daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

倚りかからず④

2014年10月22日 | 詩人 - 鑑賞
             

倚りかからず‥茨木のり子は偉大な詩人ゆえ、言葉を例に引く。

気が利いた言葉を掛けられたら気が利いた言葉で返したく思う
それは長年のうちに私たち人類が身に付けた習性かも知れない
実際、身についた習性に私たち人類はよく護られてきただろう
生活に役立つ習性は権威づけられて集団の規範にもなるだろう
その権威に倚りかかりたくないと叫んでいる感じの茨木のり子

茨木のり子

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底(しんそこ)学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある


倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
~~~~~~~~~~~~~~~~~

如何に有能な文筆家であっても
如何に立派な思想家であっても
如何に心優しい言葉を綴っても
文字になったあとは揉みくちゃだ
そう心得て綴らなければならない
商業主義の心は食いものにしようと近づく
甘そうなフレーズに集る糞蝿というべきか
詩人の魂の言葉を糞塗れにして飛まわる蝿

できあいの思想は糞塗れ
できあいの宗教は糞塗れ
できあいの学問は糞塗れ
権威ある思想・宗教・学問だったとしても
糞塗れになったものに倚りかかりたくない
そのようなものに倚りかかれば病気になる
心狂わされて何が善いものか分らなくなる
これ以外、茨木のり子に理由があるものか

茨木のり子は自分の詩をもできあいと云う
糞蝿が自分の詩に集るのは防げないと云う
糞蝿にも命はあって生きなければならない
それゆえ彼女の詩も糞塗れのできあい品だ
心底糞蝿に学んだのはそれぐらいだと云う
そりゃあ、糞が付いてないのが欲しかろう
自分の耳目で確認しな‥独り立ちしようぜ


これは蛇足だが
疲れたときは腰掛けたら良いのじゃないか
そんなことまで茨木のり子に言わせるのか
ぁあッ、蛇の糞が付いちまったじゃないか。

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