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チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

NHKカラー番組「音楽は世界をめぐる」(1966)

2014-11-09 23:59:53 | どうでもいいコーナー

『グラフNHK』昭和41年1月号より、カラー番組「音楽は世界をめぐる」の紹介です。

総合テレビで毎週水曜日午後9時40分から放映。

↑ 山田和男指揮東京フィルハーモニー交響楽団。フルートが最前列にきています。

 

クラシック・バレエ団エトワール。


堀内完ユニーク・バレエ団。

 

当時のカラーテレビでバレエがどんな感じに映っていたのかは、裏表紙のテレビの広告が参考になります。人工頭脳19型大画面。

 

この「音楽は世界をめぐる」はなんとなく、本当のクラシック・ファン向けの番組ではなかったようですね。

ついでながら、現在のNHKではどんどん普通にまじめなクラシック音楽の番組が減ってきてしまいつくづく残念です!

 

↑ 本当にかなりマジメな内容だったんですね。。。視聴率2%(文芸春秋漫画読本1966年1月号より)

 

 

オマケですが、グラフNHK同年同月号に載っていたクラシックのレコードの広告です。みんな生きていた!


銀座・山野楽器~建替前ビルのフロア案内(1976)

2014-10-02 22:26:21 | どうでもいいコーナー

いまの銀座・山野楽器ビルでなく、ひとつ昔のビルのフロア案内が音楽の友1976年1月号に載っていました。

当時を覚えている人によると、新しいビルよりゆったりとした感じだったらしいですね。2階の売場もレコードのいい匂いがしていたそうです。(CDには香りがない!)

カラヤンなどの有名アーティストがサイン会に来たのは4階だったんですね。6階にも芸能人がたくさん来ていた!?


古い音楽雑誌の『音楽家住所録』って?

2014-07-20 21:50:17 | どうでもいいコーナー

古い音楽雑誌を読んでいたら「音楽家住所録」というのが掲載されてるじゃないですか。

↑昭和20年、終戦直後の某雑誌。300人以上の演奏家、作曲家、評論家等の住所が載っています。個人情報保護の観点から多少違和感を感じます。誰のための情報?「戦災疎開等で音楽家が四散し連絡上困却されているので本社はかねて調査を進めここの住所録を掲載するに到った。」ってことで仕方なかったんですかね。。

 

。。とか思っていたら昭和27年になってもまだやっていました。↓

暑中見舞出したくなっちゃいますよ。電話番号まで載っちゃてるかたも結構いますね。

著名人だけでなく、読者の投稿にも住所が見事に書かれている時代。大らかだったんですね~


指揮台から落ちたバーンスタイン(1982)

2014-07-12 17:30:27 | どうでもいいコーナー

1982年5月、アメリカ・テキサス州の「ジョーンズ・オーディトリアム」におけるイスラエル・フィルの演奏会本番でのできごと。

指揮者レナード・バーンスタインはチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を演奏中、熱烈に盛り上がる箇所で体のバランスを失って指揮台から落ちてしまったそうです。

「演奏を続けろ、僕は大丈夫だ」''Keep playing! I'm all right.''とバーンスタインはフロアで四つん這いになりながら叫びました。

バーンスタインは指揮棒を振りながら指揮台によじ登りました。イスラエル・フィルは何事もなかったように演奏を続けていたそうです。

演奏会のあと、バーンスタインは肩をすくめてこう言いました。「ちょっとだけ痛かった。」''Just a little pain.''

(音楽の友1982年7月号+ニューヨーク・タイムズのサイト)


。。。聴衆は笑いを堪えられたんでしょうか?

ネットで調べたら、バーンスタインはこの時以外にも何度か指揮台から落ちているようです。

 

↓若い頃のバーンスタイン(1957年LIFE誌より)


神に選ばれたブルックナーと残虐の歴史性の精神舞台への逆照射

2014-05-26 21:38:56 | どうでもいいコーナー

 例えば、神に選ばれたブルックナーというのは、単にブルックナー党の賛嘆の形容以上の何物でもない。謂わばすべてが神に選ばれているからであり、またすべてが神になど選ばれていないからだ。ブルックナーの(その音楽性の)天才、偉大さは、マーラーのそれとは凡そ違った意味で、「しかしながら同様に」、可能な限り描こうとしつつ、一面的で、不器用で、また彼らしく人間クサイものなのだ。
 G.マーラーの一千人の交響曲の第一部は創造主への賛歌であるが、これは謂わば人間性への獣的残虐さを、肉食的欲望に発する、生ある贄を供えてさえ猶も嬉々として自らを祝福しうるという人類的感性の残虐の歴史性を、計らずも我々の精神の舞台へ、逆照射しているとは言えまいか。


。。。これは、ある音楽雑誌の投書欄に載っていた投稿の、あまりのメチャメチャぶりに驚いた砂川しげひさ氏が『なんたってクラシック』(光文社・1984年)で取り上げた文章です。当時27歳の一般男性のものらしいですが、砂川さんによって結構有名になっちゃったと想像できます。書いた方見ていらっしゃいませんかー?

砂川氏は同著で、こんなワケわからん投書を取り上げた出版社こそが悪いと書いていらっしゃいます。

しかし、いま読むとクラシック好きの特徴の一つである、どーでもいいことをわざわざ難しく解釈したがる気持ち悪さがかえって背筋ゾゾっ的な快感を呼び起こすとは言えまいか。

さすがに最近ではこういうの絶滅しちゃってんでしょうか。逆照射していきたいです~