goo blog サービス終了のお知らせ 

チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

田中希代子・千香士 姉弟とお母様(1955年、第5回ショパンコンクール入賞直前か)

2016-09-20 22:16:32 | 日本の音楽家

(2016年3月5日の記事にお母さんの画像およびカステラの広告を追加しました。)

 

『婦人生活』1955年9月号にピアニスト・田中希代子さんと、ヴァイオリニスト・田中千香士さんの姉弟が一緒に写っている画像が載っていました。

姉:田中希代子(1932-1996)、弟:田中千香士(1939-2009)

田中希代子さんは第5回ショパン国際ピアノコンクールで日本人として初の入賞を果たしたというすごい人。

当時16歳くらいの弟・千香士さんは1966年から1979年までNHK交響楽団のコンサートマスターを務めることになります。

あっぱれな姉と弟ですね!

 


↑ 「五年ぶりに」帰国したが、「秋十月にはフィアンセ【作曲家・宍戸睦郎、1929-2007】の待つパリに再び渡って」からすぐにワルシャワのショパンコンクールに出場したということだと思います。

 

下の画像は音楽の友1950年(昭和25年)1月号より。お母さんであり声楽家の田中伸枝さん(1901-1988)と一緒。

↑ 味わい深い文章だと思いました。のんびりした生活もいいなと思う反面、それでいいのかと迷っていらっしゃいます。

 

それから20年後の落ち着いた雰囲気のカステラの広告。サンデー毎日1970年11月15日号より。ほっとしますなあ。



13 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (マサコ)
2016-04-06 09:59:10
このページ偶然に見つけました。
田中希代子さんの大ファンです。
先ほども田中希代子さんのことを考えていたところです。

毎年、生誕とご命日には詩とお花で先生をお忍びしております。
もしよろしければ、その時にこのお写真、使わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
貴重な素晴らしいお写真を見せていただき、生きる勇気が再び沸いてまいりました。
本当にありがとうございました。
返信する
Re: Unknown (チュエボー)
2016-04-06 21:24:54
マサコさま、コメントどうもありがとうございます!

文面からマサコさまが田中希代子さんを心から尊敬されてることが伝わります。

> このお写真、使わせていただきたいのですが

もちろん全く構いませんし、却って恐縮です。雑誌からスキャンしただけですし。。
ご生誕の日やご命日に使っていただければ光栄です。

これからもよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (マサコ)
2016-04-07 10:10:32
チュエボー様

お許しいただき、ありがとうございました。

色々と貴重な写真や記事・文章を拝見しています。
コルトー、バックハウス、ティボー、どの方もレコードを通して子供時代から身近な方でしたので、尚一層近く感じられます。
コルトーは不自由な体で日本訪問なさり、多くのものを与えてくださったのですね。
バックハウスは、如何にも彼らしい文章で感銘を受けました。
ティボーは自伝を愛読していたので、晩年の写真が愛おしいです。

リヒャルト・シュトラウスはファンなので、苦労して家族を守っていらした話の詳しいところを知る事が出来ました。
チャイコフスキーのモーツァルト観は、グールドやマルケスに通じるものがあり、やはり心が満たされます。
プロコフィエフも、とても興味深く読ませていただきました。
発言は「束の間の幻影」の曲ごとに感じる「宇宙の星を手に取るような」感動でした。

今年の春は、時空を超えた時を過ごさせていただいております。
週末にiPadを貸してもらえる事がありますが、自力では電磁波過敏症でパソコンは使えません。
上記の記事もプリントアウトしてもらえたものを拝読、そういう事情で、まとめてのコメントになりました。
これから少しずつ、過去の記事を楽しませていただきますね。

ありがとうございました。
返信する
Re: Unknown (チュエボー)
2016-04-07 23:03:35
再度のコメントありがとうございます!

マサコさまのブログに比べ何段階も未熟な自分のブログ記事をわざわざプリントアウトしてお読みいただいた上にさらにご感想まで頂戴し感激です。

こういうことは初めてなので、もっとがんばろうという気になりました。

またよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (モニカ)
2016-10-07 12:21:20
お母様と一緒の写真、文章まで付いていてびっくりしました。
田中希代子さん自身の文章はあまり目にしたことがありません。

以前、彼女の付き人のようにしておられた方が、ヤマハの機関紙に「オカノ通信」というものを書いておられました。
他の方の思いでも一緒でしたが、田中先生の思いでも書いておられ、見つけた時はとても嬉しかったものです。
今はそのHPも閉ざされ、個人的にパソコンに残したものしか読めなくなってしまいました。
ヤマハがそういった記事をオープンにしてくださるといいのですが、今の所予定はないようです。

いつも貴重な写真や情報をありがとうございます。
そして、また何かの時にはこの記事写真を使わせてください。
よろしくお願いいたします。
返信する
Re: Unknown (モニカ) (チュエボー)
2016-10-08 23:19:18
モニカさま、コメントありがとうございます。

> 田中希代子さん自身の文章はあまり目にしたことがありません。

そうなんですね!自分には上手な文に感じられたので、たくさん書かれたものが残っているものと思っておりました。

ところでヤマハの機関紙に「オカノ通信」という記事が載っていたんですか。貴重な情報が埋もれてしまっていてはもったいないですね。自分もヤマハがネット上で公開してくれればうれしいです。

今後ともよろしくお願いいたします!
返信する
Unknown (モニカ)
2016-10-09 09:20:34
妹が弟・千香士先生とお話した時に伺ったお話ですが、田中先生は、お母様が亡くなられた時、それまでに書いておられたものをほとんど燃やされたと話されたそうです。どんな思いでいらしたか....。
留学中の手紙など、ファンとしては読ませていただきたかったととても残念に思いました。
そういった意味で、チュエボーさんがこうして発掘して発信してくださるのはとても嬉しく、感謝しています。
返信する
Unknown (モニカ)
2016-10-09 09:49:02
ヤマハの機関紙は確か「エレクトーン」だったように思います。
私がコピペした「さ よならヤマハ銀座店ビル」という特集号には「絢爛たる ピアニストたち」というタイトルで「2年後に新ビルに生まれ変わるそうです」で始まる文章が掲載されています。多分「第39号」なのではないかと思います。
バックナンバーがあればすぐに調べられるのですが、ネット検索では何も出てきません。
田中先生の思い出話を知ったのは、昔のお仲間に個人的に送られていたものが検索で見つけることができたのだったと思います。
ネット関係をお世話されている方にメールを送って、私にも送っていただきたい旨、お願いしましたがダメでした。

その後、ネット版「オカノ通信」も閉鎖され、記事を読むことができなくなりました。
返信する
Unknown (モニカ)
2016-10-09 09:54:52
岡野美代子さんはお元気なご様子で、ヤマハ東日本 OB会に近況報告を書いておられます。

2014年 近況絆通信8号 その1(上から2つ目)
 http://yob-tky.net/kinkyo-1.html
●岡野美代子
ある時、浜松で一人暮らしを続ける母のために桜の苗木を2本買い、植えた。数年たち、花をつけたところ何とそれは八重桜だった。 成長するにつれ、花はあたり一面に散り敷き母によれば「雪が降ったように」なって、わざわざ見にきてくれる人も居たそうな。
母の年齢に近づき、八重桜を見る度に親不孝を通した申し訳無さがいくらか慰められる。

2016年 近況絆通信12号 (私は今・右側下から2番目)
 http://yob-tky.net/kinkyo-5-201601.html
【岡野 美代子】 
毎日のように親しい人が亡くなって行きますね。野坂昭如とか。いつかネムのコンサートで托鉢僧姿で「マリリンモンロー ノーリターン」を歌い、喝采を浴びました。面白かったですね。私はこの時初めて桂三枝を知りました。司会か何かでさっそうたるものでした。今は桂文枝ですが、少しやせましたね。過去が輝いて見えます。

返信する
Unknown (モニカ)
2016-10-09 10:25:30
検索の仕方が悪かったのか、今いろいろやってみたら、「月刊Electone 」バックナンバーのページが見つかりました。

http://www.ymm.co.jp/magazine/electone/bn_index.php
2007年&2006年下半期については目次を見てみましたが、「オカノ通信」という記事はありませんでした。

「月刊Piano 」というのもあってそのバックナンバーのページもありました。
http://www.ymm.co.jp/magazine/piano/bn_index.php

こちらは飛び飛びに見てみましたが、やはり見つけられず。。。。
エレクトーンという雑誌に掲載されるのも不思議な記事だなぁと思っていたので、「ピアノ」だったかもしれないと思ったのですが。。。

岡野さんの近況2015年も出てきましたので、ついでに貼っておきます。
2015年 近況絆通信11号 (右上)
【岡野 美代子】 
最近の銀座の混乱ぶりは何だろう!ごった返してどこかの市場(いちば)のようだ。年に1~2回楽しみにして来た銀ブラは諦めることにしました。銀座の筋向いの虎屋は余り変りが無く、頼りにしていますが、先日も食べて来た「お煎茶とお菓子」はお茶が難でした。虎屋の看板にかけて“どうだ!”とばかりの新茶でしたが3月の新茶はムリですよね。香りも味もなく、純白の急須に入った茶葉に鼻をくっつけて何回もクンクンしましたが匂わないね。
返信する
モニカさまへ (チュエボー)
2016-10-10 20:56:32
> 田中先生は、お母様が亡くなられた時、それまでに書いておられたものをほとんど燃やされた

そうだったんですか。。残念ですが、当時の田中希代子さんのお気持ちしてはそうせざるを得なかったんでしょうね。(モニカさまの妹さんは千香士さんとお知り合いなんですか!?)

ヤマハの機関紙についても、いろいろとお調べいただきありがとうございます。「オカノ通信」は非公開になってしまったものの、「月刊Piano」(この雑誌の存在を知りませんでした)の1998年からの目次を見られることを教えていただきうれしいです。

田中希代子さんのことをもっと調べようと思います。ラフマニノフ等のライブCDも数枚買って聴いています。すばらしい演奏ですよね。
返信する
Unknown (モニカ)
2016-10-10 21:18:22
以前お許しをいただいたので、一人でも多くの方に見ていただきたいと今回も、この写真をブログで使わせていただきました。ありがとうございました。
SNSでは、初めて知ったピアニストと言われる方、友人がN響きで弟さんの千香士さんとご縁のある方もありました。
ブログにもアップいたしましたので、ご覧ください。こちらにはあまりコメントはつきませんが。。。
my life with gg http://mhara21.exblog.jp/
(タグにある「田中希代子」をクリックしてくださると、妹の書いたものが出てきます)

妹は毎年、グレン・グールドと同じようにお誕生日やご命日にブログに色々書いています。ある時、ご命日にお花をお送りしたいとお電話してお話をしました。
闘病中の田中先生ご自身には妹自身も闘病生活をしていたので、お手紙を差し上げ、お返事をいただいたことがあります。

私は小学校2、3年の頃、パリから一時帰国された時に日本楽器に留学する時に借りたお金の返済のために、日本全国演奏旅行された時、近くの高等学校のピアノ開きに来られ、演奏を聴いたことがあります。
何も覚えていませんが。。。。
母が高く評価していたピアニストでした。

チュエボーさんのこのお仕事は、本当に価値のあるありがたいものです。
今後とも、よろしくお願いいたします。

以下に、youtubeで見られるものの中から一部お知らせしておきます。


・唯一見られるビデオです。
ショパン・エチュードop25-8
https://www.youtube.com/watch?v=TFngVxlM30k

・これは1955年のショパンコンクール入賞の時のライブ。
Kiyoko Tanaka – Nocturne in F major, Op. 15 No. 1 (1955)
https://www.youtube.com/watch?v=Ivs28P9CvZQ

・The V Frederic Chopin International Piano Competition 1955 表彰式
https://www.youtube.com/watch?v=0k_EzoytdZ8

・妹も私も大好きな
 サンサーンスの第5番の協奏曲エジプト風
https://www.youtube.com/watch?v=6ihmN7Bh06Q

・美智子皇后陛下が愛された天才ピアニスト
(映像の中に文字で田中さんの一生が出てきます)

https://www.youtube.com/watch?v=1-30pCXinDA
返信する
Re: Unknown (モニカ) (チュエボー)
2016-10-11 21:54:44
モニカさま、田中希代子さん関係のYouTube動画をご紹介いただきおありがとうございました!

特に1955年のショパン・コンクールの動画は初めて見て、こんな映像が残されていたのかと驚きました。田中希代子さんの姿は貴重!アシュケナージに勝ったハラシェヴィチの余裕の表情も見ものですね。さっそく自分のブログに貼り付けさせていただきました。

サン=サーンスの演奏もステキですね。ラヴェル等の録音と一緒でオーケストラは別としてピアノは不思議と録音時期の古さを感じさせません。

>私は小学校2、3年の頃、パリから一時帰国された時に日本楽器に留学する時に借りたお金の返済のために、日本全国演奏旅行された時、近くの高等学校のピアノ開きに来られ、演奏を聴いたことがあります

「ピアノ開き」!? 田中希代子さんのお近くにいらっしゃったんですね。

貴重なお便りありがとうございました。マサコさまにもよろしくお伝えください。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。