伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

沖縄の問題だけではないを伝える「標的の島ー風(かじ)かたか」

2019年08月25日 | 平和・戦争
 平和のつどいは、午前10時と午後1時の2回、ドキュメント映画「標的の島―風(かじ)かたか」を上映した。午後の上映後に映画監督である三上智恵さんの講演があるので、私は、午後の上映に時間を合わせて参加した。


 会場となった大ホールのロビーには、実物大の広島投下の原子爆弾の模型や常磐炭鉱に徴用された朝鮮人に関する調査報告、戦争遺品などが展示され、会場を訪れた人たちが見学していた。



 ホールでの映画上映に先立ち実行委員長が舞台あいさつに立ちつどいの狙いを説明した。日本と韓国や中国との関係が悪化する中、沖縄のたたかいを知ることが重要という考えで、今回のつどいのテーマを沖縄にしたのだという。


 映画の上映時間は約2時間。冒頭、軍属に女性が暴行され殺害・遺棄された事件に抗議した沖縄集会で歌手・古謝美佐子さんが歌った「童神~天の子の子守歌」が流れた。

♪~天からの恵み 受けてこの地球に
生まれたるわが子 祈りこめ育て
イラヨーホイ イラヨーホイ
イラヨー 愛し思産子~♪

 稲嶺進・名護市長(当時)が、この歌の歌詞に含まれた「風(かじ)かたか」という言葉にふれ、「我々、行政にある者、政治の場にいる者、そして、多くの県民。今回もまた、一つの命を救う風かたかになれなかった」と事件を悼んだ映像が挿入された。

 辺野古基地に反対する沖縄戦体験者は、「人は首が飛んでも2~3間は歩く」と話しながら、「苦しいとも言えない。悔しいとも言えない」戦争犠牲者の無念に思いをはせながら、「今度戦争が起きたら島も、人間も全部いなくなる」と胸中を語る。

 そして、辺野古、軍事訓練場となっている高江、自衛隊の対艦ミサイル基地に揺れる宮古島等のたたかいなど積み重れねられていく映像には、国の横暴とあきらめずにたたかう人々の楽観性、自衛隊基地を受け入れる人々の姿など複雑に絡み合う沖縄の様相が重ねられていた。この沖縄におきていることは沖縄だけにとどまるものではないことを映画で伝えたかったのだと三上監督は語った。




 どういうことなのか。映画ではアメリカの極東戦略にふれた。「エアーシーバトル構想」という。

 中国とアメリカが直接戦争状態になった場合、中国の核ミサイルがアメリカ本土を狙う可能性が大きくなりアメリカのリスクが飛躍的に増大する。このため、アメリカと中国の直接の戦闘を避けるため、中国を沖縄・先島諸島を含む日本列島=第一次列島線に引き寄せて戦う構想をアメリカが打ち出した。第一次列島線の局地的な戦闘で、中国の太平洋進出を抑えようというのだ。日本列島はアメリカの防波堤にすぎない構想だ。宮古島や石垣島に地対艦ミサイルを配備する計画は、この構想の一翼を自衛隊に担わせるものだ。

 仮に、緊張が高まる情勢下で中国艦船がここらの海域から太平洋に進出しようとした際に、この構想を発動させミサイル攻撃をしようものならどうなるのか。中国は、島の自衛隊基地を攻撃対象と認識し島の安全は脅かされる。そしてその脅威は、国土防衛とは全く関係がなく、アメリカへの攻撃リスクを排除するためにもたらされるというのだから開いた口がふさがらない。

 映画のタイトルにある「風かたか」は「風よけ」あるいは風よけによって守られている場所を指すという。アメリカは日本列島を第一次列島線として中国をここに引き付けて戦う。すなわち、日本列島はアメリカの風よけとしての「風かたか」であり、アメリカは外から守られた「風かたか」の中で安全を確保することを、タイトルは意味しているようだ。

 福島にいる私が認識しなければならないのは、アメリカにとっての「風かたか」は沖縄と先島諸島だけではないとういうことだ。すでに、日本列島全体がアメリカの「風かたか」に組み込まれている。

 映画には、宮古島の人々が、自衛隊のミサイル基地受け入れを巡って賛否をたたかわせる場面がある。基地が整備されることで安全が脅かされる、水源地の基地は問題だという反対意見と、自衛隊に守ってもらう、あるいは子どもが減少する中で自衛隊の家族の居住による活性化に期待する賛成意見などに分かれる。三上監督は、沖縄の人の賛成は決して積極的なものではないという。やむを得ない選択として賛成しているというのだ。賛成だから相手をたたけばいい。そういう性質の議論ではないということを私たちは理解する必要もあるようだ。




 三上監督は、マスコミに身を置いたものとしての悔いも語った。

 沖縄で少女が性的暴行を受けケガをした事件があった。この事件を契機に、日米地位協定の見直しや基地の撤去等を求める世論に火がついた。その結果、地位協定で守られる犯人の日本への引き渡しが実現し、また、普天間基地の返還合意に道が開かれた。その合意を報道する際、マスコミは「全面返還」と伝えた。しかしそうではなかったというのだ。

 合意を詳しく検証すると、別の土地を用意することが前提となっており、沖縄の別の場所に基地が移転するにすぎない合意を「全面返還」を評価したのは誤りだったというのだ。この後、辺野古への基地移転がすすめられ、高江での米軍ヘリポート建設の動機となっているオスプレイの配備もすでに決まっていた。こうした一連の軍事的展開の隠れ蓑として暴行事件による世論の高揚が利用されてしまい、再び暴行殺人の犠牲者を生み出してしまったという悔いと敗北感が残っているという。


 住民を犠牲にして、あるいはその犠牲を利用して権力を持つ側が、その狙いを成し遂げるためにうごめく。その権力は、民主主義など知らん顔を決め込んでいる。沖縄の人々の辺野古に基地はいらないという民意を無視して米軍基地が押し付けられる。そして基地が存在するからこそ発生する事件。映画は「この国はここまで壊れちゃっているんですよと伝えている」という。この国で、沖縄だけが民主主義がないわけではないという認識を広げ、「沖縄は大変」としか受け止められない本土と沖縄の間にある壁を取り崩したいという。

 その思いを持って、その思いをストレートに伝えたいために作ったのが沖縄三部作に続く第4の映画「沖縄スパイ戦史」だという。拝見していないが、2か月前にはDVD化されているというので、是非、拝見したいものだ。


 講演を聴いてみて、映画そのものからその意図を深くくみ取ることができなかったのは、私の思考力の弱さだったと恥ずかしく思った。私自身も「沖縄は大変」と反応する一般の人と同等の認識しか持っていなかったのだ。

 かつて、沖縄に視察に行った事がある。その際、空き時間にタクシーを飛ばし普天間基地を見てきた。地政学的位置等での沖縄の基地の優位性を主張する自民党市議とは意見が合わなかった。しかし、米軍基地を福島に持ってくるのは反対だという一点では意見が一致した。この福島に基地を持ってくるという認識は米軍の極東戦略から見れば不十分だった。福島に基地はないが、極東戦略上ではこの福島もアメリカの「風かたか」とすでになっていたのだ。


 三上監督はテレビ局に勤めていた頃、沖縄のドキュメンタリーを作った。沖縄三部作の「標的の島」のことだと思う。この番組は、沖縄のローカルでは放送されるものの全国ネットにはのらない。福島の原発事故でも体験していることだから良く分かる。原発事故の詳細と放射性物質の振る舞い・影響の有無は福島県内では報道されるが、全国に報道されない。一方、原発に関わる事故・事件に関わるものばかりは全国に報道される。そして取材も危険・危ないという内容に集中する。その結果、被災地の実像が伝わらない。現実が正確に伝わらないジレンマは常に感じてきた。それと同じ事が沖縄の基地の問題をめぐってもおきていたのだ。

 何とか全国ネットに載せたい。そう思ったときに番組がユーチューブ等ネットで流された。もちろん違法となる。しかし、この番組を見て全国から「どうして全国に放送しないのか」と声が届くようになった。「知らないことで加害者になるのはまっぴらだ」と評判になったのだという。


 この体験が、新たなドキュメンタリー映画を作る力になってきたようだ。おかげで、沖縄の現実を知る機会が与えていただいている。三上監督は、この講演をするために朝4時に沖縄県読谷村を出発したという。いわきに着いた時には、映画が始まっていた・・おそらく午後の映画の話だ。本当に遠くからこの地まで来てくれたことに感謝したい。米軍の軍事戦略から日本を見ることの重要性を知ることができたことは大きい。


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