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軽井沢学園を応援する会誌ーストリートパズルより

いつも考えさせられる児童養護施設、「軽井沢学園」を応援する会の「ストリートパズル」。
GOENライブ

もこの応援する会の皆さんの支援が元で始まっています

‐園の庭をはきながら‐
18歳へのカウントダウン

たかねっち☆
 児童養護施設に使われている“児童”という用語。これは、普段私たちが何気なく使っている言葉ですが、実はここで暮らす“ある世代”のこどもたちにとっては実に冷たく、そして残酷な言葉でもあります。
 みなさん児童福祉法という法律をご存知でしょうか?軽井沢学園の活動は、全てこの法律の枠組みの中で行われている訳ですが、児童とは一体何歳までを指すのか?各種法制度により若干の解釈の違いはありますが、児童福祉法の定義では「児童とは18歳に満たないもの」とされています。生まれた瞬間から、18歳誕生日の“前日”までが児童ということになります。
 そのため、児童養護施設の利用可能な年齢も17歳までと限られてきます。では、大抵の高校3年生が在学中に18歳を迎える中、その瞬間に施設を追い出されてしまうのかというと、無論そんなことはありません。18歳到達前に施設長が児童相談所長に対して「児童要在所期限延長届出書」という文書を提出し、高校卒業までの措置(入所期間)延長を願い出ることで、施設に留まることが可能となります。
しかし、このような厳格なルールが“ある世代”、高校生にとって大きな障壁となっているのです。今回は、そんな制度の壁に苦悩する高校生たちのお話です。

 学園で暮らす高校生たちは、家庭事情も入所時期もそれぞれ違います。しかし、その多くが幼い頃からここで育ってきたこどもたちです。幼い頃は、お母さんに逢いたい、早くおうちに帰りたいなどと家族への想いを抱く反面、喧嘩もするけれど気ごころ知れた大勢の仲間や職員に囲まれ楽しく暮らしていることも事実です。中学生頃になると、何かに付けては職員との衝突もしばしばで「こんなところ出てってやる!!」などと悪態ついては大人たちを困らせます。本当に学園を飛び出してしまい皆で捜索した事も数知れず。と、ここまでは苦労もあるけれど良くある話し。本当に困るのはここからです。
様々な経験を経て少しずつ成長を遂げているこどもたち。歳追うごとに自らの置かれている境遇にも気付き始め、いつしか親を頼れない、頼りたくないと悟ります。そして、社会自立を意識し始める高校生2年生頃ともなると、えも言われぬ孤独感や不安感が彼らを襲ってきます。それは、

「卒業したらここを出なきゃいけない」
という、まだずっと先の話しと思っていたことに、いよいよ現実味が帯びてくるからです。ここを出るということは、これからはたった一人で生きていかなければいけないということを意味します。それがどれだけ不安で心細い事なのかは、両親健在で何不自由なく大学まで行かせてもらえた私には到底計り知れぬところですが、とある児童養護施設で暮らす高校生の言葉から、彼らの切実な思いを垣間見ることが出来ます。

「ボクは大きな川に落とされた一枚の落ち葉のようなもの・・・」

ちっぽけな存在である自分は、この大きな川の流れに逆らうことも出来ず、ただ身を任せることしかできない。その先にどんなことが待ち受けているのかも全く想像がつかない。大きな滝があるかもしれない、濁流に飲み込まれるかもしれない、はたまた流木に引っかかってしまうかもしれない。先の見えない不安感や、自らの力ではどうすることも出来ない無力感をこのように表現したのだと思います。

バイトで貯めたわずかな貯金で始める独り暮らし。学校で共に馬鹿をやった親友とは明らかに異なる家庭環境、ボクにはかじるスネも無い。将来の事を考えても不安だけが募る一方。だから先の事など考えたくはない。「将来どうするの?」聞かれる度に耳を塞ぎたくなる。でも、刻一刻と迫る18歳へのカウントダウン。待ってはくれない制度の壁・・・
この不安や現実から逃げ出したい。リセットして楽になりたい。そんな思いで自分の体を傷つける。寂しさを紛らわせるかのように繰り返す深夜徘徊。苦労して頑張ってようやく入学できたはずなのに、いとも簡単に書いてしまう自主退学届。私はこの20年の間、現実と向き合えず、乗り越えられずに挫折したこどもたちをどれだけ見てきただろう。


この様な状況は軽井沢学園だけの話ではありません。全国におよそ600か所ある児童養護施設で暮らす高校生全てが抱える問題です。
そのため、最近になってようやく国も制度の改正や、社会自立間近な児童への経済的支援を考えてくれるようになりました。具体的には、自立困難な児童は最長二十歳までの措置延長を積極的に認めていくことや、運転免許取得にかかる費用の一部補助、個別指導が必要な高校生に対し学習塾費用の一部補助など。充分ではありませんが少しずつ良くなっていることは確かです。有難い話しです。

しかし、お金も必要ですがこどもたちを社会に送り出すうえで、大事なことはもっと別のところにあると過去を振り返りながら反省します。それは、
「その子にとっての頼れる場所や人の存在」
に他なりません。まだまだ未熟な10代での独り立ち。経験不足でうまくいくはずもありません。取り返しのつかなくなる前にひと言でも相談してくれさえいたら...。そんな風にならないためにも、私たちここで働く大人たちは普段の暮らしの中で、いつでも気軽に相談できる関係、ここぞという重大な局面でしっかりと向き合いモノ言える関係を築かなければなりません。そして「ここを出た後も困った時は学園に来れば大丈夫!!」と、皆が安心感を持って、前向きな未来を描けるような環境作りが必要であると思います。

数年前、高校卒業と同時に社会へ送り出した一人の青年がいます。彼は、昔から心が弱くアルバイトも一日で辞めてしまうようなこどもでした。案の定、就職した会社もすぐに辞めてしまい、身寄りのない彼は行くあてもなく友人宅を転々としていました。そんな状況を知った応援する会の会員さんが大層心配し、住む場所や就職先など親身になって世話してくれました。それでもなかなか仕事が定着しない青年でしたが、多くの方々の支えによって現在は、地元にある大層面倒見の良い社長さんの下で働かせて頂いています。
厳しくも寛大な社長さんのもと、フラフラしていた彼も少しずつ仕事に対する姿勢に変化が見え始め、ようやくひと安心していたのもつかの間、最近になって再び欠勤が続いているという知らせを受け、早速様子を伺いに会社を訪ねました。
会社では、社長さんとその奥さんが温かく迎えて下さり、色々と彼の仕事ぶりを聞かせて頂く中、ご夫婦が大人になり切れない彼を、時に厳しく時に優しく家族同然に面倒見てくれている様子がひしひしと伝わってきます。私はそのことへの感謝と、ご厚意に甘えるばかりで何も出来ない面目の無さから終始頭が上がりませんでした。そして、彼のことを社長さんに任せきりにせずに、学園としても厳しく指導しなければ。そう思案していた矢先、奥さんが私に向かってきっぱりと言いました。

「厳しい指導は一切私たちがします。だから学園は何も言わずに彼を温かく迎え入れてあげてください」
私はその言葉によって救われたのと同時に、改めて自分たちの役割に気付かされました。若くして社会へ投げ出される彼らのために、実家のようにいつでも帰れる場所を用意しておくこと。それが何より彼らの心の支えとなるのだと。
 
 今年も18歳を迎えた二人の男女が、長年暮らしたこの大きな家、大きな家族のもとを巣立っていきます。きっと彼らは4月から始まる新生活への期待と不安が入り混じっていることでしょう。そんな彼らの旅立ちの日、私はこのような言葉を掛けて見送ろうと今から決めています。
『毎月5のつく日はカレーの日だから絶対必ず食べに来てよね!』
おわり
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