ある日の気づき

キリスト教世界における「反ユダヤ主義」の起源について

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考察の手掛かりとなる歴史的事実
歴史記述のバイアス1: ×迫害→○治安維持
キリスト教出現以前のローマ帝国の宗教事情
ユダヤ教は「具体的な生活規範」であること
キリスト教の信仰内容の特異性
歴史記述のバイアス2: ×迫害→○抗争
キリスト教徒視点での「異端者」とユダヤ人の共通点
身近な「他者」への憎悪
布教方法の侵略性
更新履歴

考察の手掛かりとなる歴史的事実^

初期のキリスト教、ユダヤ教、それ以外のローマの宗教について、以下の命題1-命題8が成立
していた事を手掛かりに、キリスト教世界における「反ユダヤ主義」の起源について考察する。
主な命題関連の内容には、「キリスト教と不寛容」や「哲人皇帝ユリアヌス」の記事で触れたし、
確認は容易だろう。番号が大きいほど時期は後だが、隣接する番号の命題は同時期の場合もある。

命題1:(最)初期のキリスト教徒はユダヤ教徒から「迫害」されていた。
命題2:命題1と同時期、ユダヤ教徒は、ローマ帝国で「迫害」されていたわけでない。
命題3:命題1と同時期、ユダヤ教徒は、ローマ帝国に対し反乱を起こして鎮圧された。
命題4:初期キリスト教徒は、ローマ帝国で「迫害」されていた。
命題5:初期キリスト教徒は、ローマ帝国で分派間で互いに*暴力的に*争っていた。
命題6:初期キリスト教徒は、ローマ帝国の既存宗教の施設を破壊した。
命題7:キリスト教の国教化後のローマ帝国で、他の宗教は「迫害」されていた。
命題8:キリスト教の国教化後のローマ帝国で、異端とされた分派は追放された。

なお、命題2と命題3における「ユダヤ教徒」は、*定義を詳細化すれば違う集団*である事に
注意しよう。つまり、命題2の「ユダヤ教徒」は「穏健な多数派」、命題3の「ユダヤ教徒」は
「過激な少数派」である。

このような事態の推移は、キリスト教徒ないしユダヤ教徒という集団の性格の変化、あるいは
ローマ帝国の統治機構の変化が原因と考えるより、集団間の力関係、および集団が「体制内」か
「体制外」かが変化した結果と考える方が「もっともらしい」ので、以下では、この考えを前提
として議論する。

歴史記述のバイアス1: ×迫害→○治安維持^

まず、命題1,4、7(の「迫害」)を一般的な歴史記述において見かける頻度が、命題ごとに
異なる事実に注意する。すなわち、命題1.4に比べ、命題7への言及は、極めて稀であるし、
命題5,命題6への言及も極めて稀で、命題8も、あまり積極的に言明されない傾向がある。
これは、キリスト教徒視点で、歴史が記述されていることを物語っている。つまり、視点を変え
れば、同じ事実/事態が全く違った記述になる。例えば、命題5と命題6を考えれば、命題4は、
ローマの為政者視点では、「治安維持」に他ならない。

さらに言えば、ローマの為政者視点記述の方が、客観的かもしれない。つまり「視点の差」で
済ませられないほど「社会秩序の紊乱度」が高ければ、「反社会勢力の取締り」と呼ぶ方が、
「迫害」よりしっくり来る。「歴史記述によくある問題点」、「哲人皇帝ユリアヌス」の記事
では、主題決定時に(暗黙裡に)「ローマの為政者視点記述の方が客観的」という立場を採用
した(なお、ユリアヌスの対応は取締りとも言えないほど穏やかなものだった)。以下でも、
同じ立場を継続するので、論拠を補足しておこう。

まず、具体的イメージを持ちやすい現代での宗教団体への取締りの例を見ておく。フランスと
ロシアには、「社会秩序を脅かす宗教団体」を認定し、活動を制限/禁止する法律があって、
日本で「新興宗教」として活動している宗教団体の中に、その法律に引っ掛かっているものが
いくつかある事に注意しよう。例えば、ロシアでは、オウム真理教の後継教団(アレフ)が、
該当しているそうだ。かなり大きな宗教団体のフランス支部が、危険視されているとも聞く
(以下の論旨に関係ないので、ここでは団体名は伏せておこう)。

キリスト教出現以前のローマ帝国の宗教事情^

次に、背景となるキリスト教出現以前のローマ帝国の宗教事情に触れておくと、一言で言えば、
「(ある意味、現代日本と大差ない)*非常に緩いもの*」と考えてよいだろう。ローマ神話
とは、言って見れば「おとぎ話の体系」であって、生活規範としての意味合いはかけらもなく、
思想/信念という要素も希薄。∴大半のローマ人には、「宗教への免疫がなかった」と考える。

ユダヤ教は「具体的な生活規範」であること^

キリスト教の議論に進む前にユダヤ教の特徴を見ると、確かに具体的な思想/信念と言えるが、
それ以上に*生活規範*としての印象が強い。食物のタブーは有名だし、「安息日」の規定も
想像以上に*厳格な規則*として意味があったりする(現代のイスラエルは、ユダヤ教の中で
「正統派」と呼ばれる立場が公式採用されている。その立場では、「自動ドアがないと、外出
できない」とか「自動車も運転できない」といった解釈が真剣にありうる。つまり、「仕事」
だと見なされる活動は、全て禁止されているからだ。実際、現実の問題と考えられているため、
「異教徒」の存在は社会に不可欠の要素と考えられているとも聞く。なお、現代のアメリカの
ユダヤ人社会では、「保守派」ないし「改革派」という立場が一般的。「保守派」は「正統派」
より柔軟に「律法(=生活規範)」を解釈し、「改革派」は、さらに*ユルユル*(とは言え、
「世俗派」ほどではない)と聞く。ちなみに、イスラム教も、生活規範としての性格を強く持つ
宗教だったりする)。

キリスト教の信仰内容の特異性^

これに対し、キリスト教は、*異教徒への布教のため、生活規範としての性格を著しく弱めた
(有名な例として「割礼」の廃止がある)*一方で、*他の宗教に例のない特異な思想/信念*
であることが特徴である。「同じ一神教」として、「ユダヤ教やイスラム教と似たようなもの」
であるかのように論じられる事が多いが、少し冷静に教理の中核である思想/信念を見よう。

(A)「死んだ人間が生き返った。そして、その人間こそ、*唯一神(の地上への降臨)*だ。」

という主張は、近現代人にとってだけでなく、中世以前の人にとっても*途方もない話*として
受け止められたに決まっている。これに対し、ユダヤ教やイスラム教は「選ばれた特定の少数者
(=預言者)が「神の声を聞いた(=神からのメッセージを受け取った)」事がある」としか、
主張していない。特定少数者(あるいは、特定の一人=教祖)」の神秘体験が存在した事を基礎
とする宗教なら、一神教以外にも数多くある。例えば、仏教の「悟り」を一種の「神秘体験」と
解釈することも出来るので、キリスト教以外の大半の宗教は、そういうものではないだろうか。

もちろん、キリスト教にも「「パウロの神秘体験(=「イエス=神」の声を聞いた)」を基礎と
する宗教」としての側面はある。しかし、その体験内容およびパウロによる解釈が、他に類例の
ない特異な思想/信念を産み出してしまった。さらに、現代からは、問題の*異常な出来事*は、
「歴史の彼方である2000年前の話」になってしまうが、当時は、*ほんの十数年前に起きた事*
として主張されていて、しかも、

(B) 「イエスの再臨(=「この世の終わり」)が、遠くない未来に起こる」

という話と、セットになっていた。「宗教に免疫のない人が大半」の社会で、こうした思想/
信念が*積極的に布教される*事の影響には、計り知れないものがある。イスラム教では、
ユダヤ教徒とキリスト教徒を「啓典の民」と呼んで「身内」扱いするが、キリスト教については、
「イエスは預言者の一人であって*神ではない*という解釈/留保」を付けての話だ

歴史記述のバイアス2: ×迫害→○抗争^

さて、ここで最初の命題1に立ち返って見よう。「迫害」という言葉には、何か圧倒的な強者側
(多数側)あるいは公権力による暴力的圧迫というイメージがある。しかし、「ユダヤ教徒」は
ローマ帝国の支配地に住んでいたのだから、さほど「権力」を持っていたわけではなく、自治権
止まりだった。新約聖書の福音書の記述では、「サンヘドリン」なる自治組織があり、イエスは、
その組織の権限により捕縛されたが、サンヘドリンには死刑を行う権限がないため、ユダヤ属州
総督ピラトに依頼して死刑を執行してもらったとされている。また、イエス一人だけが捕縛対象
とされていて、直接つき従っていた弟子たちは誰も捕縛されなかった事になっている。福音書の
成立は1世紀の後半とされているので、記述が史実ではないとしても、ある程度まで当時の社会
制度を反映した描写はされているのだろう。そうすると、「公権力による暴力的圧迫」としての
「捕縛」は、むやみやたらには発動できなかったのだろうから、「単なる暴力」が振るわれる
場合の方が多かったと推定できる。なお、パウロが「回心」の前に行っていたとされる「迫害」
にも「教会の襲撃」が含まれているという。

いずれにせよ、当時のユダヤ教徒集団に「他分派への攻撃衝動」があると考えられる。つまり、
「迫害」は、ユダヤ教徒内の特に優勢な集団が劣勢な集団に対して解放した「攻撃衝動」だと
考える。よって、集団間の力の差が極端に大きくなければ、攻撃は相互に行われ得るであろう。
さて、最初期のキリスト教は「ユダヤ教の一分派」と解釈するのが自然ではあるが、他の分派と
違い異教徒への*布教*を志向したことで、性質が変わった部分と変わらない部分があるだろう。

命題5は、「キリスト教徒内の他分派への攻撃衝動」として、集団の性質が引き継がれた結果と
解釈することもできる。しかし、ローマ帝国皇帝自らが分派間の抗争を納めるため「公会議」を
主催する必要があったという事から、キリスト教徒は、ユダヤ教徒の分派間抗争よりも、かなり
激しい抗争を繰り広げた結果、*抗争が社会問題化した*と考えざるを得ない。また、命題8
異端」 と判定された分派を国外に追放しない限り、抗争が収束しなかった事を意味している。

キリスト教徒視点での「異端者」とユダヤ人の共通点^

一つ付け加えておくと、中世の異端審問において、一度は「異端」とされる見解を放棄した後、
再び「異端」の見解を表明した場合、「戻り異端」と呼ばれ、死刑を免れなかった。ちなみに、
ジャンヌ・ダルクに死刑を宣告した際の口実も「戻り異端」だったそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャンヌ・ダルク処刑裁判
「異端再犯の審理」

一体なぜ、キリスト教において、このように激しい「異端」への敵意が生じたのだろうか。その
原因は、主張 (A) に、わずかの異説を許容しただけでも崩れてしまいそうな「脆さ」を感じて
いたからだろうと考える。パウロは、主張 (A) 特に前半の「復活」が最も重要な教えだとして
いて、「これが間違っていれば、伝道していること全てが嘘になってしまう」と言ったそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パウロ
「死生観」
また、前半の主張が揺らがなければ、復活した「人」は「普通の意味での人」ではありえないと
いう事から、後半につなげることができる。つまり、

主張 (A) だけには、いかなる不安要素をも許容できない」という思いが、「イエスの神性」に
関する異説への極端な敵意につながった。」(X)

という命題が、筆者が提示する仮説である。 この仮説は、キリスト教徒のユダヤ人への敵意が、
非常に長い歴史的時間続いて{いる、いた}原因も説明できる。つまり、「ずっと昔、一部の
ユダヤ人の振る舞いがイエスの死の原因になった」ということが、*全てのユダヤ人*を憎む
合理的な理由になり得ないことくらい、意識はできないにせよ、大半のキリスト教徒は分かって
いるのではないだろうか。ユダヤ人がキリスト教徒から憎まれ続け{る、た}理由は、ユダヤ人
つまりはユダヤ教徒が、「イエスは神でないだけでなく、預言者ですらない」と信じている事を
公言しているため、*主張 (A) を揺るがす存在だから*と考えた方が、つじつまが合う。

身近な「他者」への憎悪^

上述要因に加え「「ユダヤ人」、「反ユダヤ主義」、そして「(ネオ)ナチ」の定義について
で述べた、ユダヤ人による長期に渡った金融業独占、および、近現代における上位社会階層中の
ユダヤ人の割合の高さが加わっていく。そして、ユダヤ人はキリスト教徒にとって「同じ生活圏
に存在する他者」であり続けたため、遠い異邦の地の異教徒より、憎悪の対象になりやすかった。
# 因みに「身近な「他者」への憎悪」という構図は「魔女狩り」でも見られる。
ホロコースト前からの大規模なユダヤ人虐殺である「ポグロム」が、ロシアを含む東欧で目立つ
のも、単純に「居住するユダヤ人が西欧より多かった」ためであろう。

教会がポグロムを組織したということは無いようだが、教会がポグロムを止めようとした動きも
無かった。個々の司教には、止めようとした人たちもいたし、先導/扇動した人もいるようだ。

布教方法の侵略性^

初期キリスト教徒がローマ帝国の社会問題であった要因は、分派間抗争だけでなく、命題6
含まれていたことについて補足しておく。少なくとも、新たに教会を建設する際、既存宗教の
施設を流用ないし破壊して置換する事は、個々の司教の判断というレベルではなく、*当時の
↓教会としてマニュアル化された方針*だった。揉め事にならない方が不思議としか言えない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/キリスト教
「正統派とされるキリスト教では、多神教世界に布教する際、他の宗教の神殿の場所に教会を
建立することを奨励した。この結果、多く女神の神殿が聖母マリアに捧げられる教会に変え
られた。」
後年の十字軍大航海時代の征服において、土着文化を破壊して回る下地は、最初の最初から
存在していたわけだ。日本のキリシタン大名領で、寺院や神社が破壊されたのも、その一環に
過ぎない。」

更新履歴^
2022-05-11 17:05 : 命題番号書き間違い修正(6→5)
2022-05-11 17:34 : 字句修正
2022-05-11 19:05 : 字句修正
2022-05-20 02:32 : 字句修正、リンク追加
2022-05-26 12:59 : タグ #歴史 #ローマ帝国 を付与。
2022-06-25 08:47 : 他記事からの参照可能位置にid付与、リンク追加、改行位置変更
2022-11-27 12:43 : 節の見出し設定とリンク、記事先頭のリンク (^) 追加

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