チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

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ショスタコーヴィチ 交響曲第4番初演 (1961年12月30日コンドラシン指揮モスクワ・フィル)

2014-02-18 21:55:36 | メモ

「第12番」の際はレニングラードのフィルハーモニック・ホールだったが、今度はモスクワ音楽院の大ホールであった。第8列目の座席に腰を下ろしたショスタコーヴィチは額の汗をぬぐったり、そわそわして落ち着かない様子で開演を待っていた。彼のまわりには、氷点下11度の厳寒をものともせず、全モスクワの作曲家、批評家、芸術家がつめかけ、やはり興奮した面持ちで開演を待っていた。彼らは当夜が音楽的にも重要な意味を持つことを痛いほど意識していたのだった。

当夜「初演」された問題の「第4番」は25年間作曲者のデスクの中に眠っていたのである。当時(1936年)ショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスクのマクベス夫人」とバレエ「明るい小川」の二大作は芸術上の大罪を犯したカドによって弾劾された。罪状は「スターリンの”社会主義レアリズム”を守ることへの怠慢」であった。「第4番」はリハーサル中に批判されたため作曲者はただちにひっこめてしまった。

昨年の春、近年西欧やアメリカでも活躍しているソ連の国際的名指揮者キリル・コンドラシンがショスタコーヴィチに「第4番」の決定版は完成したかと尋ねたところ、作曲者はうなずいてスコアを渡したのである。

初演の反響はすばらしかった。同僚のアラム・ハチャトゥリアンは顔中をほころばせて「非凡だ ― 偉大な楽想だ」と感嘆した。また別の作曲家は名前を出さないでくれと断りながらこう断言した ―「力強く、想像力の豊かな作品です。その不協和音や現代性を好まない人たちもあるでしょうが、彼が今までに書いた最高の作品の一つです。これこそ本当のショスタコーヴィチだ」

この曲の特色は民族的な風味が全くないことで、耳をつんざくような不協和音から優しいリリシズムに至るまで、社会主義レアリズムとは縁の遠い現代的作品で、「第12番」とは全く別の世界に属するそうだ。演奏の終わったあと、チェーン・スモーカーのショスタコーヴィチは片時もタバコを手から離さず、お祝いのコトバを受けるたびに、いつものように神経質な態度で返事をしたものだ。

「初めて書き上げたときでさえ、気に入らないところがありました。それ以来、私は何回となく手を入れました。今夜演奏されたのは私が気に入っている決定版です。」

(以上『音楽の友』昭和37年3月号より)


。。。「何回となく手を入れた」ということはやはり、1936年当時の姿とは大きく変わっているんでしょうね。とても「デスクに眠っていた」とは思えないです。あと、名前を出したくなかった作曲家って誰?