(2016年3月5日の記事にお母さんの画像およびカステラの広告を追加しました。)
『婦人生活』1955年9月号にピアニスト・田中希代子さんと、ヴァイオリニスト・田中千香士さんの姉弟が一緒に写っている画像が載っていました。
姉:田中希代子(1932-1996)、弟:田中千香士(1939-2009)
田中希代子さんは第5回ショパン国際ピアノコンクールで日本人として初の入賞を果たしたというすごい人。
当時16歳くらいの弟・千香士さんは1966年から1979年までNHK交響楽団のコンサートマスターを務めることになります。
あっぱれな姉と弟ですね!
↑ 「五年ぶりに」帰国したが、「秋十月にはフィアンセ【作曲家・宍戸睦郎、1929-2007】の待つパリに再び渡って」からすぐにワルシャワのショパンコンクールに出場したということだと思います。
下の画像は音楽の友1950年(昭和25年)1月号より。お母さんであり声楽家の田中伸枝さん(1901-1988)と一緒。
↑ 味わい深い文章だと思いました。のんびりした生活もいいなと思う反面、それでいいのかと迷っていらっしゃいます。
それから20年後の落ち着いた雰囲気のカステラの広告。サンデー毎日1970年11月15日号より。ほっとしますなあ。
田中希代子さんの大ファンです。
先ほども田中希代子さんのことを考えていたところです。
毎年、生誕とご命日には詩とお花で先生をお忍びしております。
もしよろしければ、その時にこのお写真、使わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
貴重な素晴らしいお写真を見せていただき、生きる勇気が再び沸いてまいりました。
本当にありがとうございました。
文面からマサコさまが田中希代子さんを心から尊敬されてることが伝わります。
> このお写真、使わせていただきたいのですが
もちろん全く構いませんし、却って恐縮です。雑誌からスキャンしただけですし。。
ご生誕の日やご命日に使っていただければ光栄です。
これからもよろしくお願いいたします。
お許しいただき、ありがとうございました。
色々と貴重な写真や記事・文章を拝見しています。
コルトー、バックハウス、ティボー、どの方もレコードを通して子供時代から身近な方でしたので、尚一層近く感じられます。
コルトーは不自由な体で日本訪問なさり、多くのものを与えてくださったのですね。
バックハウスは、如何にも彼らしい文章で感銘を受けました。
ティボーは自伝を愛読していたので、晩年の写真が愛おしいです。
リヒャルト・シュトラウスはファンなので、苦労して家族を守っていらした話の詳しいところを知る事が出来ました。
チャイコフスキーのモーツァルト観は、グールドやマルケスに通じるものがあり、やはり心が満たされます。
プロコフィエフも、とても興味深く読ませていただきました。
発言は「束の間の幻影」の曲ごとに感じる「宇宙の星を手に取るような」感動でした。
今年の春は、時空を超えた時を過ごさせていただいております。
週末にiPadを貸してもらえる事がありますが、自力では電磁波過敏症でパソコンは使えません。
上記の記事もプリントアウトしてもらえたものを拝読、そういう事情で、まとめてのコメントになりました。
これから少しずつ、過去の記事を楽しませていただきますね。
ありがとうございました。
マサコさまのブログに比べ何段階も未熟な自分のブログ記事をわざわざプリントアウトしてお読みいただいた上にさらにご感想まで頂戴し感激です。
こういうことは初めてなので、もっとがんばろうという気になりました。
またよろしくお願いいたします。
田中希代子さん自身の文章はあまり目にしたことがありません。
以前、彼女の付き人のようにしておられた方が、ヤマハの機関紙に「オカノ通信」というものを書いておられました。
他の方の思いでも一緒でしたが、田中先生の思いでも書いておられ、見つけた時はとても嬉しかったものです。
今はそのHPも閉ざされ、個人的にパソコンに残したものしか読めなくなってしまいました。
ヤマハがそういった記事をオープンにしてくださるといいのですが、今の所予定はないようです。
いつも貴重な写真や情報をありがとうございます。
そして、また何かの時にはこの記事写真を使わせてください。
よろしくお願いいたします。
> 田中希代子さん自身の文章はあまり目にしたことがありません。
そうなんですね!自分には上手な文に感じられたので、たくさん書かれたものが残っているものと思っておりました。
ところでヤマハの機関紙に「オカノ通信」という記事が載っていたんですか。貴重な情報が埋もれてしまっていてはもったいないですね。自分もヤマハがネット上で公開してくれればうれしいです。
今後ともよろしくお願いいたします!
留学中の手紙など、ファンとしては読ませていただきたかったととても残念に思いました。
そういった意味で、チュエボーさんがこうして発掘して発信してくださるのはとても嬉しく、感謝しています。
私がコピペした「さ よならヤマハ銀座店ビル」という特集号には「絢爛たる ピアニストたち」というタイトルで「2年後に新ビルに生まれ変わるそうです」で始まる文章が掲載されています。多分「第39号」なのではないかと思います。
バックナンバーがあればすぐに調べられるのですが、ネット検索では何も出てきません。
田中先生の思い出話を知ったのは、昔のお仲間に個人的に送られていたものが検索で見つけることができたのだったと思います。
ネット関係をお世話されている方にメールを送って、私にも送っていただきたい旨、お願いしましたがダメでした。
その後、ネット版「オカノ通信」も閉鎖され、記事を読むことができなくなりました。
2014年 近況絆通信8号 その1(上から2つ目)
http://yob-tky.net/kinkyo-1.html
●岡野美代子
ある時、浜松で一人暮らしを続ける母のために桜の苗木を2本買い、植えた。数年たち、花をつけたところ何とそれは八重桜だった。 成長するにつれ、花はあたり一面に散り敷き母によれば「雪が降ったように」なって、わざわざ見にきてくれる人も居たそうな。
母の年齢に近づき、八重桜を見る度に親不孝を通した申し訳無さがいくらか慰められる。
2016年 近況絆通信12号 (私は今・右側下から2番目)
http://yob-tky.net/kinkyo-5-201601.html
【岡野 美代子】
毎日のように親しい人が亡くなって行きますね。野坂昭如とか。いつかネムのコンサートで托鉢僧姿で「マリリンモンロー ノーリターン」を歌い、喝采を浴びました。面白かったですね。私はこの時初めて桂三枝を知りました。司会か何かでさっそうたるものでした。今は桂文枝ですが、少しやせましたね。過去が輝いて見えます。
http://www.ymm.co.jp/magazine/electone/bn_index.php
2007年&2006年下半期については目次を見てみましたが、「オカノ通信」という記事はありませんでした。
「月刊Piano 」というのもあってそのバックナンバーのページもありました。
http://www.ymm.co.jp/magazine/piano/bn_index.php
こちらは飛び飛びに見てみましたが、やはり見つけられず。。。。
エレクトーンという雑誌に掲載されるのも不思議な記事だなぁと思っていたので、「ピアノ」だったかもしれないと思ったのですが。。。
岡野さんの近況2015年も出てきましたので、ついでに貼っておきます。
2015年 近況絆通信11号 (右上)
【岡野 美代子】
最近の銀座の混乱ぶりは何だろう!ごった返してどこかの市場(いちば)のようだ。年に1~2回楽しみにして来た銀ブラは諦めることにしました。銀座の筋向いの虎屋は余り変りが無く、頼りにしていますが、先日も食べて来た「お煎茶とお菓子」はお茶が難でした。虎屋の看板にかけて“どうだ!”とばかりの新茶でしたが3月の新茶はムリですよね。香りも味もなく、純白の急須に入った茶葉に鼻をくっつけて何回もクンクンしましたが匂わないね。