チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ヴァイオリニスト・鰐淵晴子(1952年)とご家族(1960年)

2016-09-24 17:30:54 | 日本の音楽家

(2014年10月11日の記事にご家族の画像を追加しました)

主婦の友1960年2月号より、現・N響のコンマスを務めたこともあるヴァイオリニスト鰐淵賢舟氏のご家族です。

↑ 前列はお母さんのベルタさん、鰐淵晴子さん(14歳)、後列は晴子さんの妹・朗子【あきこ】さん(13歳)、お父さんの賢舟さんです。

 

7歳の鰐淵晴子さんはヴァイオリニストとして毎日グラフ1952年7月10日号の表紙を飾りました。

この人は女優になられたんですね。


説明によると「少女ヴァイオリニスト。昭和26年NHKのど自慢大会で三つの鐘を鳴らしたのがはじまり。それ以来、音楽会、放送、写真モデル、さては映画にまで引っぱり出されて、この頃ではすっかり有名になった。
お父さんはヴァイオリニストの鰐淵賢舟氏。お母さんはウィーン生まれのツィターの名人、ベルタさん。その血を受けた晴子ちゃんの天分はともかく、持って生まれた可愛い容貌も人気を博す大きな原因だろう。」

↑ 鰐淵賢舟・晴子親子 (『音楽之友』1953年4月号)

。。。ご両親とも音楽家とは。残念ながらネットでは演奏を聴けませんでしたが、ヴァイオリンに専念したとしても成功していたかも!

↑ 1951年8月15日アサヒグラフ表紙

 

お父さんの鰐淵賢舟氏(1910-1986)はプラハで学んだんですね。『音楽之友』1954年1月号より。

 

↑ 鰐淵晴子・朗子姉妹(主婦の友1952年6月号)

 

↑ 歌う雑誌KODAMA第3号(1960年)の鰐淵晴子さん(秋山庄太郎氏撮影)。フォノシートには残念ながら晴子さんの演奏は収録されていませんでした。

 

↑ 『国際文化画報』1960年1月号表紙。西武百貨店屋上ヘリポートにて。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
鰐淵晴子 (wy)
2016-05-09 17:55:20
彼女の母親であるベルタさんは、オーストリア帝国の皇室の一族だそうです。昔、NHKのラジオのドイツ語講座で話をされ、歌を歌われたのを聞いたことがあります。
Re: 鰐淵晴子 (チュエボー)
2016-05-10 18:00:43
wyさま、貴重な情報をありがとうございました。ベルタさんがラジオのドイツ語講座で歌を歌われていたとは知りませんでした。

それにしてもオーストリアの皇族一族の女性の心をつかんだ鰐淵賢舟さんというのは本当に魅力的なひとだったんでしょうね。

ところでベルタさんの画像をネットで探してもみつかりませんが、1959年の日本映画『いつか来た道』(島耕二監督) にベルタさんが通訳の役で出演されているそうで、いつか見てみたいです。ネット情報によるとこの映画はウィーン少年合唱団の二度目の来日を記念して製作されたということです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。