考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

ジャッジ

2011-01-26 22:49:00 | 徒然なるままに

サッカーのアジア杯、日本は準決勝で韓国に勝利。
見事に決勝に進みましたね。

昨日は一喜一憂しながらテレビの前で応援していましたが、ゲームセット間際の韓国の劇的な同点ゴールに、思わず布団に逃げ込んでしまっていました(苦笑)。当たり前かもしれませんが、諦めない、キレない気持ち・・・選手たちは、素晴らしかったですね。それは日本ももちろん、韓国も。文字通り、一進一退、二転三転の展開、観ているほうはサッカーを満喫できますよね。

一方で、twitterでも話題になっていたのが、審判のジャッジ。
準々決勝のカタール戦でも、今回の韓国戦でも、審判の笛にいろいろな声が上がっていました。たしかに、えー?と思うシーンもありましたよね。昨日の試合で言えば、特に韓国の1点目、日本の2点目のジャッジ。韓国ではかなり話題になっていそうな気がしますが、PK戦の結果が逆だったら、日本でも同様だったことでしょう。

ちょうど、昨日(2011.1.25)の日経新聞朝刊のスポーツ欄のコラム「スポートピア」の担当が元サッカープロ審判の岡田正義さん。コラムの内容もジャッジや審判、ルールについてでした。スポーツ好きの方には、これはぜひ、一読してほしいですね。

そこに書かれていたのですが、そもそもイングランドで1863年に統一ルールを定めた際には、主審は存在しなかったとのこと。「試合は双方のチームから1人ずつ出たアンパイア」が進め、「紳士のたしなみとしてのフェアプレー精神が生きておりルール遵守は当然」という意識の中で、「反則があっても故意ではないと看過され」るというやり方。
これでは国際試合は成り立たないよ、という現実的な意見がでることも当然ですが、やっぱりこれがスポーツの原点だと思うんですよね。そして、理想だとも思います。未来のサッカーのワールドカップや、ラグビーでもいいですし、野球のWBCでも何でも良いんですが、こういう試合を観てみたい。

そして、こんなことも書かれていました。

こんな大昔の話を持ち出したのは「原点」を知ってほしいからだ。子供の試合で判定に文句をつける監督や親御さんがいる。主審は「請われてピッチの中に入った」のである。普通、人にモノを頼んだら、その出来具合にケチをつけないのは最低限の礼儀だろう。

大事なところですよね。ボク自身も耳が痛い。フェアプレー精神が原点であるならば、やはり審判批判は邪道であり、禁忌です。気をつけないといけないと思いました。

ただし、審判も「ジャッジ」をすることを主にして、本来の「選手が楽しく安全に公平に」試合を進めるという目的を忘れているのではないか、と思ってしまうような例も散見します。

そのジャッジは、何を裁いたのか?本当に必要だったのか?と。

最近のことも含め、いくつか思い当たりますが、ここでは触れませんが。
故意か否かは最近のルール上はなかなか勘案しにくいものではありますが、試合の流れや安全性や公平性に関係のないところで、ただ単にルールの条文を突きつけることはフェアではないとボクは考えます。審判は「俺がルールブック」ではなく、ルールブックの解説者であり、「楽しく安全に公平に」試合が進むためのコーディネータ、ファシリテーターだと思いますし、まさに自ら望んでではなく、周囲から「請われてピッチの中に入った」という視点も大事だと思うんですよ。主役は選手であるわけで。

こういう点は、最近の企業での「コンプライアンス」にもいえるような気もしますし、人事の仕事にも言えるのではないでしょうか。

 


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