病院を出てタクシーで運ばれた我が家は、比較的新しいマンションの2階で、親子3人で住むには十分な広さである。私の寝室は玄関の側の静かな洋間で、余り陽が差さない(窓の外はすぐ隣のビルだ)という欠点はあるが、落ち着いた色彩の極快適な部屋である。レンタル会社で借りたというベビーベッドが母殿のベッドの枕もとに接して置かれており、私は1日の大半をこの上で過ごす。私には広すぎるくらいの大きさであり、寝心地も悪くない。
地理的知識は私にはまだ十分ないのだが、この家は東京の下町と呼ばれる区域にあるという。それも戦前の香りの残るような、発展から置き忘れられたかのような静かな町であり、日中でもほとんど人声を聞くこともない。町中を歩くのは老人と猫の姿ばかりという閑静さである。
概ね私は朝6時頃には腹が空いて目覚める。泣いて知らせるとすぐに母殿、父殿起きて、まずオムツを替えて(これは大体父殿の役目だ)、これもレンタルのデジタル体重計で念入りに体重を量った後授乳をしていただく。退院後母殿の母乳はみるみる豊かに出るようになり、まずは私は左右のおっぱいからこれをゆっくりといただく。もっとも哺乳瓶に比べ吸うのに力が要ることは変わらず、片一方心いくまで吸ったら、もう一方は十分に吸わないうちにややくたびれてしまうという状況が続いている。その後は哺乳瓶のお世話になる。
そうしてるうちに父殿は一人で朝食を取って、あわただしく勤めに出かける。私が十分に満ち足りて、新たな眠りに落ちてやっと、母殿は私を抱えて疲労気味の腕をさすりさすり、手伝いに来てくれている祖母殿(母殿のお母様)と食事をする。私も寝室から、茶の間に抱かれていってちゃぶ台の側に寝かされて過ごしたりする。テレビのある和室だが、父殿がニュースを見るほかは皆余りテレビを点けることはなく、ラジオで心地よい音楽をかけていることが多い。こちらの部屋の方が外の光が豊かで、殊更午前中は至極快適である。
日中はそのまま茶の間でごろごろしたり、泣いては母や祖母殿に抱いてあやしていただいたり、お乳を飲んだり、頻繁に排泄したりして過ごす。二人が忙しいときは寝室で一人で寝転んで、腕を伸ばしたり、足を突っ張ったりして少しでも自由に動く能力を高めるのに専念している。今まず「寝返り」をマスターしたく毎日取り組んでいるのだがこれがなかなかうまくいかない。今のところ、腰を中途まで持ち上げるくらいがやっとで、うまく体を回転させることができない。
夜、父殿が帰宅してから、お風呂の時間である。たいてい私は少し前の授乳の後でよくねむっているところを起こされる。風呂場に、私専用のベビーバスを置いてお湯をたたえて準備がされている。
はじめは、おっかなびっくり父殿が一人で入れてくれた。お世辞にも手際がいいとは言えず、しばしば私は顔をお湯につけられそうになったり、耳や目にかけられそうになったりして大声で叫ばなくてはいけなかったが、慣れるにつれてそうしたことは少なくなった。そのうちに父殿が支えて母殿が洗うようになり、さらに母殿一人で入れていただくようになってからは全く安心してお風呂を楽しめている。
お風呂は好きである。お湯の中というのは、長く過ごした母殿の胎内と似ているせいか実に落ち着く。ゆったりとした気分になり、多少お腹が空いている時でも平気でいられる。でき得るなら1日中でもお風呂に入っていたいと思いさえするが、今のところの私の運動能力では母殿の助力無しにはいかにベビーバスでもたちまち溺れてしまうであろう。当面はこの夜のひと時の憩いに満足せざるを得ぬ。
父殿は昼間いないせいもあり、夜帰ってくると盛んに私を抱きたがる。気持ちは嬉しいが、やや汗臭かったりするのでその日の気分によっては若干うんざりすることもある。父殿いい機嫌で、色々私に話しかけてくるが、概ね愚にもつかぬ内容である。
「みのりさん今日はいかがでちたか~ 何かいいことありまちたか~」
「いいお顔してまちゅね~ いっぱいおちちのみまちたか~」
「いっぱいうんちしましたね~ みのりさんくちゃいくちゃいでしゅね~」
大体が幼児は舌足らずに喋るものという先入観でこうした話し振りになるのであろうが、基本的に幼児は大人の話し方を真似ようとしてなお舌足らずになってしまうのである。大人が自らそんな話し方をする必要もないし、逆に教育上よろしくない、と指摘してやりたいのだがそうもいかぬ。
世の大人の方々、くれぐれも子供への語りかけは普通の言葉でお願いしたい。
地理的知識は私にはまだ十分ないのだが、この家は東京の下町と呼ばれる区域にあるという。それも戦前の香りの残るような、発展から置き忘れられたかのような静かな町であり、日中でもほとんど人声を聞くこともない。町中を歩くのは老人と猫の姿ばかりという閑静さである。
概ね私は朝6時頃には腹が空いて目覚める。泣いて知らせるとすぐに母殿、父殿起きて、まずオムツを替えて(これは大体父殿の役目だ)、これもレンタルのデジタル体重計で念入りに体重を量った後授乳をしていただく。退院後母殿の母乳はみるみる豊かに出るようになり、まずは私は左右のおっぱいからこれをゆっくりといただく。もっとも哺乳瓶に比べ吸うのに力が要ることは変わらず、片一方心いくまで吸ったら、もう一方は十分に吸わないうちにややくたびれてしまうという状況が続いている。その後は哺乳瓶のお世話になる。
そうしてるうちに父殿は一人で朝食を取って、あわただしく勤めに出かける。私が十分に満ち足りて、新たな眠りに落ちてやっと、母殿は私を抱えて疲労気味の腕をさすりさすり、手伝いに来てくれている祖母殿(母殿のお母様)と食事をする。私も寝室から、茶の間に抱かれていってちゃぶ台の側に寝かされて過ごしたりする。テレビのある和室だが、父殿がニュースを見るほかは皆余りテレビを点けることはなく、ラジオで心地よい音楽をかけていることが多い。こちらの部屋の方が外の光が豊かで、殊更午前中は至極快適である。
日中はそのまま茶の間でごろごろしたり、泣いては母や祖母殿に抱いてあやしていただいたり、お乳を飲んだり、頻繁に排泄したりして過ごす。二人が忙しいときは寝室で一人で寝転んで、腕を伸ばしたり、足を突っ張ったりして少しでも自由に動く能力を高めるのに専念している。今まず「寝返り」をマスターしたく毎日取り組んでいるのだがこれがなかなかうまくいかない。今のところ、腰を中途まで持ち上げるくらいがやっとで、うまく体を回転させることができない。
夜、父殿が帰宅してから、お風呂の時間である。たいてい私は少し前の授乳の後でよくねむっているところを起こされる。風呂場に、私専用のベビーバスを置いてお湯をたたえて準備がされている。
はじめは、おっかなびっくり父殿が一人で入れてくれた。お世辞にも手際がいいとは言えず、しばしば私は顔をお湯につけられそうになったり、耳や目にかけられそうになったりして大声で叫ばなくてはいけなかったが、慣れるにつれてそうしたことは少なくなった。そのうちに父殿が支えて母殿が洗うようになり、さらに母殿一人で入れていただくようになってからは全く安心してお風呂を楽しめている。
お風呂は好きである。お湯の中というのは、長く過ごした母殿の胎内と似ているせいか実に落ち着く。ゆったりとした気分になり、多少お腹が空いている時でも平気でいられる。でき得るなら1日中でもお風呂に入っていたいと思いさえするが、今のところの私の運動能力では母殿の助力無しにはいかにベビーバスでもたちまち溺れてしまうであろう。当面はこの夜のひと時の憩いに満足せざるを得ぬ。
父殿は昼間いないせいもあり、夜帰ってくると盛んに私を抱きたがる。気持ちは嬉しいが、やや汗臭かったりするのでその日の気分によっては若干うんざりすることもある。父殿いい機嫌で、色々私に話しかけてくるが、概ね愚にもつかぬ内容である。
「みのりさん今日はいかがでちたか~ 何かいいことありまちたか~」
「いいお顔してまちゅね~ いっぱいおちちのみまちたか~」
「いっぱいうんちしましたね~ みのりさんくちゃいくちゃいでしゅね~」
大体が幼児は舌足らずに喋るものという先入観でこうした話し振りになるのであろうが、基本的に幼児は大人の話し方を真似ようとしてなお舌足らずになってしまうのである。大人が自らそんな話し方をする必要もないし、逆に教育上よろしくない、と指摘してやりたいのだがそうもいかぬ。
世の大人の方々、くれぐれも子供への語りかけは普通の言葉でお願いしたい。
わたしも八月のおわりにうまれました。
そう、うちも父上にだっこされまくりです。
上のにーちゃんのときはぜんぜんだったみたいですけど。。。
もうすぐお正月、父上にもたくさんのお休みがやってきます。いっぱい抱っこされてあげようじゃありませんか!
おたがいがんばって大きくなろうね!
通りすがりのみのりより