考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

「欽ちゃんの涙」で何を語ろうか。

2006-07-20 23:55:49 | 徒然なるままに

昨日の「欽ちゃんの涙」・・・
友人のfallさんやブログ仲間のluckymentaiさんkotanさんからコメントをいただいたり(重ね重ね御礼申し上げます)、他の人のブログを読みながらいろいろ考えさせられていました。昨日の記事のコメント欄に書こうと思ったんですけど、長くなりそうなので今日の日記として残しておきます。
パロマの続報、大雨、靖国議論、、、話題は多いのに、しつこくてスイマセン。
昨日の記事といただいたコメントから読んでいただけると幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/873bb545b525450abaf27bfd6d3900a8

さて、連帯責任支持者なので(?)誤解されやすいですけど、まず前提として・・・
・犯罪が事実であればタレントは罰を受けなければいけないということは、おそらく多くのみなさんと同意見ですよ。
・そして、「連帯責任」と偉そうに言っていますけど、必ずしも「欽ちゃん球団の解散」が今回の「メンバーの不祥事」に対して、組織が取るべき相応の責任であるかどうかは分かりません。ただ、ボクは欽ちゃんの潔さには感動しているということです。

まず考えていたのが、犯罪者への罰はどこまでが相応か?ということです。
基本は、犯罪は法が裁くことで良いのでしょうか?
でも、タレントの覚せい剤所持などの事件の判決で、「社会的制裁を十分に受けているので、・・・執行猶予何年」という言葉を聞きますよね。こういう場合は社会的制裁ありきで、法が足りない部分を補うということになるんでしょうか。
それで良いんだ、と思いつつも何となく怖さも感じています。
科学は進歩しても、冤罪はなくなりません。法も人も時に勢いで、こういう取り返しのつかないことをしてしまうという恐怖でしょうか?「社会的制裁」の根拠と基準が分からないからでしょうか?

法の裁きの前に人が人を裁けるのか?
法の裁きに上乗せして人が人を裁けるのか?
どうでしょう?

また、その組織への責任や罰はどこまでが相応か?・・・
会見に社長が出てこないことは責任感が足りないのか、解雇することは責任を取ったことになるのか、どうでしょう?
チームの解散は責任の取り過ぎなのか?、チームとしての妥当な責任の取り方はどうなのか?
難しい問題ですよね。

いずれにしても、人それぞれの罰や責任感のものさしがあって、「法の裁き」も「社会的制裁」もその重さは万人が納得することはないんですよね。
スポーツニュースでも、露鵬関の暴力行為に対しての出場停止3日、ジダン選手の頭突きに対してのレッドカード&7500スイスフラン(約70万円)の罰金と3試合の出場停止、マテラッツィ選手の暴言に対しての5000スイスフラン(約47万円)の罰金と2試合の出場停止、それぞれのものさしで罰の重さを量りつつ、いろいろな思いがあるでしょうね。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20060720&a=20060720-00000154-mai-spo

これからますますグローバル化も進むでしょうし、日本の中ですらも多様な価値観、道徳観が出てくる中で「社会的制裁」はどこまでいくのでしょうか・・・


そもそもボクらは、なぜ罪を犯した人を罰しないといけないのか???

罪を憎んで人を憎まず・・・
昔の言葉ですかね?

「次の犯罪が起きないようにするため」、別の言い方をすれば「我が身に降りかかるかもしれない火の粉を吹き飛ばすため」に犯罪には罰を与えているのかな?そうして、犯罪を抑制しているのかな?

そうやって住み良い社会をつくるため、社会の秩序を守るために、ボクらは罪を罰し、相応の責任を果たすのでしょうか?

犯罪を罰する。
犯罪者は罪を償う。
犯罪者の所属した最後のコミュニティは犯罪者を復活させるという責任を果たす。
これが基本ではないでしょうかね?違いますかね?

どこかに人は残ります。家族もいます。
所属している会社を辞めさせても、 その会社以外のどこかで働かなければいけません。悪臭おじさんや騒音おばさんも今の住処から追い出しても、どこかに住まなければいけません。
仮に日本を脱出しても、「日本人であることは辞められない」。
何かのコミュニティに所属しなければ生きられない。
人として生まれた宿命なんでしょうか。

それだけに社会や会社の「切り捨て」には恐怖と寂しさを感じています。

長くなりすぎましたね。しかも、いつものように結論はありません。
みなさん、ハローです。ホディでした。


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4 コメント

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「罪と罰」 (kotan)
2006-07-23 01:01:44
hoddyさんの問いかけ難しいですね。

「罪と罰」という人間社会の根本的な問題ですよね。

社会が法律の下に罪を犯した人を罰するのは、一つには被害者の代わりにという面も大きいでしょうね。でないと「あだ討ち社会」に逆戻りしてしまうかもしれませんよ。



また連帯責任を強調しすぎると、組織で罪を隠蔽してしまう体質になります。(今でも、ありありですが・・)「欽ちゃん球団」のことはよく知りませんが、メンバーが不祥事を起こしたからといって、解散することはないと思う。今後の教訓に生かしたらいいだけだと思うけど・・ついでに言うなら、こういうレイプ事件のときに「相手の女にもスキがあった」と男の人はよく言います。以前、私が夜道を歩いていて、引ったくりにあいました。その時警察や周りの人は「あなたにもスキがあったのでは?」とは批判しませんでした。それは自分で反省したらいいことで、被害者が他人から言われる筋合いはありません。



たとえば、オウムの幹部の子だからといって、入学を拒否するとかは絶対してはいけないことだと思う。日本人は「村八分」的なDNDが残っているのか、なにかあればいっせいに同じ方向に走る傾向がありますよね。親と子は独立した個人です。逆に子供が大罪を犯したからといって親が死ぬこともない。



人は善悪、正気、狂気とかなにかと分けたがり、排除する行動にでますが、分別ごみのように区別することは所詮ナンセンスです。

「あなたもわたし」も、善人で正気だと思っていますが、それは誰にもわからないことだからです。・・長くなってしまいました
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re:「罪と罰」 (hoddy)
2006-07-23 14:09:33
kotanさん、コメントありがとうございます。



今回の事件はちょうどボクの痛いところに突き刺さった気がします。いろいろ考えさせられています。



それにしても、こういう話はなかなか短い文章で表現することは難しいですね。いつも自分の表現力のなさに、がっかりさせられますヨ・・・



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表現力 (kotan)
2006-07-24 23:36:19
hoddyさんは表現力ありますよ。いいたいことはよくわかりますもん。



ただこういうblogというのは、なんですね、議論が深まらないというのが大きな欠点です。ポイントしか表現できないし。
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re:表現力 (hoddy)
2006-07-25 19:40:00
kotanさん、コメントありがとうございます。



上手く語れていますかね・・・

ブログを始めてから、学校で習う「国語」や「英語」と違って、はじめて言葉の難しさを実感しています。

どちらにしても、こういう話の議論は難しいですね。



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