今日は冬型の気圧配置で寒い一日となりました。
北海道に比べたら、暖かいのでしょうが‥‥
昨日に続いて玖島城跡を散歩します。(以前に散歩した事も書いていますので、日時は記事と一致しない時があります)
大村のお家(玖島城)は、小さくて天守閣もありません。大手門から本丸までの直線距離も短く、他のお城に比べたら小さいですが、ご主人は、幕府のおとりつぶしや、領地を換えられる事もなく何代も続いた
そうです。そして渡辺 清、長岡半太郎、石井筆子など多くの偉人を輩出しています。
お城の敷地に船蔵が残っているのは、珍しいそうです。屋根付きの船蔵だったのでしょうか? 柱の基礎石みたいな物がみえます。
ここから船でいくと長崎も近いですので、海外の情報をいち早く得ていたのでしょう。また西海橋の方へ行き、平戸あたりでポルトガル船などと交流していたのでしょうか?
とに角大村湾に面した西彼杵半島、東彼杵の大部分が、大村藩の領地でしたので交通手段として、船は便利だったとおもいます。
この御船蔵の近くで県立大村高校と県立大村城南高校(以前は県立大村園芸高校)のボート部の練習風景を良く目にします。
大村藩の船が長崎へ向かって、進んでいる様子を思い浮かべながら‥‥
大村藩お船蔵跡
船が入る所が、ここから平行して3個ならんでいます。当時の船が復元出来たらその船で、大村湾を周航したら十和田湖、や琵琶湖の周航にも負けないのでは、ないでしょうか。
大村藩お船蔵跡
お船蔵跡は県の史跡指定になっています。詳しく説明文も書いてあります
すぐ近くに国立大村真珠研究所あとや、玖島崎古墳、そして競艇発祥の地、大村競艇場があり競艇場の向かい側に長崎空港があります。
お船蔵跡
お船蔵の出入り口付近で高い山が見えますが、あのあたりは、長崎の近くです。海路で行くと長崎に行くのも大変楽だったとおもいます。陸路で行くと鈴田の峠や日見の峠を登っていくので、苦労したとおもいます。
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最後まで読んでいただき、有難うございます。
明日は玖島崎古墳の方へ行ってみたいと思います。