<祖父母にあたる私たちは戦争を知らない。この国の記憶として正確に継承することが求められている>
県立図書館(山口市)や下関市内の図書館で所蔵するほか、ネツト通販のアマゾンからも購入できる。税込み1100円。問い合わせは金田さん(090・4148・8199)へ。
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「生きて帰って」と「弾除け神社」に奉納 出征兵士の写真返す宮司
2021/07/15 11:00
出征した兵士の軍服やスーツ姿の写真=山口市の三坂神社で2020年11月13日午後3時44分、松田栄二郎撮影
(毎日新聞)
日中戦争や太平洋戦争中に「弾除(よ)け神社」として知られ、出征した兵士の家族が無事を祈願するために兵士の写真を奉納した神社が山口市にある。当時、国内外から寄せられた写真は2万枚を超え、返還を続けてきたが、今なお1万4000枚以上が残る。戦後76年の夏を前に返還先の家族捜しは難航しているが、90歳を超える宮司はあきらめていない。「写真を返すまで私の戦後は終わらない」
同市徳地岸見にある三坂神社の神殿に入ると、左隅に兵士の写真を保管するケースが7箱積み上げられていた。写真は大小さまざまで、出身地ごとに茶封筒に入れて大切に保管されている。写真の人物は軍服姿が多いが、着物やスーツ、学生服姿もいる。
宮司の佐伯治典さん(92)や氏子らによると、三坂神社は日中戦争の勃発(1937年)後に「日清戦争や日露戦争の際、祈願した兵士が全員生還した」と新聞で報道されて「弾除け神社」として知られるようになった。出征した夫や息子の無事を祈って連日多くの人が写真を持って訪れ、1日約880人が参拝したこともあった。奉納された写真は2万枚以上とされる。山口県内が中心だが、北海道や東京、福岡、鹿児島などの県外、日本の統治下にあった旧満州(現中国東北部)や台湾、朝鮮半島から寄せられた写真もあった。
終戦後、先代宮司で佐伯さんの父哲三さん(58年に61歳で死去)は写真を返還するため近所を回ったり、神社の参拝者に「写真を奉納していないか」と尋ねたりして少しずつ返還した。哲三さんの死後、小学校教員だった佐伯さんは79年から写真の裏に書かれた名前や住所を基に名簿を作成。定年退職した89年からは名簿と電話帳を照らし合わせて往復はがきを送り、返還の希望を確認した。
返還作業が新聞やテレビで報じられると問い合わせが増え、79〜99年の20年間で計5466枚を返還することができた。1年間で889枚を返還できた年もあった。自分の写真が奉納されていたことを知り「両親に感謝したい」と喜んで受け取る人がいる一方、家族の願いがかなわず戦死していた人も多く、佐伯さんは何度も胸を痛めた。
写真の裏には詳しい住所が書かれておらず、電話帳で返還先を捜す作業は難航した。奉納した家族が亡くなっているのか、往復はがきが宛先不明で戻ってくることも続いたため、97年に送付を中止。その後は、市民団体による協力で写真展を山口県内各地で開くなどし、テレビで報じられれば返還につながったが、一枚も返せなかった年もある。
そんな中、参拝者の中で「自分の住む地域なら」と名簿を見て個人的に協力を申し出る人がいる。そのおかげで、山口県下関市伊倉本町の農業、金田博美さん(63)に2021年2月末、フィリピン・マニラ周辺で戦死した祖父操さん(享年37)の写真(縦約5・5センチ、横約4センチ)が返還された。
金田さんは20年2月、厚生労働省主催の戦没地への慰霊巡拝でフィリピンを訪問した。18年に86歳で他界した父忠雄さんが生前に戦没地での慰霊を望んでいたことや、金田さんに孫ができ「自分のルーツをたどりたい」と思い始めたのがきっかけだった。
帰国後、操さんの経歴や慰霊巡拝をつづった本「祖父に逢いに行く フィリピン慰霊巡拝団に参加して」(ブイツーソリューション)を執筆。操さんの写真が奉納されていると分かったのは本の印刷が始まった頃だった。「祖父が私に本を書かせたのではないか」。金田さんはそう驚く一方で「写真の数だけ人生がある。行政や企業、ボランティアも協力して返還を進めてほしい」と話す。
神社には21年3月末時点で1万4213枚が保管されている。このうち1238枚は写真の裏に書かれた名前や住所の字が読みにくかったり、記載自体がなかったりして誰のものなのかも分からない。神社は18年1月にホームページを開設し、県外から奉納された写真約2800枚の住所と名前や、287枚の写真を公開して情報提供を呼び掛けている。
「どれも『生きて帰ってほしい』という家族の思いが伝わる大切な写真だ」。佐伯さんは、命の尊さを伝える写真が残ることなく返還されることを願ってやまない。【松田栄二郎】
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2021年7月5日朝日新聞朝刊に「祖父に逢いに行く」が紹介されました。
比で戦死 祖父の生涯をたどる
下関の金田博美さん「祖父に逢いに行く」出版
分かっていることは、1945年フィリピンで戦死したと、ということだけ。戦地を訪ね、祖父の生涯をたどった孫が、一冊の本「祖父に逢いに行く」をまとめた。戦争は過去の話ではない、という思いを込めて。
出版したのは、下関市伊倉本町の金田博美さん(63)。祖父操さんはね太平洋戦争の激戦地となったフィリピンのルソン島で38歳で戦死した。母と妻ね5人の幼い子が残され、終戦の2年半後に執り行われた葬儀では、金田さんの父で、当時まだ15歳だった長男の忠雄さんが喪主を務めた。
2018年忠雄さんが亡くなった。その一年後、忠雄さん宛てに届いた戦没者遺族向けの新聞で、政府が主催するフィリピンへの慰霊巡拝の記事に目が留まった。忠雄さんが生前、戦地を訪れたいと願っていた事を知っていた。「おやじからの『残された宿題』かも知れない。いま自分が行かないと、じいちゃんの存在が消えてしまうと思った」
祖父のことはセピア色にあせた3枚の写真でしか知らなかった。戸籍謄本や過去帳を調べ、従軍や訓練の記録などが記載された兵籍簿も取り寄せた。兵籍簿には、生還した戦友が言い伝えた内容をつづった付箋が貼られていた。操さんがルソン島上陸後に編成された部隊に所属し、部隊が激しく戦闘したと伝わる日に亡くなったとみられることが初めて分かった。
昨年2月、政府の慰霊巡拝団に加わり、操さんの戦没地を訪れた。森の中で祭壇を設け、自身が書いた手紙を読んだ。「75年間待ち続けてくれたじいちゃんに会いに来られた」。
昨年5月、祖父に思いをはせたフィリピン訪問の記録を、地元紙で連載。「戦争を経験していない『孫』世代が感じた戦争をもっと多くの人に知ってもらえるように」と今年4月、公的資料などとともに調べた操さんの生涯を詳しく書き加え、自費出版した。
出版後、山口市の三坂神社で操さんの写真が見つかったと連絡を受けた。戦争中に出征軍人の家族が写真を奉納し「弾よけ神社」として知られた境内。長年土の中に埋められていたという写真とともに、引き取り手が見つからない一万枚以上の写真が残されていることを、本の末尾に記した。
当初、写真に映った姿しか知らなかった祖父は「友達のようにも、自分の子どものようにも感じるようになった。その祖父がどんな思いで亡くなっていったのだろうと思うと悔しくて悔しくて」。自身にも二人の孫ができ、戦争を経験していない世代の一人としてできることは何か、考えた。本はこう結んだ。
<すごく近い過去に、戦争があった。子供の頃、まわりの大人は戦争体験者で悲惨な戦争の話をしてくれた。戦争の記憶のかけらが、探せば生活の中に幾らでも残っていた>
<祖父母にあたる私たちは戦争を知らない。この国の記憶として正確に継承することが求められている>
県立図書館(山口市)や下関市内の図書館で所蔵するほか、ネツト通販のアマゾンからも購入できる。税込み1100円。問い合わせは金田さん(090・4148・8199)へ。(朝日新聞記者・太田原奈都乃)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c3/c42472afd0430d5fe306e15d7e6d7d5e.png)
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自費出版本「祖父に逢いに行く」より一部分を抜粋しましたので、読んでみた良かったらネツトで「祖父に逢いに行く」または「金田博美」と検索をお願いいたします。Amazonでは翌日配送に対応しております。
一部抜粋
【86頁】慌ただしくバスから祭壇や供物を運び出し、現地慰霊祭の準備をする。私も持参してきた祖父の写真や、靖国神社参拝時に頂いたお神酒や供物を供える。祖父が戦い、そして戦死した山に囲まれた悲しいほどの静寂の中で、七五年間待ち続けてくれた祖父へ手紙を広げる。
【90頁】私の夢の中で、激しい雨が降っている。
ジャングルの密集した木々の間を抜け、倒れた兵隊を雨はたたき土に埋める。
雨は兵隊の休む場所を奪い、命を維持するための体温を容赦なく奪い去る。
冷たい雨で手足がしびれ体が震え、思考は停止しているが容赦しない。
雨は傷病兵の微かな呼吸の間隔を、知らぬ間に永遠へと遠ざける。
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【94頁】祖父はどのような気持ちでこの写真を見ていただろうか。自分の事よりも家族の事を案じていたに違いないと思った。残してきた子供や妻、母の事を戦場の中で案じていた事だろうと思った。ひとりひとりの顔を見てひとりひとりの事を戦死する瞬間まで案じていた事だろう。
合同追悼式が開始され、遺児代表あいさつの時には、雨はやさしく柔らかな雨に変わっていた。
定価1100円(税込み)。インターネット通販「アマゾン」などで販売している。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c3/c42472afd0430d5fe306e15d7e6d7d5e.png)
「祖父に逢いに行く」
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本文より一部抜粋・・
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本文より一部抜粋・・
【69頁】海没された海峡の方向を方位磁石で確かめ、祭壇を作り追悼式を行うが海風が強く難儀する。花と日本酒を海へ手向(たむ)ける。手向けた花は私たちから離れ難いのか波に押し返され戻ってくる。
この海の底に眠る多くの無念の魂へ、この海は故国(ここく)へ故郷の山河へと続いている。心安らかにと心から願う。
【74頁】オリオン峠着。戦地では峠は敵を迎え撃つ拠点になり、兵隊には死守する命令が下される。当時の戦況下で死守とは文字通り「死んでも守る」兵隊の死ぬ場所を意味する。自分の死ぬ場所は此処なのだと思い、兵士はこの景色の中で戦いと死の準備をしていたのだろう。フィリピン北部から南下してきた敵との戦いで、多くの戦死者や戦病死者を出した峠であり、付近では今もなお日本兵と思われる人骨やヘルメットなどが出土するという。
【76頁】南下してバレテ峠へ向かい現地追悼式を行う。陽が高くなるにつれて影は短く、そして強くなる。バレテ峠はルソン島の中央に位置し、北上する敵をくい止める重要な拠点である。ここでも峠を守るために多くの兵隊の戦死により、故郷への帰還を果たせない無念の魂が眠る峠となった。
慰霊碑は今もなお、攻め登って来る敵を見下ろすかのように、風を受け立っている。
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本文より一部抜粋・・
【59頁】出発日(二〇二〇年二月)の一か月前にはルソン島にあるタール火山で突然の噴火があり、噴煙は一五〇〇メートルにも達した。その後火山活動は終息したが噴火による降灰は、マニラ都市部も含め都市機能の一部に制限をもたらし、私たち慰霊団の利用する予定のニイノ・アキノ国際空港は火山灰の影響で一時閉鎖された。
また、年初より新型コロナウイルス感染が全世界に拡散する兆候をみせ、慰霊巡拝出発月の二月には、横浜港に接岸したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号から、乗員乗客の新型コロナウイルス集団感染が懸念されていた。
【64頁】片側の窓から射し込む陽の光は、機内の反対側に同じ数の白い窓の形を描き、機体の動きに伴い上下左右にゆっくりと移動している。窓から見える市街地は少し斜めになっている。しばらくしてエンジン音は落ち着き、高度を維持したまま飛行を続け、窓から見える緑の大地と青い空との境界線は水平になっていた。
飛行機の窓から見ると、全てを覆いつくすかのように広がる熱帯のジャングルの樹木は、無念の死を遂げた多くの人々が両手を上げて、上空を飛んでいる私たちに向かって叫んでいるように感じる。置き去りにされた人々を樹木の根が貫き縛る。ここに見えるジャングルに多くの人々が残されている。
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本の一部を抜粋しましたので、よろしかったらAmazonや書店にてご注文を頂けたら幸いです。
目次
一、戦争の記憶を紡ぐ
二、フィリピン慰霊巡拝団申申込
三、なぜこの少年が戦死しなければいけないのか
四、戦場ヶ原公園・忠霊塔
五、戦没者・戦災殉難者合同追悼式
六、故郷の神社(豊神社)
七、祖父の葬儀
八、勲八等白色桐葉章
九、戸籍謄本・過去帳・墓石
一〇、死亡者生死不明者原簿
一一、臨時陸軍軍人(軍属)届
十二、兵籍簿
一三、NGO
一四、個人調査票
一五、『巡拝と留魂』
一六、小林兵団阪東隊
一七、祖父について
一八、フィリピン慰霊巡拝出発
一九、フィリピン慰霊初日
二〇、フィリピン北部慰霊(ツゲガラオとバシー海峡慰霊)
二一、フィリピン中部慰霊(オリオン峠とバレッテ峠)
二二、フィリピン南部慰霊・祖父の現地追悼(ラムット川とモンタルバン)
二三、祖父への手紙
二四、戦没者合同追悼式
二五、祖父の戦歴
二六、家族
本文より抜粋
【10頁】戦死した祖父操は、特別な武勲(ぶくん)をあげたわけではなく、上位の階級でもない。戦地からの手紙や遺書は無く、骨壺の中には何も入っていない。
だが、戦後七五年が経ち振り返ってみると、時間の風雪は過酷だ。戦争を知らない世代は令和産まれも七五歳の人も同じであり、昭和、平成、令和と歩んできた戦争を知る世代は高齢化が進み、戦後を知らない世代は日本の総人口の八割を超えている。私も祖父について知っている事は、僅かな写真とフィリピンで戦死したという事だけだった。
【17頁】姉弟で緊張して写真に写っているこの少年は、三七歳で召集され、三八歳の五月に日本から遠く離れた南の島で戦死する事を知らない。
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2021年6月30日山口新聞四季風
1944年下関から出征し、翌年激戦の地フィリピン・ルソン島で38歳で戦死した兵士がいた。「たまたまその時代に生まれ、自分の意志とは関係なく派兵された」若者の一人だ。どのような思いで出征し、無念の死を遂げたのか。遺影でしか知らない彼を今年63歳になる孫が少しでも祖父に近づきたい」と足跡をたどり『祖父に逢いに行く』を出版した。著者は下関市で農業を営む金田博美さん。戦争の記憶が薄れゆく中、「私が祖父の事を調べる最後の世代であり、調べないと祖父が生きていたことの全てが消えてしまう」との思いにかられた。戸籍謄本に始まり、役所に残る兵籍簿、臨時陸軍軍人届、菩提寺の過去帳・・。資料を一つ一つ調べる過程で、祖父の人物像とともに帰りを待つ家族の心情も明らかになっていった。昨年2月、厚労省の戦没者慰霊巡拝でルソン島を訪れた。祖父が最後に見た場所に建ち、むせるような森の匂いに包まれ最後の思いに寄り添った。慰霊は亡き父がかなえられなかった願いでもあったという。金田さんは言う。「平和への灯を絶やしてはならず、決して無関心であってはならない。この本を一番書かせたかったのは祖父でなかったか」。
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