新・壊れかけの歯車

企業の歯車になりきれないSE(=スチャラカエンジニア)Hiroの日記

ブラック企業とは、Vol.3

2019-12-21 06:29:00 | 日記
そんなこんなで、総合職に昇格した頃、とあるプロジェクトに巻き込まれる。
Web版の今で言うSubVersionみたいなマスター管理ソフトを作れ
との事だった。ファイル転送は、当初、FTPを使っていたが、「遅い!」の一言で、
これも自作する事になった。
当然、毎日深夜勤務と休日出勤、残業時間は150に達した。

そんなこんなで、完成したソフトウェア資産管理ソフト(と呼ぶ事にする)
の工場全体での運用開始が進められていった。
工場中、駆けずり回る事になったのは、言うまでもない。

そして、中でも問題プロジェクトへの支援が始まる。

地獄の第二章の入り口であった。

To be continued 

ブラック企業とはなんなのか、Vol2

2019-12-20 21:13:00 | 日記
開発で頭角を現した自分はやがて一つの製品を任されるようになる。
それは同時に工場におけるトラブル解決屋として、認識される事でもあった。

公共事業におけるトラブルは工場にとって命取りだ。
解決業務のため、残業時間はやがて100時間を超える事がしばしば起きるようになった。
身体はボロボロだったが、若さと妙な使命感が身体を支えていた。

そして、地獄はさらに加速度を増して行く。
深夜勤務、休日出勤、そして徹夜勤務、、、

会社がしてくれたことは、産業医という名ばかりの医者との無意味な面談と、アリナミンの錠剤を配る事だけだった。

To be continued 

ブラック企業とは何なのか

2019-12-20 19:28:00 | 日記
自分は15才の時、エンジニアを志し高専に入学。
5年間の学生生活を経て、とある企業に就職する。
その会社は、株式会社とは名ばかりの工場直結の完全子会社だった。

しかし、そんな事は自分には全然関係なかった。
自分は配属当初から頭角を現し始める。
学生時代に卒業研究で、X-WindowとC言語を学んでいたのが、
当時の開発ニーズにマッチした。

やがて、自分は開発業務の主力となっていく。
初年度の2月には残業時間は90時間を超えた。
今なら、過労死ラインを超えている。

しかし、これは序章に過ぎなかった。

To be continued