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pianist平川勝朗ページ

ピアニスト平川勝朗に関する情報です。
スケジュール、チェックしてねー。

カーステの効用

2008-11-02 | 日々雑感
月に2回、レッスンの仕事で滋賀県の石山まで車で行っている。
片道大体45分ほどかかるが、普段それほど車を運転しないので、たまのドライブ気分で、道中が結構楽しい。
それでもって、最近特に、家でまとまった時間をとって音楽を聴いたりすることがあまりないので、
よい機会だと思って、家にあるCDを適当に何枚か車に持ち込み、
行き帰りにカーステで聴いている。結構な音量で。
カーステで音楽を聴く(特に一人で運転してるとき)、というのは、
家で聴くときとは違った味わいがあって、なかなかおもしろい。
運転しながらカーステを聴いている時間というのは、音楽が流れる密室空間に閉じ込められている状況なので、
その気がなくても、その音楽にどっぷりと浸ってしまう。
その結果、家では聴き逃していたような細かい所までよく聴きとれて、
それまでそれほど好印象でもなかったのに、実はすごくいいアルバムだったんだ、ということがわかったり、
ディテール部分に意外な新発見をして、つい笑ってしまったりするのだ。
最近のヒットはナンシーキングとフレッドハーシュのデュオ、ラルフタウナーとゲイリーピーコックのデュオ等々。
今日は久しぶりにキースジャレット聴こうと思って、何年も触っていなかったNUDE ANTSを聴いたのだが、
これがもう、よかったのよくなかったのって・・・!!

この頃のキースは、まあしかし、とにかく「過剰」です。
どの曲とってものっけのテーマからして、過剰。
メロディが過剰。
ソロも過剰。
ヤンガルバレクのプレイも、超絶過剰。
でも、それがこれみよがしなスタンドプレーでは全然なく、
言いたいこと素直に過不足なく表現してみたら結果的にこうなった、
というようなものなので(少なくとも僕にはそう感じられる)
ちょっと筆舌に尽くしがたい感動につながるのである。

まあしかし、人を感動させるもの、というのは、
どんなジャンルにせよ、ある種の量的圧倒性(という言葉は多分ないと思うが)
という条件をみたしていることが多いのかな、
と、なんとなく考えた。
大きな絵、長編小説、長大な楽曲。
表現の派手さ、執拗さ。
これらが人を感動させるための必要条件だ、なんてことはもちろん言えないと思うし、
僕個人の趣味からいったら、どちらかというと薄味系のちょっとしたことのようなものに
感動を覚えたりすることが多いのだけど、
そういうこととは関係なく、語弊があるかもしれないけど、ある種の「量的」なものに力任せに感動させられる、
ということがあるのもまた事実である。

えっと、またいつものごとく話がよくわからないところにきてしまった。
つまりえっと、まあキースのNUDE ANTSはよかった、ということ、カーステはいろいろ新発見できておもろい、
というようなことでした。


こないだ不思議な形をした雲が空にあったので、シャメに撮ってみた。


目かゆい

2008-09-26 | 日々雑感
随分と更新が滞ってしまった。
久しぶりになんか書こうと思う。
酒を飲むと羞恥心というものがなくなるので、わりあいすらすらと適当なことが思い浮かぶ。
そういえば最近、羞恥心とか悲壮感(悲愴感?)とかいうグループがはやっているそうな。
僕はテレビをさっぱり見ないので、この手の情報はちょっと古いのかもしれないが。
でも、このネーミングはちょっといいな、と思った。
ややマイナス気味のオーラをまとうネーミングというのは、個人的な好みとして非常に好感が持てる。
自分のユニットにこういう名前をつけるとすると、どういうカンジかな、って、ちょっと考えてみた。
疑心暗鬼、とか、自己欺瞞、とか、慇懃無礼、五里霧中、四面楚歌、自己破産・・・・
アリバイ崩し、とか(!?)
なんでも出てくるな。
ま、どうせほんとには実現しないネーミングだ。
こういうのを実現できる人たちは、ある意味うらやましい。

という訳で、

ニュークリアエイジはにさんち前に読み終えた。
前回の記事で、最初ちょっとだけ読んで書いた感想(というか印象)は、ちょっと、撤回したいと思う。
感じたことはけして嘘ではないけれど、でも、読了して、全体の感想として一番に感じる思いに比べたら、あまりにも瑣末にすぎることなので。
といって、じゃあ一番に感じる思いってなんなのさ、って訊かれてもこれは、もうほんと文字通り、筆舌に尽くしがたい。
来るべき(?)世界の終末に備えて家の庭にシェルターたる「穴」をせっせせっせと掘る主人公。彼が正常なのか異常なのかは、見方によってどうとでも言える。
個人のアイデンティティと、外部世界のありようとの関わり。
人としてどう生きるか、という永遠の命題と、個人の力では全くもってどうしようもない、暴力的、破壊的な現実世界との無情な齟齬。
ちょっと「おかしい」人たちがけっこう出てくるけど、「こいつはおかしい、俺はそうじゃない」って言い切れない怖さ、みたいなのをすごく感じて、ほんと、「考えさせる」小説でした。
ほんと、ひさしぶり。

村上春樹氏のあとがきも、すっごく秀逸です。
そういえば、この小説、主要なモチーフは、なんかある意味ねじまき鳥と似てたな。

ま、そんなカンジで、

結膜炎で目がかゆいけど、
明日からまた、頑張ろうと思う。







ムラカミ訳モノはオモシロイ

2008-09-05 | 日々雑感
こないだ、とある本屋に物色しにいって、目当ての本がいくつかあったのに、一つも見つからず、
結構京都ではおっきな本屋のはずなのに、なんだよー、京都って文化水準高いんじゃねーのかよー、って
ちょっとだけバカにするふりをしてみたんだけど、
そういうときは、意外と意外なところに目がいったりして、意外な収穫があったりするもので。
何気なく手に取ったティムオブライエンの「ニュークリアエイジ」(出た当初から、何気なく気にはなってたんだけど)ちょっとだけパラパラと見てみて、1分ほど考えて、
一旦棚にもどしてから、他の棚を何気なく物色しつつ、うーんどーしたものか、と逡巡しつつ・・・、
またもどってきて、この本を手に取りつつ、「まあ、村上さんの訳だから、まちがいないはずだ」
と自分に言い聞かせ、レジに向かった。図書カードもうそろそろ終わりに近いかなあ、でもこれくらい買えるはず、と思ってレジのおねーちゃんに出したところ、あと175円ですー、って言われ、「うーん、どうしよう、現金で余計な支出したら怒られるかなあ」ってふと「怒られている図」というのを想像して迷ったけれど、いやいや、たかが文庫本1冊買うのに、何を躊躇することがあるのだ、貧乏人にも五分の魂という諺があるじゃないか、(って、ないけど)と考え直し、結局買った。
そんでもって、
まだ50ページくらいしか読んでないけど、


・・・めっちゃ面白いです。サイコー!!

このユーモア感覚、最高です。なんというかね、レイモンドカーヴァーの短編なんかでよく感じられる、この独特の感覚。
ユーモア40%、ペーソス30%、シニシズム30%なカンジ、そして、それが人生の真実をすごく遠回しに語っているように感じられる。
こういうの読んだときって、めっちゃ笑いながらも、笑いが少しひいてくると同時に目がマジになってきて、「うーん・・」っていろいろ考えてしまう、という反応をしてるんですね、間違いなく、いつも。
いやいやこの先が楽しみです。

ま、しかし、ほんと、

多分、ムラカミファンを自認する人は、ムラカミ翻訳小説もきっと好きなんじゃないかなあ、って推測するんだけど、実際のところ、どうなんだろう。
確かめてみたいけど、悲しいかな、僕の周りにはムラカミファンが存在しません。
世界中に恐ろしい数のムラカミファンが存在するはずなのに、現在、僕の周りには一人もいません。
ちょっと、寂しいことではあるなあ・・・







京都に来てから

2008-08-30 | 日々雑感
ソロの仕事がたくさんあって、今までそんなに集中してソロピアノを弾いた経験がなかったので、個人的に、とてもいい練習になっているようだ。
毎回反省することも沢山あるけど、その分得ることも多く、場合によっては次の回にすぐ生かせるようなこともあって、結構楽しいと言えば楽しい。
ソロの場合はとにかく両手のバランスがとても重要になってくる。右手のラインだけに集中してしまっては、すぐに破綻をきたしてしまうので、意識の配り方が非常に難しい。拡散的集中、つまり、鍵盤を全体的にぼやーっと見渡すような意識でやるのが、うまくできるコツのような気がする。この場合、視点をあまり頻繁に移動させないのがポイントかな。ボクサーが相手と対する時に「見るともなく見る」というやり方をとるのと、イメージ的には近いんじゃないだろうか。
と、ここまで書いて気がついたのは、
本来はコンボでやるときだって、この意識でやる方がよいはずだ、ということ。
他人と合奏するときは、左手がそれほど忙しくない代わりに、他人の音も聴かなきゃいけないわけだから、やっぱり拡散集中が必要なのである。若干質は違うと思うが、一カ所だけに集中しない、全体を見ていないようで見ているようで・・・というような意識状態は、まあなんというか気を抜いている訳ではないのに余裕があるというか、やってて楽しいと感じられるものである。いつ何時でもその意識状態に持っていくのはかなり難しいとは思うけど。
そして、それを克服するために必要なのは、多分、「タフな精神力」なんじゃないかな、と思う。



パソコンの

2008-08-28 | 日々雑感
横に電話兼ファックスが設置してあるのだが、
その液晶画面に、いつも「ルスセッテイ」という表示があって、
留守設定にしてあるのでルスセッテイと表示されているのは当たり前なのであるが、
それを見て、頭の中で、ルスセッテイ、と読んでみようとすると、
ルスセッテイ→ルススェッティ→ルセッティ→ロセッティ、となってしまい、画家のロセッティを思い出す。
だからどうだ、と言われても、別にそれ以上でも以下でもありません、あしからず、という風に、開き直ってしまうしかないのであるが。
しかも、別に僕は、この画家が好きだ、とは思ったこともなく、というより、ロセッティという名前だけは知ってたけど、どんな画風だったか、全く記憶もなく、そんでウィキで確認してみて、あっそー、という感想しか出てこなかったんだけど。
でも、この名前の響きは好きだ。かっこいい。なんかもてそう。

せっかく最近ヤモリのこと書いてるのに、ここ何日かは出没しません。
最近の関心はやはりロセッティよりもヤモリです。
やつはまぶたがないらしいです。
目、乾かんのやろか。
やつが出るところは玄関外の電灯の下、と、大体きまっている。
玄関内側の照明のとこに細いアルミ製(?)パイプがじゃらじゃら並んだオブジェがついていて
それをじゃらじゃら鳴らすことによって
やつをおびきよせられないだろうか、とひらめいて
さっそく実験してみたが
だめだった。

外に出てみると、
やはらかい虫の声
雨はとりあへずあかってゐる

やもり
雨降って虫ようけ湧いて、たくさんのえさにありつけたのかもしれん。


しかしなんだな、このブログは思いきり正体明かしてるし(ていうか、正体を知ってもらうのが目的だ)、昔みたいに匿名であることをいいことに酔っぱらって適当なこと書き散らかしたり、ということは、あんまりしない方がいいと思うんだが、いざ酔っぱらってしまうと制御装置が作動しなくなるので、結局同じことになってしまうようである。

明日はヤモリ
来るといいな、と思う。





やもり再び

2008-08-24 | 日々雑感
あめざーざーだった。
外はたまにピカッと光っている。

最近やもりがよく出没する。
やもりは家を守ってくれるんだそうだ。
日本だけでなく、アジア全域にそういう言い伝えが多いんだそうだ。

昔インドネシアを旅行して木賃宿に泊まったとき、夜、天井裏から
ケタケタケタケタ!!!
とケタたましい音が聞こえてきて、いったいなんだ、と思ったら、同じ宿に泊まっていた旅行者が
これはやもりだ、って教えてくれた。
かなり大きな鳴き声だったから、多分相当デカイのだったんだと思う。
かなり汚い、ぼろぼろの宿だったが、つぶれずにやっていけてたのは、
多分そのやもりのおかげだったんだと思う。

うちのやもりも他に行かないでここにステイしててっ、てお願いしたいところである。

やもりって、なんとなく
トカゲになれなかった中途半端なヤツ、
というイメージが昔からあったのだが、
こうやってやもりのこと書いて、
やもりに思いをめぐらしていると、
なんか
愛着がわいてきた。

変温動物のマイペースぶり、というのは、
なんというか、超然としていて、達観あるいは諦観の境地すら見いだせる感じがして、
日々の些事に振り回されてあくせくしている小市民の僕なんかは、ほんと見習うべきところがあるなあ、
って
まじで感じます。






こないだの

2008-08-22 | 日々雑感
大文字焼きの日をさかいに、気候が急に秋めいてきた。
今日の夜などは涼しいというよりも、少し肌寒いくらいの外気だった。
まあさすがにこのまま秋になる、というようなことはないだろうけど、夏が終わりを迎えつつあるのは事実だろう。

初めての京都の夏。
やっぱ京都は暑いっすねえ、なんて方々で言ってたけど、実のところは、クーラーのよく効いた部屋にいたことが多く、それほど実感として京都の暑さを感じていたわけでもなかった。でも、家の周りをたまに歩いたりするときに目にする、比叡山の山並みとか、そこに懸かる巨大な積乱雲とか、そういうビジュアル的なもの、あるいは色彩的なものが、「暑い」というイメージを強烈に発散していたように感じたのは事実であり、僕にとっての今年の京都の夏に対する印象は、そういう視覚のイメージにおうところが多かったように思う。

そうですね、色彩、って意外と京都にきて強く意識したことかも。
京都市を取り囲む山並みの色。空と雲の色。鴨川の水面の色、川辺に茂る草木の色。
吉野家もマックも、条例だかなんだかで地味色になってることが多いんだけど、そんなものとは次元の違う、自然の色の強さみたいなものを、けっこう日常的に感じた気がする。


やもり

2008-08-10 | 日々雑感
一昨日だったかな、携帯を初めて買い替えた。
いい加減ぼろくなってしまって、バッテリーが1日ももたなくなったので。
かなり安いやつにしたけど、さすがに前のとは比べ物にならないくらい、性能はいいようです。
まだ潜在能力の数パーセントしか使ってないと思うけど。
カメラの機能もだいぶグレイドアップ(というほどでもないけど)したので、さっそく何か投稿しようと思い、
被写体第一号に選ばれたのがこの方です。



うちの玄関の外の電灯の下に張り付いておりました。
この、周囲の様子を注意深くうかがいながら、どんな事態にも瞬時に対応できる、機敏そうな体勢。
微妙にスパイダーマンに似ていると言えなくもないかんじがします。
しかしこの辺は一応住宅街に位置しているとはいえ、いろんな種類のよくわからない虫が侵入してきたり、家の前の疎水のしげみにはイタチらしき動物がひそんでいたり、そんでもってヤモリまで出現するわで、なかなか楽しい環境です。





blackbird

2008-08-04 | 日々雑感
今日は香里園でソロの仕事があって、京阪の出町柳までチャリで行って電車に乗ろうと思ったのだが、チャリ置き場が満車で、近くに駐輪できるようなところがなく、時間もなかったため、やむなく路駐して電車に乗った。
で、仕事が終わって出町まで帰って来たら、案の定撤去されていて、預かり場まで引き取りにいって2300円払わされてしまった。軽く文句のようなことを言ってみたけれど、結局丁重にすかされて、それ以上食い下がる元気もなく、すごすごと家に帰った。
疲れた。

        ~・~・~・~・~・~~・~・~・~・~・~

何となくビートルズのblackbirdをソロで弾いてみたいと思い、you tubeを聴きながら譜面に起こそうとしたのだが、これがいくらやっても譜割がどうなっているのかわからない。

おたまじゃくしだけとって、なんとかつじつまを合わせてみたのだが、はたしてこれで正しいのかどうか・・・

それにしても、これ、同じ疑問持ってる人が絶対いるはずだと思って検索してみたんだけど、そんな話題、どこにも出てないんですよねー。まあ市販の譜面があればすぐ解決する問題ではあるんだけど。(ちなみにうちにある某バージョンの譜面は全くうそっぱちで使えませんでした)みなさん、普通にわかるんだろうか。そうだとしたら、ちょっと悲しいかも・・・。






昨日は

2008-08-02 | 日々雑感
ブルーノートのセッションに参加。
ピアノの岩瀬氏に初めてお会いする。
うわさには聞いていたが、本当にすばらしかった。
練習方法も含めていろいろ話をする機会を持てて、よい収穫であった。

一人になって考えたのは、
表現するうえで、「自分のシステムを作る」ということの大切さ。
システム、というと無機質な感じがしてあまり聞こえがよくないが、
特にジャズをやる上では、本当にこれが大事だと思う。
自分の語法、というものを確立する、ということ、また、それに確信を持つ、ということ。
ちょっと違うな。確信があるからこそ、語法を確立できる、ということなんだろう。
そして、その語法を用いて、どんな状況においてもその場にあった対応ができるような、柔軟性を持つ、ということ。
語法の確立と柔軟性、この、一見相反する要素を持ち合わせてこそ、よい演奏、表現というものにつながっていくんではないだろうか。

そんなことを考えた。

それと、まあ当たり前中の当たり前やけど、

テクニック・・・・

やなー、

やっぱり。