金田博美

「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して
www.amazon.co.jp/dp/4434286900

大作が熊本の花火を見に行きました。

2012-10-22 09:50:59 | Weblog
10月20日、21日大作が熊本の花火を見に行きました。

渋滞で帰れず、高速のサービスエリあで、一夜を明かしたそうです。

熊本経由で、阿蘇ファームランドのチーズケーキを買ってきました。

大作がね最近冒険をするようになりました。

良いことだけど、少し心配です。

晋一はブイッツプラグ交換をやっていました。

私はレガシーのワイパーのゴムを好感しました。

平和な一日です。


10月21日(日)のつぶやき

2012-10-22 02:36:27 | Weblog

明日、朝礼当番・・何か考えねば・・・・

2012-10-21 18:30:57 | Weblog
明日、朝礼当番・・何か考えねば・・・・

朝礼とかある、前日の日曜日の夕方、現在18時30分

なんか憂鬱になります。

何もなくても、日曜の夕方は(サザエさん症候群)は憂鬱になるのに。

緊張して、失敗しないか心配です。

これから、下書き(台本)作成に入ります。

フェイスブックから・・・

2012-10-21 18:19:18 | Weblog
10月9日
3連休が終わり秋晴れの空の下、午後から仕事。
でも、この仕事ができるのも、あと少し(現在55歳)。
サラリーマンの醍醐味を楽しまなければ・・・(*^_^*)・・(辛い時もあるけど)
健康診断で朝食を抜いているので、腹ペコ状態
今だったら、牛1頭食べれそう・・

10月12日
門司港六曜館、市川ちあきさん、JAZZ、LIVEナウ。
秋の夜長に、鈴虫の鳴き声とジャズ、ススキと月がにあう季節です。
・・・急にお団子が食べたくなったグウー(腹の虫)(^^♪ —
金田 朋子さん、市川 ちあきさんと六曜館にいます。
CD買いました。すごく良いです。
煙草を吸うお客さんは外で吸っていました。
外は少し寒いくらいでした。
門司港のレトロな風景にはジャズが合います。
♪~(´ε` )

10月14日
山口キララ物産展行きました。
スバルインプレツサのパトカーがありました。
シクラメンを二鉢買、1鉢は吉竹に持って行きました。
大入り満員でした。

10月15日
職場でラスク(乾パンみたいなやつ)の話をしていた時、自分の頭の中では、
こんなセリフが何回も渦巻いていました。自分は異常でしょうか?
「昔のあなたはこんなことで、へこたれたり、
弱音を吐いたり決してしない人だった。あなたラスクない。」

10月19日
バンドワゴンに行きました。
エレクトーンメインのライブで、珍しかったです。
秋の夜長は、ジャズがよく似合う・・・カッコつけすぎです。スミマセンm(__)m



10月13日(土)のつぶやき

2012-10-14 02:32:12 | Weblog

Chiaki Ichikawa 市川ちあき sings SMILE: youtu.be/Z8i30XU3CZs @youtubeさんから


Chiaki Ichikawa 市川ちあき sings My Favorite Things: youtu.be/0OTgGQbRx2E @youtubeさんから



結婚式が、セントバレンタイン

2012-10-01 23:16:03 | Weblog
☆以前同じ職場の森田君の結婚式が、セントバレンタインで
ありました。末永くお幸せに・・・(^。^)y-.。o○


☆下関駅前のハングル語・中国語の看板が、かわいそう・・・です。


☆晋一が花を持ってきました。


☆改めて、お誕生日おめでとうございます。


☆朋子さん・・お誕生日おめでとうございます。
  由佳ちゃんがケーキを持ってきました。


☆結婚式の二次会ナウ。豊前田大判,!(^O^)!


☆ノラ・ジョーンズ が、どうしても、野良ジョーンズ に聞こえる。


☆バクダットカフェナウ。(^_^)v

☆秋山さん写真、暗くてすみません。
 牛に引かれて善光寺
  ⇒妻に引かれてバクダット(^^)/ — 金田 朋子さん、秋山 仁希さんとBAGDAD CAFE にいます。



☆安倍さん、おめでとうございます。安倍さんは幸運の持ち主、フアイト安倍さん。

赤塚不二夫さんへタモリさんからの弔慰・・・

2012-10-01 23:13:58 | Weblog
改めて心に残る、赤塚不二夫さんへタモリさんからの弔慰・・・
弔辞は白紙だったとか?

弔辞 8月の2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のところにやって
きたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。

 あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都5山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。

 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 私もあなたの数多くの作品のひとつです。

 合掌。

 平成20年8月7日

 森田一義