JEWEL BOX KDC!!

軽井沢学園を応援する会 会報 ストリートパズル25号より

なぜか「軽井沢学園」と検索するとKDCにヒットするという。。。
それはこの軽井沢学園を応援する会の会報、ストリートパズルにヒットするからです。
かれこれもう何年経ったでしょうか。。。
ブログや発信機器をもたない我らが軽井沢学園の副園長先生、たかねっち(笑)。
代わりに幼馴染の私が発信し続けて(笑)4年目の夏になります~
皆さん感動してまた泣いてくださいね!


‐園の庭をはきながら‐


ココロオドル

たかねっち☆
 

 わかれの春、そして、はじまりの春。自立を控えた子を持つ親は、この時期が来ると心配やら不安やら、嬉しいような淋しいような。そんな複雑な想いを抱きながら、長年育てたわが子の旅立ちの日を指折り数えることでしょう。
施設職員も同じです。私たちは、入所児童の実の親でこそありませんが、褒めたり怒ったり、笑ったり泣いたり共に過ごしたこどもがここを巣立っていくわけですから、世の親御さんと同じ気持ちでこの季節を迎えます。そして、今年もまた数名のこどもたちが長年過ごしたこの場所からそれぞれの道に向かい巣立っていきました。

職員は、長かった施設生活の集大成ともいうべき卒園に向けて、様々な準備や支度をこどもと共に行いますが、私は今年2人のこどもの自立の手助けをさせてもらうこととなりました。
今回は、その子たちが卒園を迎えるまでの数か月の間に私が触れた善意の数々、優しい話を1話2話にわけてお伝えします。

第1話「忠誠を誓います!」
高校3年生の隆平(仮名)は、昨年10月に地元企業A社から内定をいただきました。クラスでいち早く第一志望の就職が決まり、両手を上げての喜びもつかの間、ここから自立準備が始まります。一般家庭と違い、施設のこどもにとっては地元企業への就職といえども、自宅通勤という選択肢は決して多くはありません。大半のこどもが住む場所を探しての自活です。それに長野の田舎ですから運転免許は必須、自家用車も用意しなければなりません。言うまでもありませんが、これら全てにお金が必要です。
この時点での隆平の台所事情は、制度改正により数年前から施設入所児童へ直接支給されるようになった児童手当の蓄えと、アルバイトで得た収入、国や県から支給されるわずかな支度費など合せて100万円。私は隆平を事務室に呼んで、電卓片手に広告の裏に細々と数字を書き込みながら、これが如何に心細い額なのかという現実を突きつけました。
「うそっ、そんなにかかるの?」無理もありません。まだ社会を知らなすぎる高校生。家賃や免許、車、家電製品を買うお金。このくらいは理解していましたが、入居に係る初期費用(敷金、礼金、仲介手数料、火災保険、鍵交換費用)自動車取得税、重量税、自賠責と任意保険。その他諸々の経費までは想像できずにいたのです。無論、普段から保育士がここを出る時はお金がかかるから、今からしっかり節約しておきなさいと散々言い聞かせてきています。しかし、いざ自分が直面せねば素直に聞き入れてもらえないというのは隆平に限らずいつの時代の子も同じです。晴れて4月からの新生活が大赤字、借金地獄で始まらぬよう、とにかく贅沢言わずに安いアパート、ポンコツ車、最低限の家財、削れるところは全て削って、自動車保険などの絶対に外せない費用に回す。こんなやり取りをしながら自立準備を始めました。
しかし、保護者、保証人などの後ろ盾の無い中では計画どおりに事は運ばず、未成年者とは賃貸契約ができないと断られたり、維持費の安い軽自動車も少ない予算では手が届きません。

そうこうしているうちに時は過ぎ、入社の時期は迫っています。私自身焦りを感じ始めた2月下旬の職員会議中、就職先のA社人事部より一本の電話がありました。それは、驚きの内容でした。A社は隆平が児童養護施設出身者であることを承知で採用してくれたのですが、きっと経済的に困っているだろうと察して、アパートの賃貸契約は会社が行い、本来現地採用者には適用されぬ住宅手当の支給、更には敷金礼金等初期費用も全て会社が負担してくれるというものでした。また、家財道具も必要であれば、海外赴任中の社員が使っていたものを買い取って提供して下さる話まで。余りの好待遇、只々恐縮する私に人事担当者は言いました。「彼には是非うちで頑張って欲しいと思っていますから」
私はこの話を受け、急ぎ受話器を取りました。そして、話の内容を全て伝え終えると隆平は安堵のため息と共に「マジか...」言葉を詰まらせ、沈黙の後
「オレ、A社に忠誠を誓います。言われたこと何でもします!」
余程嬉しかったのでしょう。そんな言葉が飛び出しました。
また、冷蔵庫や洗濯機などの家電製品購入は佐久コスモスロータリークラブの皆さんからの寄付を充てさせてもらい、車は長野トヨタ取締役の中村氏が多忙な中で方々を回り、破格の値段で状態の良い軽自動車を探してくれました。運転免許取得費用は応援する会より補助していただき、引越し当日には、ボランティアのロブ・テイラーさんが荷物運びを手伝って下さったりと、沢山の方々の協力によって隆平は無事卒園、入社式を迎えることが出来ました。

入社後、ひと月が経ちますが高校在学中あれだけ寝坊、遅刻の常習犯。だらしなく叱られっぱなしだったあの隆平が、毎日始業30分前には職場入りし、床の拭き掃除をしているそうです。

たくさんの善意によって全てが順調に動き始めた3月初め。A社人事担当者とアパートの内覧に出掛けた帰り道。彼は運転中の保育士に向かってつぶやいたそうです。
「オレって何て恵まれてるんだろう」
隆平、その感謝の気持ちをいつまでも忘れないでいてくれ!お前ならきっとうまくいくはず。
第一話おわり

第2話「児童養護施設でも」
 「ハア~、1千150万か~」私は深く溜息をつきました。「授業料が80万で施設設備費30万、同窓会費にその他諸費用がいくらで、ワンルームの相場がこれくらい。あとは食費に光熱費、携帯利用料の他には・・・」ぶつくさぶつくさ独りごとを言っては事務室でインターネットを見ながら電卓をたたきます。
私は絵梨花(仮名)の関東の某私立大学合格に伴い資金計画を任されました。そのため、単身上京して4年間通い続けるためには一体いくら必要なのかを試算してみます。予想はしていたけれど安く見積もっての結果がこれでした。
正直、児童養護施設から大学へ行かせるなんて不可能。そう思って私はこどもたちに積極的に進学を薦めては来ませんでした。一千万もの大金は何処にも無いからです。日本学生支援機構から奨学金を借りて行かせることはできるかもしれませんが、返済不能で破たんした若者急増の悲惨なニュースを観てしまったら、若いうちから多額の借金を背負わせたくないという気持ちにもなります。
しかし、絶対に大学進学したいという絵梨花の強い想い、彼女の遠回りの人生を目の当たりにしてきた私は応援せずにはいられませんでした。
絵梨花は、小学生の頃は優等生、卒業文集で将来の夢は総理大臣。ところが中学入学後は不登校。高校進学するも1年で中退。きっと人一倍理想の高い絵梨花自身が「こんなはずじゃなかった」そう思い苦しんだことでしょう。自信を失い自分を責め、時には他に原因を求めながら。そんな、何事も上手くいかない絵梨花でしたが「もっともっと勉強がしたい」という想いは揺らぐことなく、アルバイトをしながら独学で高卒認定試験を受験。そして合格。大学進学を目指すようになります。
アルバイトで貯めた預金を切り崩し、応援する会からの資金援助を得ながら予備校へ通わせてもらい、合格通知が届いたのは卒園のほんのひと月前のことでした。
さあ、ここから本格的に住む場所、学費の工面、引越し準備の始まりです。もちろん合格通知が届く前から様々な想定の元、出来うる準備はして来ましたが、入学式は4月2日。タイムリミットまでたったの20日。果たしてそれまでに間に合うのだろうか。

入学金、前期授業料を振り込んで入学手続きを完了させた時、絵梨花の預金は底をつきました。幸い母親からの経済援助や、ここ数年の施設出身者の進学支援に対する機運の高まりにより、返済不要の給付型奨学金制度もわずかながら創設されています。これら使えるものは全て使わせていただき、どうにか4年間通わせる目処は立ちますが、それでもアルバイトで月に最低5万円は稼がなければなりません。まさに綱渡りの資金計画です。

資金繰りの次は住む場所です。計画では、家賃に回せる予算は月々わずか4万円。まずはインターネットで予算内の家賃を検索するも、年頃の娘が住むには防犯上到底お勧めできない物件ばかりです。困った、食費を削って更にバイトを増やすしかないか。でもこれ以上バイトを増やすのは負担が大きすぎる...絵梨花と共に頭を抱えます。
そんな矢先でした。東京都在住の櫻井さんより大変有難い話しが舞い込んできたのです。櫻井さんは、元職員の知人で応援する会の会員です。櫻井さんは毎年この時期になると卒園児童一人ひとりにお祝い金を送って下さったり、成人式用の振袖やお米の寄付、何かに付けてはこどもたちの事を気に掛けて下さる大変懐の深い女性です。絵梨花の進学のことも知っており、そして今回、自身の経営するアパートの一室がたまたま4月から空くことになったので良ければ提供したいと申し出て下さったのです。しかも、私たちの台所事情を考慮して、敷金礼金一切不要、家賃もただ同然の、まさに渡りに船の朗報に「これで何とか乗り越えられる!」私の心は躍りました。

こうして、進学準備も万事整い;;3月末に上京、入学式に間に合わせることができたのです。アパートへの引っ越しは4月9日と決まり、絵梨花はそれまでは櫻井さんのお宅から大学まで通わせていただきました。
引越し当日。この日はあいにくの大雨で、私は若い保育士と職員から譲ってもらった使い古しの家財道具を車に積んで東京へ向かいました。
ずぶ濡れになりながらも荷物の往復をして、ひと通りの片付けや手続きが済む頃には雨もやみ、薄っすら晴れ間も顔を出しています。別れ際「それじゃあ行くね。絵梨花がんばれよ」と手を振ると、ピンク色のジャンバー姿の小柄な絵梨花は「うん、ありがとう」そう言って照れくさそうに一度だけ大きく手を振り返し、私たちは桜満開の東京を後にしました。

3月19日軽井沢学園の卒園式が行われました。旅立つこどもたちを皆で見送る日。卒園児童や担当職員からの別れ、励まし、感謝、決意。これまでの学園生活を振り返り、思い思いの言葉で気持ちを伝え合います。そんな中、絵梨花だけは言葉が出てきません。それはそれは長い沈黙でした。会場は重い空気に包まれ、何とかしなければと皆が思ったその時、絵梨花は目を赤くしながらポツリと言いました。
「私は、児童養護施設でも大学に行けるってことを証明したいです」
第2話おわり

終わりに
私は、この1、2カ月の間に一体どれくらい「ありがとう」という言葉を口にしただろう。そして、この2人のこどもたちからどれくらい「ありがとう」を言われただろう。“アメリカファースト”を代表するような、裏を返せば自分さえよければそれで良いという価値観が浸透する一方で、今回のエピソードに登場するたくさんの人々はじめ、ここでは書き切れなかった人々の善意の気持ち。私は今回彼らの援助を通じて、この日本はまだまだ捨てたもんじゃないということ、身を持って感じることが出来ました。タイトルどおり、こころ躍るような数か月でした。
私はこの2人のこどもから幾度となく「たかねっちありがとう」と言ってもらいましたが、その都度「高根じゃないよ、○○さんのおかげなんだよ」と言い換えて来ました。ですから、一旦私のほうでお預かりしていた隆平と絵梨花からの「ありがとう」をこの場を借りてお返し致します。
この春、2人の若者の自立を支えて下さった全てのみなさん本当にありがとうございました。
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