6月19日、政府は新型コロナウイルスの感染者と濃厚接触した可能性を知らせる接触確認アプリ「COCOA」をリリースした。感染第2波を阻止する救いの一手として期待される一方で、政府による監視が始まるのではないか、効果が出る目安とされる「日本の人口の6割が利用」を実現するのは難しい、といった懐疑的な意見もある。そんな多くの人が抱く疑問を開発者にぶつけてみた。(ダイヤモンド編集部 宝金奏恵)
● 1人の開発者の 医療に対する信念から始まった
「国のアプリをつくりやがって」「秘密警察の前触れだ」
政府が6月19日から提供を開始した、新型コロナウイルス感染者との濃厚接触の可能性を知らせる接触確認アプリ「COCOA」。その開発チームの中心人物は、そんな罵声を浴びたことがあるという。
このアプリは、人材サービス会社パーソルホールディングスの子会社であるパーソルプロセス&テクノロジーが厚生労働省から受注し、工程管理を行う。しかし、アプリの基盤は有志で集まったエンジニア集団「COVID-19 Radar Japan」が無償で開発したものだ。
概要を説明すると、スマートフォンのBluetooth(近接通信機能)を利用して、半径1メートル以内に15分以上アプリ保有者同士がいた場合、そのデータを各端末に14日間保有することができる。
アプリ保有者が新型コロナウイルスの陽性者だと判明した場合、本人が同意の上、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システムが発行する処理番号を本人がアプリに登録。すると、他のアプリ保有者に「誰かは分からないが、14日間以内に陽性者と近接した可能性がある」という旨の通知が送られるという(参照:厚労省「新型コロナウイルス接触確認アプリ」)。
「多くの皆さんにアプリをダウンロードしてほしい」と会見で安倍晋三首相が呼び掛けたのをはじめとして、政府は感染第2波を阻止する一手として期待を寄せる。ただその一方で、冒頭の発言のように、アプリから国民の個人情報や位置情報が取得されて「政府による監視」が始まるのではないかといった不安の声も上がっている。
そんな中でアプリを開発したエンジニア集団は、有志が集い、無償で開発に当たったという。厳しい批判にさらされることもありながら、彼らが開発に取り組み続けた理由は何か。そして、多くの人が不安に感じているアプリでの「個人情報の扱い」はどうなっているのか。「日本の人口の6割が利用しなければ効果が出ない」といわれていることに対して、実現可能性をどうみているのか。開発チームの4人を直撃した。
アプリの開発に携わったのは、日本マイクロソフトに所属する廣瀬一海さん。エンジニア界隈では「デプロイ王子」の異名で知られる有名人だ。廣瀬さんが動きだしたのは、3月半ばだったが、思いつきではなく、経験に裏付けされた動機があった。
――なぜ廣瀬さんは接触確認アプリを開発しようと思ったのですか?
廣瀬 20年ほど前、エンジニアとして駆け出しの頃、日本医師会総合政策研究機構に所属して医療・介護用ソフトなどをつくっていました。その頃に公衆衛生について勉強して関心があったということもあり、新型コロナウイルスの感染状況についてはかなり心配していました。
何かできることがないかと思っていた中、3月にシンガポール政府がコロナ感染追跡アプリをリリースしました。シンガポール政府は、元々管理国家ともいわれていますし、不透明な部分があります。
医療用ソフトをつくっていた身として、医療は透明性が不可欠と思っています。透明性が担保されたアプリがあれば、他の国でも使ってもらえるのではないかと思いました。本当に趣味で、世界のどこかで使ってくれる人がいたらいいなあというノリで始めたんです。
ただ、正直誰かに託したかった(笑)。誰かが動いてくれることを期待したんですが、誰も最初は動かなかったので、知人に声をかけたりFacebookなどで広く呼びかけたりして、日本在住の5人のコアメンバーと一緒に進めていくことになりました。
◇
コアメンバーの中には、外部との交渉などを担当するメンバーもいる。安田クリスチーナさんだ。安田さんは米国のマイクロソフトに所属し、開発者のリレーション業務を行っている。
――廣瀬さんも安田さんも同じグループ企業の社員です。会社でプロジェクトを立ち上げた方がいろいろと円滑だったのではないですか?
安田 マイクロソフトという会社として製品を出すのは実際とても難しいです。基本的に外資系企業ですし、アプリを出すということはありません。
廣瀬 会社として何かをやるということは全く頭になく、在宅勤務でしたし、医療に対する自分の思いがあったので始めたものです。
● 個人情報は一切取らない 透明性へのこだわりが採用
――廣瀬さんたちのコミュニティー「COVID-19 Rader JAPAN」以外にも、開発をしている団体がいました。
廣瀬 当初、同時多発的に開発されているとは思っていませんでした。僕は開発の裏側を公開していたので、逆に話を持ち掛けられたことはあったのですが、開発段階から全ての情報をオープンにしていくという僕の信念と合致せず、結果的にバラバラになりました。
――政府が示したアプリの留意点として、「透明性」「インクルーシブネス(包摂性)」「使用目的の限定」「検証」など4つの評価軸があります。それらをクリアできたのが「COVID-19 Rader JAPAN」だったというわけですね。
廣瀬 結果として、私たちのものが日本政府に採用されることになりました。
実は初期の段階で、医療向けの個人情報を取らないのかという声をかけてきた企業もあったのですが、「一切個人情報を取るつもりはない」とお断りしていました。
個人情報を取るようなアプリにすれば、企業から支援を得られたかもしれません。しかし、日本でのプライバシーに対する意識は世界的に見ても高いです。また、自分だったら個人情報が吸い上げられるようなアプリは使いたくありません。自分が嫌なものをつくって、世の中にばらまくはずがない。
そのことをクリアにするために、開発過程から全て一貫してオープンに記録を残しているということが大事なのです。
――政府による監視が始まるのではないかという批判や懐疑的な意見もあります。
廣瀬 「国のアプリをつくりやがって」とか「秘密警察の前触れだ」とか暴言を吐かれたこともあります。行政をテクノロジーが支えるような取り組みは今までになかったと思うので、それをゼロから進めていくのは大変でした。
私たちはお金を1円ももらわずに、ボランティアで開発しました。たまには、そういう人たちがいるんだと信用してくれたらいいなと思います。
● 厳しい目もある中、無償で働く モチベーションは何?
廣瀬さんは医療にかける思いがアプリ開発の根底にあったが、集まったそのほかのコアメンバーは何がモチベーションになったのか。福岡のITスタートアップ企業で働くデザイナーの松本典子さんと、別会社に所属するUX(ユーザー体験)デザイナーの児玉哲彦さんは、それぞれ動機付けが異なっている。
松本 高い志があったわけではないのです。廣瀬さんから相談を受けて見せられたデザインがひどかったので(笑)、自分が最後までつくりたいという思いになりました。エンジニアならではかもしれませんが、探求心だけで取り組むというのが習慣付いていて、お金のことは考えていませんでした。
児玉 ITは社会にインパクトを与えられるのに、日本では公共部門につながっていかないということに長年、問題意識を持っていました。今回のコロナ問題で自分にできることはないかリサーチしていたところ、廣瀬さんの取り組みをFacebookで知り、参加することにしました。
◇
今回のアプリについては、COVID-19 Rader JAPANの開発したコードを、厚労省が委託したベンダー企業のパーソルプロセス&テクノロジーが今後維持・調整をしていくことになる。これで「COVID-19 Rader JAPAN」が政府と取り組んできたミッションは一段落ということだが、今後どうするのか。
廣瀬 「COVID-19 Rader JAPAN」として開発したコードは今もオープンになっていて、他国でも使われる可能性があります。実際にオーストラリアが参考にしてくれているようなので、世界各国が自由に、平易に実装できるように、今後も開発を進めていけたらいいなと思っています。
安田 技術は単独で存在するだけでは無意味で、社会で利用されて初めて力を発揮します。これまでデジタル化が進まなかった日本政府にとって、今回がデジタルトランスフォーメーションできるチャンスになるのではないかと思っています。だから、最後までやりきらないと始めた意味がないんです。
――日本の人口の6割が利用しなければ、効果が出ないといわれています。その点については、開発者としてどう思っていますか?
廣瀬 こんなアプリはない方がいいに決まっています。だけど、そんなことを言っていられる現状ではない。そのために、僕たちは、プライバシーや透明性などを最低限担保してきました。
薬は飲まなければ効果が出ないのと同じです。初めて飲む薬が怖いのは分かりますが、効果を得るためには飲むしかありません。怖がらずに飲んでくださいという気持ちです。
もちろん即効性を持つような対症療法薬が出てくることを期待したいです。でも今は感染者を減らすということしかできないので、それにアプリが役立ってくれたらいいなと思います。
自分が感染しないためのアプリではなく、自分が誰かに感染させないためのアプリです。日本人の6割が、自分のためではなく誰かのために、自分の大切な人を守るために、アプリをインストールできるのかどうか。そういうことが社会に問われているんだと思います。
ダイヤモンド編集部/宝金奏恵
● 1人の開発者の 医療に対する信念から始まった
「国のアプリをつくりやがって」「秘密警察の前触れだ」
政府が6月19日から提供を開始した、新型コロナウイルス感染者との濃厚接触の可能性を知らせる接触確認アプリ「COCOA」。その開発チームの中心人物は、そんな罵声を浴びたことがあるという。
このアプリは、人材サービス会社パーソルホールディングスの子会社であるパーソルプロセス&テクノロジーが厚生労働省から受注し、工程管理を行う。しかし、アプリの基盤は有志で集まったエンジニア集団「COVID-19 Radar Japan」が無償で開発したものだ。
概要を説明すると、スマートフォンのBluetooth(近接通信機能)を利用して、半径1メートル以内に15分以上アプリ保有者同士がいた場合、そのデータを各端末に14日間保有することができる。
アプリ保有者が新型コロナウイルスの陽性者だと判明した場合、本人が同意の上、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システムが発行する処理番号を本人がアプリに登録。すると、他のアプリ保有者に「誰かは分からないが、14日間以内に陽性者と近接した可能性がある」という旨の通知が送られるという(参照:厚労省「新型コロナウイルス接触確認アプリ」)。
「多くの皆さんにアプリをダウンロードしてほしい」と会見で安倍晋三首相が呼び掛けたのをはじめとして、政府は感染第2波を阻止する一手として期待を寄せる。ただその一方で、冒頭の発言のように、アプリから国民の個人情報や位置情報が取得されて「政府による監視」が始まるのではないかといった不安の声も上がっている。
そんな中でアプリを開発したエンジニア集団は、有志が集い、無償で開発に当たったという。厳しい批判にさらされることもありながら、彼らが開発に取り組み続けた理由は何か。そして、多くの人が不安に感じているアプリでの「個人情報の扱い」はどうなっているのか。「日本の人口の6割が利用しなければ効果が出ない」といわれていることに対して、実現可能性をどうみているのか。開発チームの4人を直撃した。
アプリの開発に携わったのは、日本マイクロソフトに所属する廣瀬一海さん。エンジニア界隈では「デプロイ王子」の異名で知られる有名人だ。廣瀬さんが動きだしたのは、3月半ばだったが、思いつきではなく、経験に裏付けされた動機があった。
――なぜ廣瀬さんは接触確認アプリを開発しようと思ったのですか?
廣瀬 20年ほど前、エンジニアとして駆け出しの頃、日本医師会総合政策研究機構に所属して医療・介護用ソフトなどをつくっていました。その頃に公衆衛生について勉強して関心があったということもあり、新型コロナウイルスの感染状況についてはかなり心配していました。
何かできることがないかと思っていた中、3月にシンガポール政府がコロナ感染追跡アプリをリリースしました。シンガポール政府は、元々管理国家ともいわれていますし、不透明な部分があります。
医療用ソフトをつくっていた身として、医療は透明性が不可欠と思っています。透明性が担保されたアプリがあれば、他の国でも使ってもらえるのではないかと思いました。本当に趣味で、世界のどこかで使ってくれる人がいたらいいなあというノリで始めたんです。
ただ、正直誰かに託したかった(笑)。誰かが動いてくれることを期待したんですが、誰も最初は動かなかったので、知人に声をかけたりFacebookなどで広く呼びかけたりして、日本在住の5人のコアメンバーと一緒に進めていくことになりました。
◇
コアメンバーの中には、外部との交渉などを担当するメンバーもいる。安田クリスチーナさんだ。安田さんは米国のマイクロソフトに所属し、開発者のリレーション業務を行っている。
――廣瀬さんも安田さんも同じグループ企業の社員です。会社でプロジェクトを立ち上げた方がいろいろと円滑だったのではないですか?
安田 マイクロソフトという会社として製品を出すのは実際とても難しいです。基本的に外資系企業ですし、アプリを出すということはありません。
廣瀬 会社として何かをやるということは全く頭になく、在宅勤務でしたし、医療に対する自分の思いがあったので始めたものです。
● 個人情報は一切取らない 透明性へのこだわりが採用
――廣瀬さんたちのコミュニティー「COVID-19 Rader JAPAN」以外にも、開発をしている団体がいました。
廣瀬 当初、同時多発的に開発されているとは思っていませんでした。僕は開発の裏側を公開していたので、逆に話を持ち掛けられたことはあったのですが、開発段階から全ての情報をオープンにしていくという僕の信念と合致せず、結果的にバラバラになりました。
――政府が示したアプリの留意点として、「透明性」「インクルーシブネス(包摂性)」「使用目的の限定」「検証」など4つの評価軸があります。それらをクリアできたのが「COVID-19 Rader JAPAN」だったというわけですね。
廣瀬 結果として、私たちのものが日本政府に採用されることになりました。
実は初期の段階で、医療向けの個人情報を取らないのかという声をかけてきた企業もあったのですが、「一切個人情報を取るつもりはない」とお断りしていました。
個人情報を取るようなアプリにすれば、企業から支援を得られたかもしれません。しかし、日本でのプライバシーに対する意識は世界的に見ても高いです。また、自分だったら個人情報が吸い上げられるようなアプリは使いたくありません。自分が嫌なものをつくって、世の中にばらまくはずがない。
そのことをクリアにするために、開発過程から全て一貫してオープンに記録を残しているということが大事なのです。
――政府による監視が始まるのではないかという批判や懐疑的な意見もあります。
廣瀬 「国のアプリをつくりやがって」とか「秘密警察の前触れだ」とか暴言を吐かれたこともあります。行政をテクノロジーが支えるような取り組みは今までになかったと思うので、それをゼロから進めていくのは大変でした。
私たちはお金を1円ももらわずに、ボランティアで開発しました。たまには、そういう人たちがいるんだと信用してくれたらいいなと思います。
● 厳しい目もある中、無償で働く モチベーションは何?
廣瀬さんは医療にかける思いがアプリ開発の根底にあったが、集まったそのほかのコアメンバーは何がモチベーションになったのか。福岡のITスタートアップ企業で働くデザイナーの松本典子さんと、別会社に所属するUX(ユーザー体験)デザイナーの児玉哲彦さんは、それぞれ動機付けが異なっている。
松本 高い志があったわけではないのです。廣瀬さんから相談を受けて見せられたデザインがひどかったので(笑)、自分が最後までつくりたいという思いになりました。エンジニアならではかもしれませんが、探求心だけで取り組むというのが習慣付いていて、お金のことは考えていませんでした。
児玉 ITは社会にインパクトを与えられるのに、日本では公共部門につながっていかないということに長年、問題意識を持っていました。今回のコロナ問題で自分にできることはないかリサーチしていたところ、廣瀬さんの取り組みをFacebookで知り、参加することにしました。
◇
今回のアプリについては、COVID-19 Rader JAPANの開発したコードを、厚労省が委託したベンダー企業のパーソルプロセス&テクノロジーが今後維持・調整をしていくことになる。これで「COVID-19 Rader JAPAN」が政府と取り組んできたミッションは一段落ということだが、今後どうするのか。
廣瀬 「COVID-19 Rader JAPAN」として開発したコードは今もオープンになっていて、他国でも使われる可能性があります。実際にオーストラリアが参考にしてくれているようなので、世界各国が自由に、平易に実装できるように、今後も開発を進めていけたらいいなと思っています。
安田 技術は単独で存在するだけでは無意味で、社会で利用されて初めて力を発揮します。これまでデジタル化が進まなかった日本政府にとって、今回がデジタルトランスフォーメーションできるチャンスになるのではないかと思っています。だから、最後までやりきらないと始めた意味がないんです。
――日本の人口の6割が利用しなければ、効果が出ないといわれています。その点については、開発者としてどう思っていますか?
廣瀬 こんなアプリはない方がいいに決まっています。だけど、そんなことを言っていられる現状ではない。そのために、僕たちは、プライバシーや透明性などを最低限担保してきました。
薬は飲まなければ効果が出ないのと同じです。初めて飲む薬が怖いのは分かりますが、効果を得るためには飲むしかありません。怖がらずに飲んでくださいという気持ちです。
もちろん即効性を持つような対症療法薬が出てくることを期待したいです。でも今は感染者を減らすということしかできないので、それにアプリが役立ってくれたらいいなと思います。
自分が感染しないためのアプリではなく、自分が誰かに感染させないためのアプリです。日本人の6割が、自分のためではなく誰かのために、自分の大切な人を守るために、アプリをインストールできるのかどうか。そういうことが社会に問われているんだと思います。
ダイヤモンド編集部/宝金奏恵
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