‐園の庭をはきながら‐
ココに居続けること
たかねっち☆
多くの期待を胸に今年の春も4人の子どもたちが高校へ進学しました。2歳から18歳までの子どもたち50人が暮らしているここ軽井沢学園では、毎年数名の子どもたちが想い想いの夢を抱きながら高校へ進学します。しかし、そんな子どもたちも高校入学後間もなくして様々な壁にぶつかります。「こんなはずじゃなかった。」と夢と現実の狭間で苦悩する子どもたち・・・そして、幾人もの高校生が卒業を待たずして施設を去っていきます。今回は、そんな親と離れて施設で暮らす高校生たちのお話です。
高校入学後、最初にぶつかることは携帯電話の問題です。良い悪いは別として、一般家庭で暮らす中高校生の多くが入学と同時に親からケータイを買ってもらいます。そして、詳しくは知りませんがブログとかプロフなどという様々な機能や機会を用いて友達とコミュニケーションを取っているようです。その一方で施設はそれを買い与えることが出来ないため、子どもたちは「ケータイ無いから友達と連絡取れない。」「友達作れない。」「自分だけ持ってなくて恥ずかしい。」などと言ってはケータイを持つことが出来ない不満を私たち職員にぶつけてきます。当園では携帯電話は自分でアルバイトをしなければ持つことができません。そのため、ケータイを持ちたいがために、中学時代から続けてきた部活をあっさり辞め、少しでも早くアルバイトを始めようとする高校生もいます。
また、友達の家に泊まりに行くこともココでは簡単には許可していません。これも高校生にとっては重要な問題であり「望んで“ココ”に来たわけじゃない。他人のくせにいちいち保護者ヅラするな!」などと言っては職員と衝突します。
しかし、このような日常的な諸問題よりもはるかに重要な問題、それはやはり進路のことでしょう。高卒求人が少ない昨今、高校の進路指導では積極的に上位校への進学を勧めます。そんな状況の中、週末のアルバイトでは到底稼ぐことのできない高額な学費、そして、施設や親から経済援助が得られない現実を知り、進学をあきらめ目標を見失う高校生も少なくありません。
施設で暮らす子どもたちは、このように年齢が上がるにつれ家庭で暮らす友人と施設で暮らす自分とを比較し、友人をうらやみ、時には自らの境遇や親を恨み、そして何より先の見えない不安を抱えながら生活していることも事実です・・・
冒頭でも述べましたが、残念なことにココでは多くの子どもたちが高校を中退しています。中退理由は友人関係、学力不振、反社会的行動によるものなど様々ですが、中には夢をあきらめて無気力状態となってしまい、卒業間近になって辞めてしまった子どももいました。志半ばで高校を中退し、就職していく子どもたち。自己責任と言ってしまえばそれで終わりですが、そんな子どもであっても絶対に後悔しない人生を歩んで欲しい。立派になっていつか晴ればれとした顔で施設を訪れて欲しい。私は、去りゆく子どもの背中を見送りながらそのように願うことしかできない無力さを、一体何度感じてきたことでしょう。
そんな力不足の私にも出来ること。それは、子どもたちが過ごしたこの場所がいつまでもこの場所にあり続けられるようにしっかり守っていくこと。そして、いつでも「おかえり」と言えるように居続けることではないか、そうぼんやりと考えるようになった今日この頃です。
児童福祉法では0歳から18歳までが児童と定義されており、子どもたちは18歳を迎えた時点で“児童”ではなくなります。そのため、児童養護施設で暮らすことが出来るのは原則18歳まで(但し高校在学中に18歳を迎える子どもについては申請により卒業まで延長される)であり、住む場所と働き口を探して退所(施設を出ること)することになります。まだ社会を知らぬ遊びたい盛りの10代、後ろ盾もなく大人になりきれぬまま社会自立を強いられる子どもたちの不安や心細さはいか程のものでしょうか。前述した進学費用の問題もさることながら、子どもたちが退所後も安心して暮らせるようなしくみ作りも今後の大きな課題です。
ココに居続けること
たかねっち☆
多くの期待を胸に今年の春も4人の子どもたちが高校へ進学しました。2歳から18歳までの子どもたち50人が暮らしているここ軽井沢学園では、毎年数名の子どもたちが想い想いの夢を抱きながら高校へ進学します。しかし、そんな子どもたちも高校入学後間もなくして様々な壁にぶつかります。「こんなはずじゃなかった。」と夢と現実の狭間で苦悩する子どもたち・・・そして、幾人もの高校生が卒業を待たずして施設を去っていきます。今回は、そんな親と離れて施設で暮らす高校生たちのお話です。
高校入学後、最初にぶつかることは携帯電話の問題です。良い悪いは別として、一般家庭で暮らす中高校生の多くが入学と同時に親からケータイを買ってもらいます。そして、詳しくは知りませんがブログとかプロフなどという様々な機能や機会を用いて友達とコミュニケーションを取っているようです。その一方で施設はそれを買い与えることが出来ないため、子どもたちは「ケータイ無いから友達と連絡取れない。」「友達作れない。」「自分だけ持ってなくて恥ずかしい。」などと言ってはケータイを持つことが出来ない不満を私たち職員にぶつけてきます。当園では携帯電話は自分でアルバイトをしなければ持つことができません。そのため、ケータイを持ちたいがために、中学時代から続けてきた部活をあっさり辞め、少しでも早くアルバイトを始めようとする高校生もいます。
また、友達の家に泊まりに行くこともココでは簡単には許可していません。これも高校生にとっては重要な問題であり「望んで“ココ”に来たわけじゃない。他人のくせにいちいち保護者ヅラするな!」などと言っては職員と衝突します。
しかし、このような日常的な諸問題よりもはるかに重要な問題、それはやはり進路のことでしょう。高卒求人が少ない昨今、高校の進路指導では積極的に上位校への進学を勧めます。そんな状況の中、週末のアルバイトでは到底稼ぐことのできない高額な学費、そして、施設や親から経済援助が得られない現実を知り、進学をあきらめ目標を見失う高校生も少なくありません。
施設で暮らす子どもたちは、このように年齢が上がるにつれ家庭で暮らす友人と施設で暮らす自分とを比較し、友人をうらやみ、時には自らの境遇や親を恨み、そして何より先の見えない不安を抱えながら生活していることも事実です・・・
冒頭でも述べましたが、残念なことにココでは多くの子どもたちが高校を中退しています。中退理由は友人関係、学力不振、反社会的行動によるものなど様々ですが、中には夢をあきらめて無気力状態となってしまい、卒業間近になって辞めてしまった子どももいました。志半ばで高校を中退し、就職していく子どもたち。自己責任と言ってしまえばそれで終わりですが、そんな子どもであっても絶対に後悔しない人生を歩んで欲しい。立派になっていつか晴ればれとした顔で施設を訪れて欲しい。私は、去りゆく子どもの背中を見送りながらそのように願うことしかできない無力さを、一体何度感じてきたことでしょう。
そんな力不足の私にも出来ること。それは、子どもたちが過ごしたこの場所がいつまでもこの場所にあり続けられるようにしっかり守っていくこと。そして、いつでも「おかえり」と言えるように居続けることではないか、そうぼんやりと考えるようになった今日この頃です。
児童福祉法では0歳から18歳までが児童と定義されており、子どもたちは18歳を迎えた時点で“児童”ではなくなります。そのため、児童養護施設で暮らすことが出来るのは原則18歳まで(但し高校在学中に18歳を迎える子どもについては申請により卒業まで延長される)であり、住む場所と働き口を探して退所(施設を出ること)することになります。まだ社会を知らぬ遊びたい盛りの10代、後ろ盾もなく大人になりきれぬまま社会自立を強いられる子どもたちの不安や心細さはいか程のものでしょうか。前述した進学費用の問題もさることながら、子どもたちが退所後も安心して暮らせるようなしくみ作りも今後の大きな課題です。