戦没者追悼
戦争で人の命が絶えては絶対にならない
遺族の願い活かす情報発信を
「人の命が戦争で絶えることは絶対にあってはならない」。9月5日、いわき市芸術文化交流館「アリオス」で開かれたいわき市戦没者追悼式で、遺族代表が語りかけました。福島県遺族会もピーク時の3分の1に減少したといいます。戦争を知る世代が減少しています。「戦争の惨禍と平和の有難さを後世に語り継ぐ」。この遺族の願いを活かしていきたいと強く思わせる追悼の辞でした。
命がけの逃避行
遺族代表の追悼の辞は、満州からの引き上げ体験も紹介しました。
満州で現地召集された父親の部隊が、参戦したソ連軍との戦闘で全滅し、招集後わずか3か月後に命をなくした。父の戦死の報せは、終戦後11年目だったといいます。
父を亡くし、満州から引き上げる行程は悲惨でした。
多くが女性と子どもの集団でした。目的地に到着せず、どこにいったか分からなかった第1陣。続く第2陣として出発し、道に沿えばわずか20㎞の行程を、ソ連軍の襲撃を避けるため、山や丘の道なき道を20日間かけて進み、約200㎞を歩いたといいます。
その間、病気や歩けなくなった者は置き去りにせざるをえず、子どもと野菜を引き換えた家族もいた。毎日40人程の子どもが犠牲になり、目的地に到着した時には、出発時の半数の800人まで減っていたといいます。
その後、無蓋の貨物車輌で港まで移動、引き上げ船に乗り博多港に到着。しかし、すぐには上陸できず、沖合に1ヶ月程停泊しました。疫病の防止やソ連兵にレイプされた女性の中絶が目的だったといいます。
わずか6歳にしての命をかけた逃避行。どれほど大変だったのか。
こうした体験をした方の言葉だからこそ、「人の命が戦争によって絶えることは、絶対あってはならない」という訴えが深く心に突き刺さったのでしょう。
過去に出席した追悼式の多くでは、遺族の戦争体験と平和への思いが語られました。その思いは活かされているのでしょうか。現実の日本はどこに向かっているのでしょうか。
米戦略上の日本列島
8月25日、いわき市文化センターで「いわき平和のつどい」が開かれました。
戦争遺品や炭鉱への朝鮮人徴用に関する資料の展示とともに、ドキュメント映画「標的の島――風(かじ)かたか」の上映、監督の三上智恵さんの講演が行われました。
映画は、米軍や自衛隊の沖縄県での基地設置や住民の反対運動、基地設置の背景に、日本列島を対中国の防衛線として利用する、米国の第1次列島線という戦略があることを伝えました。
列島は対中国の堰堤
この戦略は、第1列島線沿いに米国や同盟国の地上発射の対艦ミサイル、対空ミサイルを大量に配備し、太平洋進出を狙う中国を封じ込めようとするものです。日本列島全体を中国封じ込めの堰堤にしようというのです。
沖縄への米軍や自衛隊基地の建設問題は、この戦略の一環であり、そして、この戦略は全国を巻き込む問題だということを訴えていました。
秋田県と山口県にイージス・アショアを配備する計画が進められようとしています。なぜこの地への配備か。北朝鮮と配備地の延長線上にあるハワイとグアムの米軍基地を守るための配備だと指摘する報道がありました。「米戦略国際問題研究所(CSIS)の昨年5月の報告書は、 『(日本の)イージス・アショアはハワイやグアム、米本土東海岸といった死活的な地域や戦略的な港湾・基地を防護することができる 』と指摘」(赤旗、6月18日)とも報じられています。
恒久平和の願い発信
自衛隊を海外の紛争地域に派遣したり、米軍との共同作戦を可能にする安保法制はすでに制定されています。
これらの日本の現状は、戦争犠牲者の遺族の反戦と恒久平和への願いに応えているのでしょうか。
三上監督は講演で、沖縄の人々が反対しても米軍基地建設が進む現実を「民主主義が壊れている」と話しました。民主主義の破壊は、沖縄だけでなく全国でも同じと指摘しました。
現状を変えていく力は恒久平和への願いを太く、積極的に発信していくことでしょう。非核平和都市宣言の心の発揮がこれまで以上に求められています。
文=伊藤浩之
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