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高齢なんかに負けないゾ!

不育症で4度の流産を経験しました。
今後の事、いろいろ迷っています・・・

今回の体験でわかった事・・・

2011-03-21 | ふと思ったこと

   地震の日、私はビルの19階でパソコンの授業を受けていました。

   最初はちょっとしたタテ揺れだったので、クラスメートと 『地震』 なんて

   軽く流していたらしだいに横揺れに変わりそれもハンパないふり幅

   みんなこれは 『タダ事ではない』 って事に気付きノートパソコンを置いている細長の机に

   入れるだけ体を入れ(って言っても実際頭くらいしか入りませんでした)キャーキャー

   大波にのっかってしまった船に乗っている状態が10分くらい続いていました。

   教室の前にキャスターの台にのせてあるTV(ブラウン管)が左右に2台あったのですが

   揺れている間は1m以上左右に動き続けていてTVが落ちるかと思いました。

   パソコンの授業だった事もあり揺れがいったん治まったらみんなネットで情報収集。

   最初、横浜の震度が2と表示されていてみんなで  『うそでしょー』  って騒いでいたら

   あとから2回地震があったんだけどビルの高層階にいた私達は2回あった地震が途切れる事無く

   1回の長い長い地震に感じていた事がわかりました。

   2回目の地震は震度5強 私が今まで生きてきて初めて体験した大地震でした。

   その後もちろん授業どころではなく解散。

   とりあえずエレベーターは止まっているし(もちろん動いていても怖くて乗れませんが)

   ひっきりなしに余震は続いていたので私はしばらく教室でワンセグで地元TV神奈川を見ながら

   神奈川県の情報収集していました。

   もちろん電車は全て止まっているし、ビルの窓からはここから離れている所ではあったのですが

   火災らしき黒煙と火も見えたりして情報が入れば入るほど不安な気持ちに・・・

   携帯でとりあえず旦那さんに連絡を・・・っと思っても案の定繋がりません

   でも家に一人でいた事を思えば地震時、知っている人と耐震のビルにいて 「良かった」 

   って思いました。 (まさかこの時は横浜駅から歩いて帰る事になるとは思わなかったので)

   本震から1時間半が経ってクラスメートの3分の2が帰った頃、余震も少しずつ減ってきたし

   電車は動く気配は無いし暗くなる前に行動した方が良いと思い始めました。

   その時には旦那さんを始めauの家族とは全員無事との連絡が取れていたので気持ちにも

   余裕ができてました。

   クラスメートの1人が 『横浜駅の様子を見てくる』 と言うので私はひとまず歩いて40分あれば

   到着する旦那さんの実家を目標に19階から階段で下りる事にしました。

   地震から既に2時間近く経っていたいたので階段は混雑していなくて5~6分で下りれました。

   それにしても驚いたのは私のいたビルはそごうの隣のス〇〇ビルという比較的新しいビル

   だったのにもかかわらず階段の壁や天井が壊れていたり落ちていた箇所が数箇所もあった事

   ビルはキレイでも 「壁や天井は簡易にくっつけているだけでもろいんだ」 って

   つくづく 『地震がきたらまず頭だけはを何らかの形で守らなければ・・・』 っと感じました。

 

   この日の話を書き出すと1日かかってしまうのであとはショートカット気味にしますが

   この後、鶴見という所から実家まで歩いてきた旦那さんと合流し19時半に旦那さんの実家を

   出発して22時過ぎに無事に自宅に着きました。

   170cmあるガラスの扉の食器棚が倒れていないかだけが一番の心配だったのですが

   (家が6階なのと食器棚の上にさらに花瓶を2つと神棚までそこに祀っていたので・・・)

   奇跡的に食器棚に対して揺れが横揺れだった為、花瓶はおちていたものの割れてなく

   急須1つのみヒビが入っていたのとなぜか流しの中でお皿が1枚割れていただけでした。

 

   自宅のガスが 「大きな地震だと止まるシステム」 になっているのですが、それもちゃんと

   作動したみたいでまずはガスを復旧させてから昨日の残り湯でお風呂を沸かしTVをつけると

   東北沿岸部の津波の影像をみて息をのみました

   まるで映画のワンシーンのよう・・・

   これが現実 

   たかが3時間ちょっと歩いて自宅に帰ってきてブーブー文句を言ってた自分が

   すごく恥ずかしく思えました。

   電気もガスも水も使える我が家・・・

   被災された方を考えるとたかが電車が止まっているってくらいで文句を言っていたなんて・・・

 

   この3連休もまだ横浜でも余震が続いています。

   今、東北の方々が体験されている事が地震大国の日本に住んでいる限りいつ自分の身に

   おきてもおかしくありません。

   今回の地震で横浜駅から自宅まで   「歩いて帰れるんだ」  って事がわかり

   大変ではありましたが、良い経験にもなりました。

 

   私が被災地の方にすぐ出来る事は義援金を出すことくらいなので

   これからしばらくは無駄遣いをおさえて少しでも東北地方の復興に役に立てるよう

   ちょっとづつでも定期的に寄付出来ればいいなと思っています・・・

    

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは! (パール)
2011-03-22 17:23:41
地震以降、時々覗かせていただいていました。
この記事を読んで、ニコさんが神奈川に住んであるんだな、ということが分かりました!
主人の弟家族が、川崎に住んでいます。

さて私は、いつもニコさんに見ていただいている二つのブログをその後更新していませんが、実はもうひとつブログを持っていて(笑)、そちらに最近のことを書いていますので、もし良かったら読んでくださいね。
「みかんの木」と言いますが、そこにくるお友達は、二つのブログの存在は知りません。(知っている人も数人はいますが)
HNも、パールではなくみかんです。
なんだかややこしくてごめんなさいね。
もし興味があったら、どうぞ。
URL、上に入れてます。
返信する
パールさんへ (ニコ)
2011-03-24 22:28:29
ご無沙汰してます。
パールさんの弟さんが川崎在住だったとは
今回の地震、今だに1日に何度も余震があるので
懐中電灯持参で訓練校に通っています
私も早速、日本赤十字に郵貯銀行からささやかな金額ですが
募金してきました。
今回の災害は地震国日本に住んでいる限り
他人事には思えませんものね・・・

来週火曜日に訓練校も修了しますので
ぜひまたパールさんのブログにお邪魔しますね 
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