金田博美

「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して
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2020年6月13日山口新聞【東流西流】フィリピン合同慰霊祭

2020-06-13 12:42:50 | Weblog
雨音で目覚める。7日間の慰霊巡拝最終日に初めて雨となる。
フィリピン戦没者合同追悼式会場のカリヤラ地区「比戦没者の碑」へマニラから南東へ110キロ移動する。
 碑は日本庭園内に建つ。フィリピンで戦没した約50万人の日本人の慰霊碑だ。
障壁の中央にあり、障壁は戦没者を肉親が両手を広げて迎えているように見える。

雨にたたずむ日本庭園は、ここが日本から南へ遠く離れた熱帯の国であることをしばし忘れさせる。
 なお雨は降りやまず、参加者は会場のテント内で雨をしのぐ。数多く供えられた菊の花が雨粒で光ってきれいだ。
早めに会場入りした厚労省職員が、音響機材や国旗をぬらさないようにビニールシートで覆い、テントの屋根にたまった水を落とす作業をするほど雨が降っていた。
 降り続いた雨は、追悼式が始まり遺児代表あいさつの時にはやみ、全員が献花をする時には青空が広がって日が差し、追悼式が終わった時には虹が出ていた。
これで全ての現地追悼式が終わり、式の途中は一度も雨にぬれることがなかった。

 私は子どもの頃から、祖父は国の命令で戦い戦死したのに、空の骨つぼでは寂しく哀れだと感じていた。
碑の近くにあった小さな石をポケットに忍ばせる。
今、石はまだ仏壇に居る。


2020年6月6日(土)山口新聞【東流西流】 フィリピン・ルソン島で戦死した祖父への手紙

2020-06-06 10:40:10 | Weblog

祖父 金田操様
やっとここへ来る事ができました。あなたはフィリピン・ルソン島で37歳の生涯を閉じました。
あなたは、どのような思いで出征したのでしょう。

あなたの長男(私の父)は、あなたの葬儀を15歳で喪主として執り行い、家を継ぎました。
次男は、県外に職を得て家庭を築きました。娘3人も市内に嫁ぎました。
あなたの妻マツエさんは私が1歳の時に、長男、次男、長女もあなたのもとへ逝きました。
あなたは全てご存知かも知れませんね。

あなたは出征して約1年後に戦死されました。ここで迎えた1度きりの正月はどうでしたか。
熱帯のジャングルから昇る月はどうでしたか。
故郷の穏やかな山から昇る月と比べて随分違っていたことでしょう。
あなたの子供、孫、ひ孫も同じ山を見て育ちました。

あなたは空腹だったでしょう。
水が飲みたかったでしょう。
怖かったでしょう。
痛かったでしょう。
帰りたかったでしょう。
無念だったでしょう。

今、あなたのもとへ来ることができました。
あなたの心は既に、故郷にあるのかも知れません。

令和2年2月17日
62歳の孫 金田博美