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ストリートパズル(軽井沢学園を応援する会会報)第三号より

園の庭をはきながら

自分史の編纂(へんさん)

たかねっち☆
軽井沢学園の子どもたちが通っている軽井沢西部小学校では昔から、自分の名前の由来や自分が生まれた頃の様子をクラスメイトの前で発表し合う授業があります。誰もが祝福されて生まれてきた命であること、そして、今まで親から大切に育てられてきたことを知る授業です。「命の授業」とでも言いましょうか。今回はそんな“自分の生い立ちに触れる”ことのお話です。
小学2年生の香織(仮名)は、4歳の時に母の経済的な理由によりこの学園へやって来ました。物心ついた頃から施設しか知らない香織は母のことをほとんど覚えていません。母は香織を施設へ預けてからは借金取りから逃げるために各地を転々とし、その後再婚して2人の子を出産し、どこか別の場所で新しい家庭を築いているらしいと風の噂で聞きました。当時の私は、そのような残酷な事実を本人に伝えることが出来ずにいたため、香織はいつか必ず母が迎えに来てくれるものと信じていたに違いありません。
ある日、香織のクラス担任の岡本先生から「今度、子ども達の生い立ちについての授業を行おうと思うのですが、お母さんと会うことができない香織さんにとってはつらい時間となってしまいそうなので行わないほうがいいですか?」という問い合わせがありました。通常、保護者と連絡が取れる場合は、その子の名前の由来や生まれた頃の様子を聞いたり、幼い頃の写真なども送ってもらうのですが、香織にはそれができません。私は少し迷いましたが、学園の子ども一人のために学年全体の予定を変えるのは申し訳ないと思い、予定通り行ってもらうよう返答しました。そして、その日の晩、香織が授業で悲しい思いをしないように担当の石坂保育士と二人で作戦を練りました。
まずは香織の名前の由来について。「本当のところはわからないけど、漢字から読み取るしかないな。」そう思い漢字の意味を辞書で調べながら色々と考えてみました。次は香織が生まれた頃の写真です。「これもどうにも手に入らないな。仕方ない、絵を描こう。お母さんが嬉しそうに赤ちゃんを抱っこしている絵を香織と一緒に想像しながら描いてみよう。」そう決めました。そして、最後に香織が生まれた頃の様子です。「小さかったとか、かわいかったとか、そんなありきたりな話じゃだめだ。もっと香織が納得できるような話をしてあげなければ。」そう思うのですが、情報がありません。香織の入所時に児童相談所から渡された記録を見ても、出生時の体重や既往歴くらいしかわかりません。これは一番悩みました。
そして、授業の前日となり、石坂保育士は事前に打ち合わせたとおり香織と一緒に絵を描きました。名前の由来も話してあげました。しかし、香織は終始寂しげです。「クラスのみんなは、お母さんから直接聞くことができるし、写真も持っている。でも私には無い。」そう思ったのでしょうか。しかし、そんな悲しげな香織を元気づけた石坂保育士のひと言です。「ごめんね、私たちにも香織が生まれた頃の様子はわからないの。でもね、間違いなく言えることは10ヶ月もの間、お母さんがお腹の中で香織を大事に育ててくれたから、こうして生まれてこれたんだよ。香織だってみんなと同じようにお母さんに大切にされてたってこと、わかるよね。」香織の顔が少しだけほころびました。そして、写真の代わりに持っていく絵も、香織が生まれる前の大きなお腹のお母さんの絵に描き直しました。
授業当日、岡本先生の話では香織はいつもと変わらず特に心配な様子はなかったとのことですが、一体どんな気持ちで授業に参加したのでしょうか。「命の授業」のあった日の晩、香織は石坂保育士の手を握りながら眠ったそうです。
今、私たちは積極的に真実告知を行っています。残酷な事実であったとしても、その子の歴史を形作る一部であり、私たち大人の個人的な感情で歪めてはいけないと考えるからです。過去の私は子どもを傷つけまいと事実を語ることを避けていました。しかし、それは子どもが切ないのではなく、自分が傷つきたくなかったからなのかもしれません。今は、事実を子どもと共に受け止めて共感しながら、共に乗り越えていくことが子どもの精神的な自立につながると考えます。そして、私たち施設職員は、子ども達の喜びも悲しみも全て受け止められるだけの大きな器が自分に備わっているのか自問自答を繰り返しています。
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