他の楽器もしくはボーカルの方から誘ってもらって一緒に演奏する、というのは、
すごく勉強になる。
自分と音楽の好みなんかが違う人とやるときなんかは、特に。
それはなぜかというと、
端的にいって「自分のやりなれたことができない」からである。
自分の行きやすい方向、得意な方向に行けない状況の中で、いかに気の利いたことをできるか。
こういう、「ちょっと疲れる」経験をすることは、自分の芸の幅を広げるためにはすっごく有効だと思う。
そういう大変な状況を通して、ライブ本番中の、とっさの判断力みたいなものを養っていくのだ。
こういうの、すごく大事。
そして、家に帰ってから、
自分ができないこと、あるいは苦手なこと、に目を向ける。
うまくすれば、自分ができる、と思い込んでいたことも、さらに批判的な視点で検証するきっかけにもなる。
しんどい作業ではあるけど、まあ、ラクして上達するなんて虫のいい話はない訳で・・・。
キースですら、あのキースジャレットですら、
なんかのインタビューで、「自分の部屋にはついつい好きなモノを並べて置きたくなる。でもそれでは前に進めない・・」みたいなことを言ってた。自分がリーダーでやる場合(あるいはソロで)ですら、そういう考えを持っているわけだ。
今読んでる本について・・
という話題はカテゴリーに入れてないけど、
なぜか、そういう内容の記事は多いな。
内田百﨤の「サラサーテの盤」は、新しいのをネット通販で買って、何回目かは忘れたけどとりあえず読了して、
ああ、やっぱり百鬼園先生はいいなあ、って思った。
昔やってたブログで、極私的百鬼園論みたいなことを何回かほざいたような気がするが、また書くとなると、長くなって多少ウザイ感じになることは目に見えているので、割愛。
最近はフィッツジェラルド「マイロストシティ」(村上春樹訳)を再読してるとこ。
ムラカミファンとして、ちょっと言わせてもらうと、僕はナニゲに村上氏の「解説文」というのが好きである。
特に氏の翻訳モノには、たいがいその作品に対する氏の「視点」みたいなものが小説本体の後にくっついていて、その文章が、すっごく含蓄があって、いろいろ考えさせられることがあって、僕は好きなのである。
自分以外の作品の解説として、そういう含蓄のあるものが書ける、というのは、つまりそれほど深く、氏がその作品を読み込んでいるということにもなる訳で、またそういう経験が、村上氏自身の創作の根っこであったり、滋養になってたりするんだろうな、と思う。
フィッツジェラルドはムラカミ氏のフェイバリットbest3に入る小説家の一人だ、ということもあるのか、この文庫本には、相当熱っぽい解説が載っていて、ほんとによいです。小説自体よりも感動してしまったりして、まあこれはけしからん状況ですけど。
自分のことに置き換えて考えてみると、ほんとによい音楽に感動して、深くコミットする、という経験は自分自身の音楽を育てるために、すごく大事なことなんじゃないかな、って、
まあ、当たり前といえば当たり前なんだろうけどね。
そんな感じで、「マイロストシティ」、
これ確か読んでない短編もあったような気がするので、頑張って全部読み切ろうと思います。
すごく勉強になる。
自分と音楽の好みなんかが違う人とやるときなんかは、特に。
それはなぜかというと、
端的にいって「自分のやりなれたことができない」からである。
自分の行きやすい方向、得意な方向に行けない状況の中で、いかに気の利いたことをできるか。
こういう、「ちょっと疲れる」経験をすることは、自分の芸の幅を広げるためにはすっごく有効だと思う。
そういう大変な状況を通して、ライブ本番中の、とっさの判断力みたいなものを養っていくのだ。
こういうの、すごく大事。
そして、家に帰ってから、
自分ができないこと、あるいは苦手なこと、に目を向ける。
うまくすれば、自分ができる、と思い込んでいたことも、さらに批判的な視点で検証するきっかけにもなる。
しんどい作業ではあるけど、まあ、ラクして上達するなんて虫のいい話はない訳で・・・。
キースですら、あのキースジャレットですら、
なんかのインタビューで、「自分の部屋にはついつい好きなモノを並べて置きたくなる。でもそれでは前に進めない・・」みたいなことを言ってた。自分がリーダーでやる場合(あるいはソロで)ですら、そういう考えを持っているわけだ。
今読んでる本について・・
という話題はカテゴリーに入れてないけど、
なぜか、そういう内容の記事は多いな。
内田百﨤の「サラサーテの盤」は、新しいのをネット通販で買って、何回目かは忘れたけどとりあえず読了して、
ああ、やっぱり百鬼園先生はいいなあ、って思った。
昔やってたブログで、極私的百鬼園論みたいなことを何回かほざいたような気がするが、また書くとなると、長くなって多少ウザイ感じになることは目に見えているので、割愛。
最近はフィッツジェラルド「マイロストシティ」(村上春樹訳)を再読してるとこ。
ムラカミファンとして、ちょっと言わせてもらうと、僕はナニゲに村上氏の「解説文」というのが好きである。
特に氏の翻訳モノには、たいがいその作品に対する氏の「視点」みたいなものが小説本体の後にくっついていて、その文章が、すっごく含蓄があって、いろいろ考えさせられることがあって、僕は好きなのである。
自分以外の作品の解説として、そういう含蓄のあるものが書ける、というのは、つまりそれほど深く、氏がその作品を読み込んでいるということにもなる訳で、またそういう経験が、村上氏自身の創作の根っこであったり、滋養になってたりするんだろうな、と思う。
フィッツジェラルドはムラカミ氏のフェイバリットbest3に入る小説家の一人だ、ということもあるのか、この文庫本には、相当熱っぽい解説が載っていて、ほんとによいです。小説自体よりも感動してしまったりして、まあこれはけしからん状況ですけど。
自分のことに置き換えて考えてみると、ほんとによい音楽に感動して、深くコミットする、という経験は自分自身の音楽を育てるために、すごく大事なことなんじゃないかな、って、
まあ、当たり前といえば当たり前なんだろうけどね。
そんな感じで、「マイロストシティ」、
これ確か読んでない短編もあったような気がするので、頑張って全部読み切ろうと思います。