知じゃないでしょうね。
<解説>「後拾遺集 恋」 作者は歌人としては有名であったが、性格が粗暴であり落馬して死んだという。


 
藤原義孝050
「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
<大意>今まではあなたに逢うために惜しいと思う命ではなかったのですが、逢えた今では長生きをしていつまでも逢っていたいと思う気持ちになりました。
<解説>「後拾遺集 恋3」 作者は天延3年流行の天然痘のため22歳で没した。中古36歌仙の一人。

大中臣能宣朝臣049
「御垣守 衛士の焚く火の よるは燃え ひるは消えつゝ 物をこそ思へ」
<大意>禁中の御垣を守る衛士の焚く火が夜は燃え昼は消えているように、私は恋のために夜は情炎に燃え昼は消えいるばかりに、辛苦の物思いをしているのです。
<解説>「詞花集 巻7-恋秋」 作者は「梨壺」の一人で、36歌仙の一人でもある。即興の歌が得意であった。

源重之048
「風をいたみ 岩うつ浪の おのれのみ くだけてものを おもふころかな」
<大意>風がひどいときは岩を打つ波が自分ばかり砕けて散っているように、岩のようにつれない相手に、身も心もくだいて恋に悩んでいるこの頃なのですよ~。
<解説>「拾遺集 巻3-秋」 作者は36歌仙の一人であり、歌人として名高く、長保2年任地の陸奥で没する。

恵慶法師047
「八重むぐら しげれる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり」
<大意>雑草の幾重にも生い茂って荒れ果てた宿は寂しいので誰も訪ねてくる人はいませんが、秋だけは訪れてくるのですよ~。
<解説>「拾遺集 巻3-秋」 作者は歌人としても一流で、36歌仙の一人です。正統的な作風が多い。

曽根好忠046
「由良のとを わたるふな人 梶をたえ ゆくえも知らぬ 恋のみちかな」
<大意>由良の海峡を渡る舟人がかじを失って行くべき方向が分からないでさ迷っているように、思い迷っている恋の道なのです。
<解説>「新古今集 巻11 恋」 作者は平安時代の人で下級官史であったが、歌には自信があり革新的存在であった。

謙徳公045
「あはれとも いふべき人は おもほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」
<大意>あなたに見捨てられた今は、あわれだと言ってくれる人はあなたの他には誰もいませんので、空しく焦がれ死にしてしまいそうです。
<解説>「拾遺集 巻15-恋5」 作者は天禄元年右大臣、同2年太政大臣となり、翌3年49歳で没した。

中納言朝忠044
「あふ事の 絶えてしなくば なかなかにに 人をも身をも うらみざらまし」
<大意>あなたとお逢いすることが全然なかったならば、今のあなたのつれなさやわが身のつらさを恨むこともないでしょうに~。
<解説>「拾遺集 恋1」 作者は36歌仙の一人。 晩年は中風となり、康保3年57歳で没した。

中納言敦忠043
「あいみての のちの心に くらぶれば むかしはものを 思はざりけり」
<大意>お逢いしてからのちの今の苦しい恋心にくらべれば、逢わなかった昔は大した物思いをすることもなかったのに~。
<解説>「拾遺集 巻12-恋2」 作者は36歌仙の一人。琵琶奏者としても名高く、源博通と並び称され琵琶中納言と言われた。

清原元輔042
「契りきな かたみに袖を しぼりつゝ すえの松山 浪こさじとは」
 
<大意>固く約束をしましたね~お互いの涙でぬれた袖をしぼりながら、あの末の松山を波が超えることの無いように私たちの仲はいつまでも変わらないと~。
<解説>「後拾遺集 巻14-恋4」 作者は清少納言の父。村上天皇の勅により「後撰集」を編纂した。

壬生忠見041
「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり ひと知れずこそ 思ひそめしか」
<大意>恋をしているという私の浮名が早くも世間に広まってしまった。誰にも知られないようにひそかに思い染めたのですが~。
<解説>「拾遺集 巻11-恋」 作者は36歌仙の一人。大徳4年の「内裏歌会」で平兼盛の「忍ぶれど・・・」と優劣を競い判定負けをした。


 
平兼盛040
「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものやおもふと 人のとふまで」
<大意>誰にも知られまいと恋しい思いを忍び隠していましたが、とうとう顔色に出てしまいました。何か物思いをしているのですかと人様から尋ねられるくらいに~。
<解説>「拾遺集」 作者は36歌仙の一人。赤染は兼盛の女であるとのこと。

参議等039
「浅茅生の 小野のしの原 しのぶれと あまりてなどか 人の恋しき」
<大意>浅茅の生えた小野の篠原の「しの」のように恋しさを忍んでいるものの、忍びきれないで思い余ってどうしてこうも、あなたのことが恋しいのでしょうか。
<解説>「後撰集 巻9-恋1」 作者は歌人としては著名でなかった。天暦5年72才で没。

右近038
「わすらるゝ 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな」
 <大意>あなたに忘れられるわが身のことは何とも思いませんが、神かけて忘れないと誓っていたあなたの命が神罰を受けはしないかと惜しいと思っているのです。
<解説>「拾遺集 巻14-恋4」 作者は交野少将の娘で、醍醐天皇の后穏子の女房であった。

文屋朝康037
「しらつゆに 風のふきしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞちりける」
<大意>草葉の上の白露に風がしきりに吹いている秋の野は、まるで紐に貫き止められていない玉が、風で散り乱れているような美しい眺めをしています。
<解説>「後撰集 巻6-秋」 作者は文屋康秀の子。経歴、生没年は不明。

清原深養父036
「夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」
 <大意>夏の夜は、まだ宵のままでもう明けてしまいました。それなのに一体、雲のどこらあたりに月は宿をとっていたのであろうか。
<解説>「古今集 巻3 夏」 作者は<清少納言の父>の祖父になる。古今集時代の有力な歌人であった。

紀貫之035
「ひとはいざ 心も知らず ふる里は 花ぞむかしの 香ににほひける」
<大意>あなたの心は覚めてしまって元通りではないと思いますが、ふる里の地の梅の花は、昔ながらの美しい花をつけて香り高く咲き匂っています。
<解説>「古今集 巻1 春」 作者は延長8年土佐守となり、帰京の時の旅日記「土佐日記」は日記文学の最初のものであろう。

藤原興風034
「たれをかも 知るひとにせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに」
<大意>誰を知り合いとしようかなぁ。高砂の松のように年老いてしまった私だから~。とはいえ、高砂の松ですら、昔馴染みとはいえないから~。
<解説>「古今集 巻17 雑歌」 作者は平安初期の人。36歌仙の一人。古今集花壇の有数の歌人であった。

紀友則033
 「ひさかたの 光のどけき はるの日に しずこゝろなく 花の散るらむ」
<大意>陽の光がのどかに差し込んでいる春の一日であるけれど、何となく慌ただしく花が散っていることであろうか。
<解説>「古今集 巻2 春」 作者は平安中期の宇多・醍醐天皇の頃の人。36歌仙の一人で、「古今集」撰者の一人でもある。その完成を見ないで没した。

春道列樹032
「山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ もみじなりけり」
 <大意>山中に流れる川に風がしかけたしがらみとは一体どんなものかと思っていたら、流れようにも流れることのできない風の吹き溜まりにできた紅葉なのですよ。
<解説>「古今集 巻5 秋」 作者は延喜20年壱岐の守に任ぜられたが、出発せずに没した。

坂上是則031
「あさぼらけ 有明の月と みるまでに よし野の里に 降れる白雪」
 <大意>夜が白々と明けていく頃に辺りを見渡せば、有明の月が照らしているのかと見まごうほどに、ここ吉野の里には白雪がしんしんと降っています。
<解説>「古今集 巻6 冬」 吉野の里は桜で有名な吉野山の麓にある里。 是則は36歌仙の一人。

 
壬生忠岑030
「有あけの つれなく見えし わかれより あかつきばかり 憂きものはなし」
<大意>有明の月が夜が明けても知らぬ顔で残っているように、あなたの冷たい態度で別れてからこの方、暁になるとつらい思いになるのです。
<解説>「古今集 巻13 恋4」 作者は36歌仙の一人で、「古今集」撰者の一人でもある。歌学書「忠岑和歌中体」あり。

凡河内躬恒029
「こころあてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる しら菊のはな」
<大意>多分この辺りであろうと、当てずっぽうで折ろうとするのですが、初霜が一面に降りていてどれが白菊の花なのか霜なのか判らない有様です。
<解説>「古今集 巻5 秋」 作者は36歌仙の一人であり、「古今集」撰者の一人でもある。歌人として当時の巨匠紀貫之とその雄を争った。

028源宗于朝臣
「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬとおもへば」
<大意>山里は冬がとりわけ寂しさが勝るものです。人の行き来も絶えて、草も枯れてしまうと思われるから~。
<解説>「古今集 巻6 冬」 作者は光孝天皇の皇子是忠親王の子。36歌仙の一人。

027中納言兼輔
「みかの原 湧きてながるゝ いづみ川 いづみきとてか 恋しかるらむ」
 
<大意>みかの原をわきて流れる泉川の「いつ」でもないのに、いつ見たのであろうかあの人のことが恋しく思われるのでしょう。一度も見たことがないものを~。
<解説>「新古今集 巻17 恋1」 作者は平安初期の歌人であり、36歌仙の一人。承平3年57才で没する。

026貞信公 
「小倉山 峰のもみじば こころあらば いまひとたびの みゆき待たなむ」
<大意>小倉山の峰のもみじ葉よ、お前に心があるならば、もう一度の行幸があるまで散らないで待っていてくれないかなあ。
<解説>「拾遺集 巻17-雑秋」 作者は承平6年太政大臣、天慶4年関白となり、村上天皇の天礫3年70才で没する。小倉山は京都の西嵐山に相対する紅葉の名所である。

025三条右大臣
 「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知しられで くるよしもがな」
<大意>逢うという名の逢坂山、さ寝という名のさねかづらのように、逢坂山のさねかづらを手繰り寄せるように、人に知られないようにあなたの所へ来る方法があればよいのに~。
<解説>「後撰集 巻11-恋3」 作者は醍醐天皇の延長2年に右大臣となった才人です。逢坂山は山城と近江の国境にある。

024菅家
 「このたびは 幣もとりあへず 手向山 もみじのにしき 神のまにまに」 
<大意>今回の旅では恥ずかしいながら秋のぬさを捧げることもできませんでした。折しもこの手向山の紅葉はとても美しく色とりどりで錦のようなので、これを手向のぬさと
思召して、神様どうかお受け取り下さい。
<解説>「古今集 巻9 羇旅」 <ぬさ>とは神に捧げる物であります。

023大江千里
 「月みれば ちゞにものこそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」 
<大意>月を眺めていると、何かと物悲しいことであるよ。自分一人だけの秋ではないのだけれど~。
<解説>「古今集 巻4 秋」 作者は宇多天皇の頃の人である。博学能文の儒者であり、師であった菅原是善と共に「貞観格式」を共撰した。

022文屋康秀
 「吹からに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ」
<大意>吹きつけるとすぐに、秋の草木が落葉したり枯れたりするので、成程それであの山から吹き下ろす風のことを荒い風と言っているのであろうか。
<解説>「古今集 巻5 秋」 作者は六歌仙の一人。

021素性法師
 「今来むと いひしばかりに なが月の ありあけの月を 待ちいでつるかな」 
<大意>今すぐに行こうと言われて来たのに、待てどもあの人は来ないで、とうとう9月の有明の月が出るまで待ってしまったことだ。
<解説>「古今集 巻14 恋4」 作者は六歌仙の一人であり、当時有名な歌人であった。 有明の月とは、空に有りながら夜の明ける頃の月をいう。 

 
020 元良親王
「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」

<大意>こんなにも思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたと同じようなものです。難波の身をつくしではないが、いっそこの身を捨ててもお会いしたいと思います。
<解説>「後撰集 巻13-恋5」 作者は陽成天皇の第1皇子で、非常に色好みであった。美しいと風聞のある女には必ず言い寄っていたとのことである。

019 伊勢
「なには潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこのよを すぐしてよとや」

<大意>難波に生えている芦の短い節と節の間のような短い時間でさえも逢うことなしにこの世を過ごせとおっしゃるのですか。
<解説>「新古今集 巻11 恋1」 作者は美人で気立てが優しく、小町の情熱的表現に対して、感情を抑えたつつましい表現である。

018藤原敏行朝臣
「すみの江の 岸による浪 よるさへや ゆめのかよい路 人めよくらむ」 

<大意>住之江の岸に寄る波のような「よる」ではないが、夜に見る夢の中の女のところへ通う道でさへ、どうして人目をはばかりさけるのでしょうか。
<解説>「古今集 巻12 恋」  作者は蓍?をかくことに優れており、それに関する逸話が多い。若死にしたといはれるが、没年不明。

017在原業平朝臣
「ちはやぶる 神代もきかず たつた川 からくれないに 水くゝるとは」

<大意>竜田川の川面に紅葉が流れていって、川水を鮮紅色に絞り染めにするということは、神代にも聞いたことがありません。
<解説>「古今集 巻5 秋」 作者は六歌仙の一人です。 容姿美しく、美男の典型とされていた。陽成天皇の元慶4年56歳で没す。

016 中納言行平
「たち別れ いなばの山の 峰におふる まつとしきかば いまかへりこむ」
<大意>皆さんと今お別れして、任地の因幡の国に赴任します。でも、稲葉山の峰にある松という名のごとく「私の帰りをまつ」と聞いたならば、すぐにでも私は帰るでしょうに。
<解説>「古今集 巻8 離別」 稲羽山は鳥取県岩美郡にある。

015 光孝天皇
「君がため 春の野に出て 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつゝ」 
<大意>あなたのために春の野に出て 若菜を摘んでいる私のそでに雪がしきりに降りかかってきます。
<解説>「古今集 巻1 春」 光孝天皇は元慶8年50歳で即位して、仁和3年58歳で亡くなっています。

014 河原左大臣
「みちのくの しのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに」 
<大意>みちのくの国の信夫から産出する「しのぶもぢずり」の乱れ模様のように、私の心は千々に乱れ染めています。それは全てあなた一人を思うせいなのですよ。
<解説>「古今集 巻14 恋4」 「しのぶもぢずり」とは信夫郡から産出する乱れ模様の摺衣のこと。

013 陽成院
「筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」

<大意>筑波山の峰より流れ落ちるみなの川がつもりつもって深い淵となっているように、あなたを思い染めている私の恋慕も、つもりつもって深い思いの淵になっています。
<解説>「後撰集 巻11-恋3」 に遣わした歌である。とは光孝天皇の皇女綏子内親王であり、内親王へのやるせない恋心を詠んだ歌です。

012 僧正遍昭
 「天つ風 雲のかよい路 吹きとじよ をとめのすがた しばしとどめん」
<大意>空を吹き抜ける風が、雲の中にある通路を吹いて隠してくれるといいのに。そうすれば、天上にいる乙女の姿をこの地上にしばらく留めておくことができるのに。
<解説>「古今集 巻17 雑」 作者は非常に美男子であった。 小野小町と贈答した歌は、「大和物語」や「後撰集」に見られる。75歳で没。

011 参議篁
 「 わたの原 八十島かけて 漕ぎこき出でぬと 人には告げよ あまのつりふね」 
<大意>大海原を多くの島に向けて漕ぎ出して行ったと、都の人々に伝えて下さいね~漁夫の釣舟よ~
<解説>「古今集 巻9 羇旅」 作者は漢詩文に優れ、和歌は余技であった。この歌は、遣唐副使のときに大使の藤原常嗣と争って嵯峨天皇の怒りを受けて流罪となった時の歌です。


  
010 蝉丸
  「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」
<大意>これが言い伝えにある関~~都から東国に行く人も帰る人も、ここで別れて又逢うといわれる逢坂の関なのですね。
<解説>「後撰集 巻15-雑」 作者は伝説中の人物で確かな生涯は不明です。盲目であったか否かも定かでありません。

009 小野小町
  「花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」 
<大意>美しい桜の花はゆっくりと見る間もなく色あせてしまっています。私は春の長雨をぼんやりと眺めて、色々と物思いをしていたのですが~。
<解説>「古今集 巻2 春」 作者は六歌仙の一人です。美人の代名詞になっていますが、確かな伝記はありません。

008 喜撰法師
  「 わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうじ山と ひとはいふなり」 
<大意>私の仮住いは都の東南にあり、ここで心静かにのどかに暮しています。それなのに世間の人は、世を憂って住む宇治山と呼んで、恰も私が世を住みづらがっているように言っています。
<解説>喜撰法師は六歌仙の一人です。

007 安倍仲麿
  「あまの原 ふりさけ見れは 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 
<大意>広々とした大空をはるかに眺めていると、東の空に月が美しく上っています。ああこの月は昔私のふる里奈良春日の三笠の山にかかっていた月と同じだなあ。
<解説>「古今集 巻9 羇旅」~唐土にて月を見て詠みける~

006 中納言家持 
 「 かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見みれば 夜ぞふけにける」 
<大意>冬の夜空に輝く天の川の鵲(かささぎ)が、翼をつらねて架けているといわれる橋の上が、霜が降りたように白く見えていることから、夜は本当に更けてしまっているのですね。
<解説>「新古今集 巻6 冬」 作者・家持は感傷的な才人肌の人である。

005 猿丸大夫
 「 おくやまに 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の こえきくときぞ 秋はかなしき」   

<大意>ひっそりとした山奥で、一面に散り敷かれた萩の紅葉をふみわけて鳴く、つがいの鹿の声を聞くと、本当に秋は悲しいという思いが身に染みて感じられますよ。
<解説>「古今集 巻4 秋」 作者・猿丸大夫は伝説に包まれており、その生涯は不明です。

004 山辺赤人
 「田子の浦に うち出でてみれば しろたえの ふじのたかねに 雪はふりつゝ」  
<大意>田子の浦の眺めの良いところに出てきて、はるかかなたを見渡すと、真白い富士の嶺には今もなお、雪が降りしきっていることだ。
<解説>「新古今集 巻6 冬」 田子の浦=富士川の川口東に地名あり。

003 柿本人麿
 「あしひきの 山鳥の尾の しだりをの ながながし夜を ひとりかも寝む」 
<大意>山鳥の尾の垂れ下がっている尾が長いように、長い長い秋の夜を恋しい人もそばにいなくて、たった一人でわびしく寝るのであろうか。
<解説>「拾遺集/巻13-恋」、奈良時代「万葉集」

002 持統天皇   
 「 はるすぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」

<大意>ああもう春が過ぎ去って、いつの間にか夏が来たらしい。昔から夏が来ると白い衣を干すと語り継がれている天の香具山に、あのように真白い夏の衣がほしてあることだよ。
<解説>新古今集 巻3「夏」・・・香具山は大和三山の一つです。

001  天智天皇
「秋の田の  かりほの庵の  苫をあらみ わが衣手は  露にぬれつゝ」 
 <大意>みのりの秋になって、田の稲を鳥が荒らしに来るのでそれを守るために、田のほとりに設けた仮小屋にこもって番をしていると、粗末な小屋に葺いた苫の目が粗いので、私の袖は夜露にしっとりと濡れ続けています。
 <解説>後撰集巻10-秋。 苫(トマ)とは茅(カヤ)のことである。
 


小倉百人一首<You-Tube=動画/読上げ>

2015-03-21 20:05:29 | 小倉百人一首


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01-初=色マジック

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