黒猫チャペルのつぶやき

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病院でのことなど

2004年12月14日 | みのりのつぶやき-成長の足跡
 都合6日間病院で過ごした。設備も新しく、スタッフの訓練も行き届いた良い病院だった。出生後、まる1日は他の新生児とともに新生児室という広い部屋に寝かされ、駆けつけた祖父・祖母とはガラス越しの面会だったが、翌日の昼過ぎには母殿の隣に移された。4人部屋であったが、カーテンで区切られた母殿のベッドのある区画は窓際で、大変眺めの良い明るい部屋であった。

 授乳の時間が定められており、また産婦はその都度、新生児の体重を量りどれだけ飲んだか計測し、所定のシートに記入していく。また新生児のベッドには、きちんと呼吸しているか監視し、不意に呼吸が止まってしまったら警報を慣らすシステムが装着されているが、授乳のため抱き上げる際は当然これを解除しなければならない。あちこちでうっかりした産婦のところからけたたましい音が鳴り響いている。なかなか面倒なのである。産婦には他に様々な講習や、回診などもあり、ゆっくり休むどころではない。
 私の出生は折りよく土曜日であったが、父殿は週明けからまる1週間会社を休み、毎日通って来た。こまごまとした買い物や洗濯など、自宅と行ったり来たりして、こちらもなかなか多忙であった様子である。

 当初は授乳と言っても、私の体力では初産の母殿のおっぱいから十分に吸う力はなく、いくらも飲むことができない。母殿、へとへとになりながら搾乳をしたりして何とか飲ませてくれようとしたが、それもまだ量はわずかであり、足りない分は温かい糖水を哺乳瓶で支給された。生後6日間、私はもっぱら糖水ばかり飲んでいたことになる。
 出生2日目は、夜9時頃の授乳まで母殿と同室し、翌朝まで新生児室に戻される。朝お風呂に入れていただき、また母殿のもとに戻り、以降はお風呂や検診の時以外はずっとともに過ごした。私としては、授乳時間の度毎に起こされ、おむつを換えていただき、お乳に取り組んでみては力尽き、糖水を飲んで眠るばかりが仕事である。
 時折ひどく泣いて、母殿を困惑させてしまったものだが、私としてもまだ十分に自分の体をコントロールすることができず、ちょっとした刺激から、それは例えば濡れたおむつの感触であったり、隣の赤ん坊が不意に立てる大声であったり、単に背中が痒かったりという程度のものなのだが、小脳あたりの指示で泣き出してしまうと、自分でもなかなか止めることができない。意識としては我ながら困ったなと思いつつ、自然に治まるまでどうしようもないのである。決して扱いに不満があったりした訳でないので、この場を借りて釈明をさせていただく。

 新生児は極度な近視であるとされているようだが、私に関して言えば産まれた直後から日常に支障の無い程度には十分な視力を有していた。目が開いたのは、臍帯を切られて母殿の乳房に吸わぶりついた後、きれいに洗われて隣の部屋で体重などの測定を受けていた時である。はじめて光というものを認識したときは、ただただまぶしかった。目を開けるのが怖いくらいの圧倒的な輝きに感じられたものだが、次第に目が慣れると、様々なものの形が判別できるようになった。その中に、父殿の顔があった。声で、その人が父だということはすぐにわかった。何だか緊張したような、笑い出しそうな、不可思議な顔をした人だと思った。やや頼りなさそうな感はあったが、悪人にはなりようの無さそうな様子であったので、まあ良しとした。
 母殿についてはやや後、急なお産のためかなりひどく裂けたという会陰の縫合をようやく終えたところでその顔を見た。こちらはほぼ予想通りの風貌であった。やや神経質そうながら、強い意思と責任感が感じられる、同時に深い優しさを併せ持った顔であり、これは安心して身を任せられる、と思った。
 
 じきに私は新生児室に移されたが、母殿と父殿は病室の空くのを待って、その後も結構な時間他に人気の無い分娩室で過ごした。食事が許され、朝から絶食していた母殿は盛んな食欲を見せたが、さすがに半分程度しか食えなかった。残ったのをこれも腹を空かせた父殿が平らげてしまって、それは入院患者さん用です、と助産士に怒られたそうだ。これは余談。

 命名についてだが、秋と書いてみのりと読むこの不思議な名は、相当早い時期から既に私に与えられていた。母殿の胎内で私の意識が芽生えた頃、すでにこの名で呼ばれていた記憶がある。もとをたどると父殿が、当初まだ私が男性とも女性ともつかなかった頃に、いずれであっても差し支えのない名前で、発音がし易くわかり易い名前が良い、とのことで秋に産まれるからアキにしよう、と非常に短絡的な提案をした。さすがにこれはひねりが無さ過ぎる、というので、母殿と辞書を首っ引きで読みを検討して、秋をみのる、と読む例があることを知り、それならみのりでもいいではないか、という話になったということだ。みのりという響きが何となく二人のお気に召して、漢字表記については他にも候補があがったようだが音は確定となり、みのり、みのりと盛んに呼びかけるうち秋も深まり、当初の通り秋の字で決定となったそうだ。
 
 出世して3日目、父殿が早速区役所に赴きこの名が届けられた。私としては結構気に入っている。
シンプルであり、同時に余り他ではない名前ではなかろうか。退院となり初めて私が外の世界に出たとき、もはや秋も終わる間際であったが、紅葉は散る寸前の最も見事な色彩を呈していた。

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