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高齢なんかに負けないゾ!

不育症で4度の流産を経験しました。
今後の事、いろいろ迷っています・・・

自己紹介Part3 (完)

2009-04-30 | 自己紹介
   3回目の妊娠は2度目の流産後半年後と意外に時は早く来てくれました。
   ちょうど2年前の今頃の事でまずは流産の手術でお世話になったクリニックに
   行きました。
   この時も胎嚢は確認出来ましたがまだ6週ちょうどくらいで心拍までは
   確認することが出来ませんでした 
   過去2回の妊娠では全て心拍の確認まで行く事が出来なかったので
   かなり心配ではありましたがまだ週数が早かったので先生からは
   『次はゴールデンウィーク明けに来て下さい』 と言われただけで特に薬の
   処方もなくそれまでの約10日の間は普通に生活していました。

   しかしゴールデンウィークの後半からまた微量の出血が始まってきました。

   ゴールデンウィーク明けの5月7日にクリニックで診てもらうと3度目の妊娠で
   初めて心拍を確認する事が出来ました。
   当時不育症の知識がまったく無かった私は 


       「心拍が見えれば大丈夫」  と


   思い微量の出血があって多少の心配はあったものの安心してました。

   ただ既に39歳だった私は高齢の初産でハイリスク妊婦に該当する為

      
       『こちらのクリニックでは出産させる事が出来ないので
                              病院へ紹介状を書きます』


   と言われ結局一度目の妊娠の時に行った自宅近くの総合病院に翌日行くことに・・・

   二年前の時点で私の住んでいる市はかなり産婦人科不足が深刻になっていました。
   クリニックで紹介状を書いてもらう時に

 
       『病院には空きがあるか確認されてから
                      行かれた方がいいですよ』

   
   とも言われクリニック帰りに状況を聞く為に病院に寄ってみることにしました。
   まだ7週目だったのですがギリギリ大丈夫で安心して自宅に帰りました。

   そして忘れもしない翌日5月8日の朝、旦那さんが職場に行く前の事でした。
   私は出血している感覚があったのでトイレに行くと生理の2日目の時ぐらいの
   血のかたまりが出たのです。
   怖くって便器を確認する事は出来ませんでしたが感覚的に

        「赤ちゃんがお腹から出ちゃった  ってわかり

   トイレから出て号泣しました 

   旦那さんは


       『まだ決まったわけじゃないし大丈夫だよ』


   と励ましてくれましたが、朝イチで病院に行き内診してもらった先生の第一声が


       『本当に妊娠していたんですか?』


   私がウソついてるとでも・・・もう絶句でした・・・

   前日のエコー写真を持参していたのでそれを見せて妊娠していた事は
   認めてくれましたがそんな事はどうでもいい事です。
   さっきまでお腹にいた赤ちゃんは先生に偽妊娠の疑いをかけられるほど
   妊娠していたという証拠が残らないくらいにキレイに流れてしまっていたのです。

   それから丸2日間は抜け殻のようになり自分でもよく覚えていません。

   その後クリニックで行っていた子宮頸がん検査でひっかかりそっちに気がいき
   数日間は検査などでバタバタして赤ちゃんの事を思い出す余裕のない日々が・・・
   結局、子宮頚ガンは異形成という前ガン状態で3ヶ月ごとに様子を見る事に
   なりました。 
   私の赤ちゃんは命を懸けて私を助けてくれたんだと思います。

   この時から私はインターネットで子宮頸ガンや不育症の事をいろいろと
   調べるようになり名古屋の先生の事もある方のブログで知ることになりました。
   不育症で有名な先生は私の住んでいる神奈川県にもいらっしゃったので
   その先生の当時いらっしゃった東海大学伊勢原病院と名古屋を迷ったのですが
   メンタル面を重視するという名古屋の先生の方針が私には向いていると思い5月中旬に
   思い切って名古屋の病院に予約の電話を入れました。
   するとなんと予約が取れた日が翌年の6月4日 1年待ちです 

   でも自分が納得した先生に診ていただきたかったので名古屋受診の時を待ちながら
   地元の大学病院で出来る検査はこっちでしておく事に決めました。

   こちらの大学病院では3ヶ月ほど検査をしました。
   染色体検査以外はほとんどしたのですが出た検査結果は潜在性高プロラクチン血症 
   のみで処方された薬も1日にテルロンを半錠飲むだけ・・・

   この頃には不育症のいろんな方のブログを読んでいてある程度不育症に対する
   知識が入っていたのでこの結果にはますます不安が高まりました。

   その年の秋から妊娠解禁の許可がおりたのですが不安があった為かなかなか
   妊娠しません。
   そんなこんなしているうちに年明けの1月に名古屋の先生ご本人から留守電が
   入っていました 
   慌てて折り返し電話してみると、平成20年の5月に開業されるとの事で
   若干だけど半月くらい予約を早める事ができるとのお話しでした。
   私はお忙しい先生が直に患者の私に電話をくれた事に大変驚いたのと同時に
   先生の優しい声や上からものを言わないしゃべり方に今まで出合った事のない
   タイプの先生でぜひこの先生に診ていただきたいという気持ちがより高まりました。
              
   そして5月まで一応タイミングは取りつつも名古屋行きを待つ事に決めたのです。
   結局その後なかなか妊娠出来ずにいて一度初めてAIHを試みるも撃沈の上
   翌周期は無排卵になり妊娠を諦めかけていた今年の1月、1年8ヶ月振りの自然妊娠。
   名古屋に通院しながら初めて8週の壁を突破する事が出来たのですが
   残念ながら染色体異常という治療ではどうする事もできない理由で4度目の
   流産となったわけです。

   3回に分けて今までの経緯と簡単な自己紹介をさせていただきました。
   こんな私ですが今回の流産では胞状奇胎と診断され早くても今年の9月頃まで
   次の妊娠を解禁することは出来ません。
   今後の予定ですが解禁後半年くらいはまたがんばってみようと思っています。
   クリニックは金銭面から名古屋通院はもう無理なので来月東海大学の先生が
   私の住んでいる市内に開業されるのでそちらに転院する予定です。

   これからはそちらの情報を含めてブログを書いていくつもりなので
   興味のある方は今後とも宜しくお願いします  



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自己紹介Part2

2009-04-28 | 自己紹介
   こんにちはー、関東地方はですが先週末から季節が一気に逆戻り。
   今朝も寒いくらいでした 
   
   さて今日は先日の自己紹介の続きを・・・

 
   一度目の妊娠が意外に簡単に出来た私はその後しばらくは妊娠を甘く見ていて
   タイミングさえちゃんと合わせればまたすぐ妊娠出来ると思い半年くらいは
   仲良しもせず以前と同じ生活を送っていました。
   旦那さんも相変わらず子作りに関して積極的ではなかったので仲良しも
   ほとんど無い状態です。

   そうこうしているうちにあっという間に37歳になりその年の春に
   大好きだった祖母が亡くなりました。
   祖母は北海道に住んでいたのですがちょうど私も仕事がお休みの時だったので
   初七日までの10日間程北海道に滞在して母の手伝いをしました。
   私は大人になってから初めて身内の死に直面したので、この時生と死について
   すごく考えさせられました。
   私が心から 自分の子孫を残したい と思ったのはこの祖母の死がきっかけでした。

   その後北海道から戻った私はこの自分の気持ちを旦那さんに話そうと決意しましたが
   口頭では上手く伝えられそうにもなかったのでメールで気持ちを告白 
  
   旦那さんも私の気持ちを理解してくれ、結婚後10年経ったその頃から本格的に
   私達の子作りが始まりました。

   まずは基礎体温をつけるようにしてタイミングをとる事にしました。
   一度目の妊娠をした時の仲良しのタイミングが生理周期の早い私は大体
   生理が始まってから9~10日目だったのでそのあたりで仲良しを試みました。
   数ヶ月で妊娠出来ると思っていましたが考えが甘かったみたいです
   8周期くらい自己流のタイミングで仲良しをしても妊娠しません
   当時我が家のパソコンはWindows98でインターネットもつなぎ放題にしていなかった
   ので、今みたいにインターネットとは無縁だった私は排卵検査薬の存在すら知らず
   ただただ気持ちが焦るばかり・・・

   そしてついに3年前の春、不妊検査をしようと思い県下ではそれなりに有名な
   クリニックの門を叩いたのでした。

   子宮卵管造影検査やフーナーテスト、ホルモン検査をはじめ旦那さんも協力してくれ
   精液検査も行いました。
   その時に出た結果は私のプロラクチンが若干高めという事と旦那さんの方は
   精子無力症(精子の運動率が悪い)との事でした。
   私にはテルロンが処方され旦那さんは名前は忘れてしまいましたが確か漢方薬が
   処方された記憶があります。

   これらの検査が全て終わったのが5月の中旬で私と旦那さんは始めだけ処方された
   薬を飲んでいましたが、私は薬を飲んだら気持ちが悪くなるし旦那さんの運動率の事を
   不妊治療をしていた私の友人から 『運動率っていうのは日々変わるよ』 って
   聞いていたので結局お互いに薬は途中で止めてその後はそのクリニックで
   排卵を2周期ほどエコーでみてもらいそれに合わせてタイミングをとりましたが
   妊娠しませんでした。
   
   ところが通院を止めたその周期に二度目の妊娠が発覚 
   それが3年前の8月の事です。
   今度こそは・・・っと思い無痛分娩に興味があった私は無痛分娩に力を入れている
   病院に5週目に転院して胎嚢を確認。次回の通院を2週間後に指定され
   「今度こそは大丈夫」  と思い2週間後に通院したところまたしても育っていなくて
   そこの病院では 『自然に流産するから待ちましょう』 と言われたのですが
   自然まかせも不安だったので一度目の流産の時手術でお世話になった
   地元のクリニックにセカンドオピニオンで再度みてもらう事に・・・

   こちらの先生は手術推進派の考えで、私も年齢の事もあって早く手術して次に
   進みたかったので手術してもらう事を選びました。
   
   二度目の手術も無事終了して術後1ヶ月ほどで生理が再開しました。
   ただ、ここのクリニックの院長先生は手術の腕前は確かなんですが不育症の知識が無く
   
       
         『二度の流産までは結構ある事だから
                      特に検査する必要はないですよ』 
   
  
   と言われ私もそれに対して疑問を抱かなかったんです。

   今更なんですがこの時検査しておけば3度目の妊娠で出産出来ていたかも・・・ って
   すごく後悔しています。

   
   またまた長くなってしまったので自己紹介Part3は後日にさせていただきます   
   
   
     
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自己紹介

2009-04-22 | 自己紹介
   こんにちは
   今日もパートが無いのでまったり過ごしています・・・

   今日は突然ですが私のブログを途中から読み始めてくださっている方も
   いらっしゃると思うで再度自己紹介をしたいと思います

   
   母の故郷である小樽で誕生したのが41年前・・・(母は里帰り出産でした)
   自宅のある神奈川県に戻りその後弟が2人誕生して5人家族ですくすくと育ちました 

   結婚は27歳の時でぶっちゃけますと当時流行っていたねるとんパーティーに
                           (今で言うお見合いパーティーですかね) 
   友達と参加した時に10歳年上の今の旦那さんと知り合い半年後に結婚しました     
   
   ハネムーンは旦那さんはハワイに行きたがっていたのですが私の希望を押し通して
   ニュージーランドに行きました
   (だってハワイはいつでも行けそうな気がしたもんで
   旦那さんは最初の頃は頑固で結婚して3年くらいの間は結構ケンカもしましたー
   でも彼も40代に入ってからは丸くなってきて今はたまにする程度です。

   結婚してからは3年くらいの間は私が旅行会社で働いていた事もあってハワイに数回
   国内も遠方では沖縄や北海道、普段でも伊豆などの温泉に月1で出かけていて
   今思うとかなり贅沢してましたー  
   その後旦那さんが転職をし我が家のバブルもはじけ今は質素に生活してます  

   実はうちの旦那さんは子供を特に望んでいませんでした。
   
   私も結婚当初はまだ若かったのと遊びたかった事もあり特に 「子供が欲しい」 とは
   思っていませんでした。
   しかし35歳になった頃からようやく母性が出てきたのか徐々に 「せっかく女性に
   生れたんだから子供を産みたい」 と思うようになりました。
   でもその後も特に基礎体温なんかも付ける事なく旦那さんとの仲良しもほとんどない
   状態だったのですが36歳の時のお正月、久しぶりの仲良しで偶然にも初妊娠
   
   旦那さんも子供が絶対にいらないって訳でもなかったのでそれなりに喜んでくれました。
   
   妊娠検査薬で陽性反応が出た後、自宅から歩いて10分程の総合病院で初診を受け
   胎嚢は確認できたもののまだ5週目だった事もあり次の診察は3週間後と言われました。

   しかし6週目の土曜日に急に少量の出血が始まり心配で病院受診したかったのですが
   休診だった為 「土曜日でも診てもらえる産婦人科」 をタウンページで探して
   自宅から車で10分かからない所にある産婦人科を見つけて受診しました。
   
   『とにかく今は出来るだけ安静にして下さい』 と言われ帰宅。

   その1週間後に再度受診したものの胎芽の確認ができず
   『今回は残念だけど流産ですね』 と言われ翌週手術をする事になり
   手術内容の説明をされた記憶があります・・・

   これが最初の流産の経緯です。 
   
   その時はまさかこのクリニックでこれから4回も流産の手術をする事になるとは
   夢にも思っていませんでした。

   自己紹介って書き出すと長くなっちゃいますね  続きはまた後日に・・・



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はじめまして

2008-05-26 | 自己紹介
まず簡単な自己紹介から・・・


去年の11月でついに40歳になってしまったニコと申します。
今回このブログを立ち上げたのは同じ不育症で悩んでいる方と
私が経験した事や思った事を公開する事でここが『情報交換の場』
になればと思い開設しました。
初心者の私なので読みづらいかもしれませんが宜しくお願いします。


現在の私の状況は不育症の治療で有名な名古屋の青木先生の診察を
1年待ってやっと今月13日に受ける事ができました
いろいろな方の書き込みの通り、今まで診察を受けたどの先生よりも穏やかで
その上自信を持っていらっしゃるので「この先生なら次回妊娠しても大丈夫」って
青木先生にお会いして私にも希望が湧いてきました


今回青木産婦人科クリニックでした事は次の通りです
 
  ①問診(私のみ)
  ②診察(私の場合は夫婦で診察室に入り今までの経緯をお話しして
      地元大学病院で行った検査結果を見ていただき説明を受ける)
  ③別室にて助産師さんから日常の過ごし方等のお話を聞く(夫婦共)
  ④採血(染色体の検査も希望したので夫婦共)
  ⑤性格診断(私のみで10分位のペーパーテスト)
               
                      以上を行いました

  検査結果が出るのは1ヶ月後との事で次回の予約は6月19日です。
  検査等かかった費用は私が¥65930 主人が¥8430 でした

私の場合地元の大学病院で受けていた検査がありこの金額になりましたが
検査前に青木先生にメールで金額を問合せたところ
何も検査をされていない方だと検査で約10万円、治療で約15万円かかると
回答をいただきました。染色体検査は保険がききますがその他の検査が
自費になるものが多いので仕方ありませんが結構かかりました


私の場合関東在住なので交通費もばかにならないのですが
青木先生にお任せすると決めたのですからがんばりま~す