チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

神に選ばれたブルックナーと残虐の歴史性の精神舞台への逆照射

2014-05-26 21:38:56 | どうでもいいコーナー

 例えば、神に選ばれたブルックナーというのは、単にブルックナー党の賛嘆の形容以上の何物でもない。謂わばすべてが神に選ばれているからであり、またすべてが神になど選ばれていないからだ。ブルックナーの(その音楽性の)天才、偉大さは、マーラーのそれとは凡そ違った意味で、「しかしながら同様に」、可能な限り描こうとしつつ、一面的で、不器用で、また彼らしく人間クサイものなのだ。
 G.マーラーの一千人の交響曲の第一部は創造主への賛歌であるが、これは謂わば人間性への獣的残虐さを、肉食的欲望に発する、生ある贄を供えてさえ猶も嬉々として自らを祝福しうるという人類的感性の残虐の歴史性を、計らずも我々の精神の舞台へ、逆照射しているとは言えまいか。


。。。これは、ある音楽雑誌の投書欄に載っていた投稿の、あまりのメチャメチャぶりに驚いた砂川しげひさ氏が『なんたってクラシック』(光文社・1984年)で取り上げた文章です。当時27歳の一般男性のものらしいですが、砂川さんによって結構有名になっちゃったと想像できます。書いた方見ていらっしゃいませんかー?

砂川氏は同著で、こんなワケわからん投書を取り上げた出版社こそが悪いと書いていらっしゃいます。

しかし、いま読むとクラシック好きの特徴の一つである、どーでもいいことをわざわざ難しく解釈したがる気持ち悪さがかえって背筋ゾゾっ的な快感を呼び起こすとは言えまいか。

さすがに最近ではこういうの絶滅しちゃってんでしょうか。逆照射していきたいです~