以前はその他にライブに関係ないことなど、気まぐれに書いてのせてました。
いろいろ思うところあってやめちゃったんですが、
また書きたくなったので別室を設けて書き始めました。
いつまで続くかわかりませんが、
よかったらどうぞ、こちらです。
去年の5月にもらってきた猫は
そうとう大きくなった。
猫のいる生活空間というものが、
今では当たり前のこととなっている。
猫がうろついているのは、
うちの2階のキッチンと、
3階に通じる階段の最上段まで。
3階には何かと荒らされると困るものが放置されているので、
3階に上がりきったところに
ゲートを取り付けてあって、
猫はそれより先 つまり3階のフロアには入れないようになっている。
2階のキッチンと階段だけが
彼の世界のすべてだ、
と考えると、
ちょっとかわいそうかな、という気もしなくもない。
猫という動物は
思った以上にばかだ。
どんなに「これをやっちゃいけない」
って強く怒っても、
学習、というものを全くしない。
できない、というよりも
する気がない、
という方が 見てて近いような気がする。
最初のころはこれが結構腹立たしくもあった。
でも、これは人間の尺度からみた
「ばか」なのであって、
そういう見方はちょっと正しくないのかもしれない。
僕が昔犬を飼っていたせいかもしれないけど
無意識のうちに 哺乳動物はある一定の知能は持っていてしかるべし、
みたいな固定観念を持っていたのかもしれない。
しかし、当たり前といえば当たり前のことだが、
犬と猫は全く違う。
同じ哺乳類と呼ぶことに抵抗を感じるほど違う。
猫の行動パターンは ほんとうに不可解なことが多い。
完全に人間の理解可能な範囲を越えている。
そう、むしろ 一日水槽の中をゆらゆらきままに泳いでいる
魚に近いかもしれない。
魚も何を考えてるのかさっぱりわからないけど、
そういうものだ、と思うようにすれば特に違和感もない。
というわけで、 僕は最近、
うちの猫のことを 魚の一種だと思うことにしている。
そうすれば行動範囲だって
一般家庭で買われている熱帯魚よりも、
ぜんぜん広いものをあてがわれてるわけだから、
そんなに申し訳ないと思う必要もないし。
魚がいうことをきかないからといって
別に腹がたつわけじゃないから、
こいつにも腹を立てる必要がない。
それで、うちのキッチンと階段を
勝手気ままに遊泳しているのを
ただ鑑賞する。
これはなかなか楽しい時間だ。
自分も同じ水槽に入ってるのだから
これは熱帯魚を観賞するよりも
臨場感がある。
参加型鑑賞、みたいなね。