考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

雨音と議論の声

2005-09-05 00:00:42 | 徒然なるままに

昼ごはんと買い物を兼ねて家族で外出をして、車から降りるとちょうど空模様が怪しくなってきていました。帰り道にすでにパラパラと雨が降ってきていましたが、夜になると雷も伴い、かなり激しい雨になりましたね。

杉並区で1時間に100ミリとか、小田急線がストップとか、そんなニュースと雨音を聞きながら、静かな日曜の夜を迎えています。

みなさん、ハローです。ホディです。
外出から家に戻ると、たまたま回したNHK教育テレビで「真剣10代しゃべり場」という番組がやっていました。(日曜は再放送なんですね。)文字通り10代の人がひとつのテーマで(?)語り合うという番組です。
番組を見るのもはじめてでしたし、途中からでしたので番組の流れはよく分かりませんでしたが、「人生、勝ってこそ意味がある!」というある出演者の人に対して、お互いがいろいろ語り合うという内容なんでしょうか。
感想を一言で言うと「“最近の若者”は優秀だな」と感じました。もちろんそういう人を集めているんでしょうが。。。みんな自分の意見をしっかり言えるし、いろいろ考えているんだろうと想像できます。

選挙のせいもありますが、最近「議論」が気になります。
そう言うボクも議論好きで、学生の頃は「朝まで生テレビ」を良く“朝まで”観ていました。「それはおかしいだろ」「何言ってんだ」と物言わぬテレビに突っ込みながら・・・
ここのところ、選挙でテレビは議論、議論、議論・・・
やはり議論好きのボクはテレビの前から離れられません。

不思議なのは、これだけ同じようなメンバーで議論をしていても、同じような議論の繰り返しとなること。普通は同じような議論をしたら、歩み寄るか、次の段階に発展をするものではないのでしょうか。少なくとも国会を支えるこれだけのメンバーであれば、発展性のある議論をして欲しいと思うのはボクが望みすぎなのでしょうか。
議席を争う選挙戦の中では少しでも他党との違いをアピールすることが、票を得ることにつながるということで、わざと議論を続けているのであれば良いのですが、このまま国会でも歩み寄りと発展のない議論と、最後に行きつくのは民主主義の最終手段の多数決では日本の将来も暗いなと感じます。

「議論」をしていて、答えがひとつしかないと思うと、議論はずっと続けるしかなくなります。ただ、多くの課題には答えは複数かも知れませんし、もしかしたらひとつもないとボクは思っています。つまり正しい答えなんてやってみた結果の結果論が多いと思います。また、前もって答えが分かるような話に議論の余地はなく、議論など発生しないと思うわけです。
スポーツの世界などであればデータを積み上げた確率論である程度の正しいそうな意見はありますが、国の具体的な政策や法案には誰もが納得するものなどありえないでしょう。そもそも世界は異常な進化をここ何年かの間に成し遂げています。過去の前例や慣例では解決できなくなっています。また、アメリカではとか、ヨーロッパではとか・・・よく聞く話ですが、他の国の政策がそのまま当てはめられるのであれば、国会議員など必要ないわけですし。

答えはひとつではない。だからお互いの考えを話して、説明するわけです。
国会議員は話し合って、お互いの意見をすり合わせて、できるだけ目的に適った最善と思われる策を国会の場で決めるのです。幸いにも根本的な問題意識や主義主張はほとんどの党が似たり寄ったりなんですから。議会制民主主義は決して多数決を求めているわけではないと思うのです。

ボクらが見る最近の「議論」。意見の平行線。
10代の人たちにはこれが「議論」だと思って欲しくないと思うのです。
そして、今日の「真剣10代しゃべり場」の議論で思うのは、生き方とか、考え方とか、必ずしも答えを出す必要のないものもあります。重要なのはそれぞれがそれぞれの意見や立場を尊重すること、お互いを信じることだと最近のボクは感じます。

まずは笑顔で話し合いましょうよ。

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