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pianist平川勝朗ページ

ピアニスト平川勝朗に関する情報です。
スケジュール、チェックしてねー。

ここ2、3日

2009-06-16 | 日々雑感
うちの前を流れる疎水に蛍が飛んでます。
毎年恒例の風景みたいで、結構多くの人が見に来てます。

ゲンジボタル。

名の由来は諸説あって、平家に破れた源頼政が死んで蛍になり、平家に再度挑む、みたいな伝説からきてる、ってやつとか、
逆に源氏が平家を打倒したところから、
でっかいのがゲンジボタル、ちっちゃいのがヘイケボタル、ってのあるし、
あと、ホタルは光る→光源氏→ゲンジボタル、という、なんというかまあ「まんまやんけー」というつっこみをのがれられないであろう説もあるにはあるらしい。

源氏物語って読んだことないし、あんまり興味をそそられる話でもないんだけど、実際読んでみたら結構おもしろいかもしれないし、それになんといっても日本の古典の王様みたいなものだから、やっぱ読んどかなあかんなあ、ていうのもあったりして。
でも、まあどっちかっていうと、源氏物語より平家物語の方が興味はそそられるところがあって、いつかは絶対読んでみたいと思う。(そういえば1q84でも平家物語がちょっとからんでくる箇所があります。)
僕の好きな作家のひとりである橋本治の「双調平家物語」というのがおもしろそうだけど、でもそれは現代語訳としては多分相当な変化球なんだろうと思う。

どうでもいいけど、子どものころ諸行無常って、諸行無情って勝手に勘違いしてて、世間は冷たいもんだ、って意味だと思って、なるほどそういうもんか、って納得してたことがあるけど、おんなじ間違いしてた人、絶対にいるはずだ。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

いいですね、この諦念、この静けさ。
僕はこの意味だけでなく、視覚的イメージ、聴覚的イメージが、
すごく好みです。
ああ、やっぱり読みたくなってきた。






うーむ・・・・・・・

2009-06-09 | 日々雑感
1Q84読み終えた最初の感想。

もしこれから読む予定がある人は、この先は読まない方がいいかもしれません。
そんなネタばれというほどのものは書かないとは思うけど、念のため。


量的には長かったはずだけど、全然長く感じなかった。
ある意味ストーリー展開がわかりやすくて、エンターテイメント的な要素が強かったからだと思う。あくまで、見かけ上は、ということですが。
というか、ストーリーの過程で起こった様々な出来事の多くがなぜか未解決のままbook2が終わってしまって、えっ、これで終わり?ってちょっととまどってしまいました。
て、ところで、今気がついたけど、あっ、そっか、これ、book1,book2になってる(上下巻になってない)てことはさらに続編があるってことだね。
しまった、僕個人としては小説は一気に読んでしまいたい方なので、それがわかってりゃ完結編が出るまで読まないんだった。
去年だっけかな、光文社からカラマーゾフの新訳が出版されて、4巻まで読み終わった段階で、まだ5巻が出てなくて、ここで続きを読み始めるまでに変なブランクあけたくないんだけど、なかなか出る気配が見えないので、あきらめて全然別訳の新潮の昔からあるやつを買って続きを読むという暴挙に出たことがあって(ちなみにこのときはそれ買った直後ぐらいに光文社版の5巻が出て、本やのカウンターのおねえちゃんに文句言ったろかと思いました。「そう言われましても・・」と困惑されるのがおちだと思ったのでまあ言わなかったけど)
ということがあったくらいなので、

つまり、

ちょっと失敗したなあ、ということでした。

まあ、それはいいとして

こっちの世界とあっちの世界、という設定は初期の作品からかわらないモチーフではあるけれど、あっちの世界のリアリティの濃度がすごく高く、一方でこっちの世界の不確実性みたいなことがさらに強調されていて、もうますます何がリアルで何がアンリアルなんだか頭ん中がコンフュージョンなカンジで・・。

最初に書いたとおり、ストーリー展開はほんと羊をめぐる冒険とかねじまき鳥とか、あるいはカフカとかより、全然わかりやすいと思う。
明確な動機による明確な行動。
にも拘わらず、
ちょっとこんな困ったムラカミ作品も今までなかったんじゃないかな、と思う。
リアリズムの中にちょこちょこっと顔を出す超現実な事象。
不思議なおとぎ話であると同時に、僕らが現実に日々対面しているリアルワールドの話でもあるという2重構造。
そういう中で、登場人物のとる行動の是非、つまり「善悪の判断」が一筋縄でいかないことが多く、日常生活の表層的な判断では到底太刀打ちできない。

こういうのは、正直読むのが疲れる。
日常生活を営んでいくのに使ってる普通の常識感覚を揺さぶられるから。それもすごく強い力で。(このゆさぶり力が今までの作品の中では一番強いんじゃないかな、って感じます)
何といっても今回は信仰の問題が中心命題として出てくる。
ムラカミ氏はオウムの事件に関連して分厚い本を2冊も出してるし、神の子はみな踊るでは、直接題材にはしてないものの、そのオウムとのかかわりの経験を色濃く反映させているし、(それに、なんかのインタビューで、自分はわりとしつこい性格だ、って言ってたので(笑))、ここにきてそのことが大きく結実したのかな、って気がする。
カラマーゾフを引用して「物事の善悪というものは常に流動的なものだ」ということをカルトの教祖に語らせるくだりなどは、読んでて、なんだかまわりの空気がはりつめていく感覚があって、思わず姿勢を正してしまいました。(カラマーゾフ去年読んどいたのはうれしい偶然!)
「信仰」ということを題材にして、そういう善悪の問題なんていう哲学の深淵に読者を引き込もうと思ったら、それこそ相当に強烈な力で心の奥を揺さぶらないとできないことだろうし。


そんでもって・・・

リトルピープルが何者なのかってこともよくわからないし、
青豆は死んじゃったのかどうかも・・・死んじゃったとしても・・・
よくわからないし、
さきがけの行く末も、戎野氏も小松さんもどうなっちゃったのかわかんないし、
ふかえりのことも気になるし。

まあ、いくらなんでもこれでおしまいはありえないです。
はやく続きが読みたいです。
(カウンターのおねえちゃんに催促してもだめかな)







1Q84なんて

2009-05-30 | 日々雑感
タイトル持ってきたら、アクセス数増えるんちゃうかな、なんて浅ましいことを考えてみました。
昨日、買おうと思って河原町のジュンク堂に夕方ごろ行ってみたら、特に平積みコーナーを設けるでもなく、普通の新刊コーナーに地味ーに置いてあった。
他の大型書店は、おそらく、もっとはではでしく、これみよがしに
「出たよーっ」
て、やってたはずだけど、
(ま、見てないから確信はないけど、絶対やってたはずだ)
さすがジュンク堂!!
僕は個人的にこの書店のほどよいそっけなさがめっちゃ好きです。
本好き好き(?)のする書店やと思います。
ということで、昨日そのぶ厚いやつ2冊抱えて祇園のバードランドにお仕事に行ったら、やっぱりお客さんの中にも反応してた人、少なからずいましたね。

今日の昼間ちょっとだけ読み始めたけど、もうのっけからムラカミワールド全開な感じだけど、めっちゃなんかすごいことになりそうな予感がします。いや悪寒がします。



やっと出るよー

2009-04-09 | 日々雑感
ムラカミ氏の待望の最新長編「1Q84」が、5月下旬に出ます。
別にめっちゃ新鮮な情報というわけではないですが。

超ムラカミファンの僕ですが、
アフターダークはなぜか読んでません。
海辺のカフカは出たときにどういう訳かすぐに触手が伸びずに、
「うーーーーん・・・」と迷ってしまってわんわんわわーん。
結局文庫が出た時に買って読んだのですが、その感想は、
「うーーーん・・・」困ってしまって・・・
自分的にはちょっとあんまり、だったのです。
あまりにも、ムラカミワールド的なものが透けて見えすぎたというか、
ムラカミワールドに浸るときいつも感じる、独特のスリル感に欠けたというか、
行く先が突拍子もない方向であることはあるはずなのに、
なぜか予定調和的なカンジがしてしまったというか。
ま、その原因は、恐らく、多分僕がムラカミワールドに対して、
ちょっとすれっからしになってしまったことに起因しているのではないか、とおもはれますが、どうだらうか。
でも、今度は多分、発売と同時に買います。
そして、読後、感じたことについて、
きっと、このブログに何か、書くと思います。
ひそかにめっちゃ期待しています。
そんで、誰か、ムラカミファンの人、コメントくださいませ。
このブログ読んでる人で、そういう人、おらんのやろか。
僕がよく出させてもらってる祇園のバーのマスターと、よくどの本やら作家がおもしろい、という話をするんだけど、
マスターがムラカミ読んだことない、っていうもんで、こないだ、羊をめぐる冒険貸したというか、つつしんで貸させていただいたんだけど、反応があんまりだったったので、僕としては困ってしまってガルルルーーー
もしまだ読んだことない人にムラカミ本を推薦するとすれば、
僕としては、羊をめぐる冒険か、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドか、ねじまき鳥クロニクルのうちのどれかになるんだけど、
まあ、そういうセレクションじゃないムラカミファンもいるだろうな。


家にピアス

2009-04-04 | 日々雑感
昨日、多少寒さが和らいできた感じがしたので、久しぶりに家の近所を散歩してきた。
鴨川沿いの喫茶店でお茶を飲んでるうち、
春やし、なんか花買いたいな、という話になり、
帰り道に見つけた花屋で、店の入り口に吊るしてあった、
「ロベリア」というのを買ってきた。
玄関脇の窓の下に吊るしてみたら、ちょっと気持ちが和んだ気がした。

ピアスって、今は普通におしゃれのために誰でもつけてるけど、
その起源というのは、大昔のエジプトだかどこだか忘れたけど、
体にあいてる穴、つまり耳とか鼻とかから悪霊みたいなものが入ってこないように、
魔除けのために付けていたものなんだとか。

今、日本中、いや世界中を覆っている不景気という悪霊が
うちの中まで入り込んでこないように、
この青い花が「家のピアス」になればいいなと思う。


春眠

2009-03-19 | 日々雑感
だいぶ春っぽくなってきました。
うちの前の疎水沿いの桜、ちょっとつぼみが膨らんできたやつもぽつぽつあります。
でも明日はまた寒くなるとかいってたな。

天気予報的には、もっとはやい時期に春一番てのがあるけど、そのあともけっこう寒い日が続いたりして、あんまり春の到来を実感するにはいたらないことも多い。
でも、大体この時期になると、ある日ふと、外をチャリでとばしてるときに、やわらかい、ぼやーっとした、妙になま暖かい、白い太陽光線を感じることがあって、自分的にはこの光線を感じることが、春到来をはっきりと意識するしるしになっている気がする。
今年は2日前にあった。

まあしかし、
花粉症のせいもあるのかもしれないけど、
最近昼間っから、すごく眠たい。
眠たいときは寝れたらいいのだけど、
まあなかなかそうはいかず、
やらなあかんこともそれなりにあって、
眠たいときに寝れる人はいいよなー
って思った次第でした。


散髪屋にて

2009-03-05 | 日々雑感
今ふと気がついたのだが、ブログには「カテゴリー」というものがあって、
その日その日の文章の内容を分類して、過去の記事を見る時に探しやすくするという機能がせっかくついているのに、
このブログは、特別の単発記事とスケジュール以外は全部「日々雑感」になっていて、これじゃカテゴリーがせっかくある意味ないじゃん、
って思いました。
しかし思っただけで、だからどう改善しよう、というところまでは具体的行動を起こさない私でありますが。

で、この間、久しぶりに散髪にいった。
うちの近所に1000円でやってくれる非常に良心的な床屋があって、たしか去年の秋、初めて行って、今回は2回目であった。
おばちゃんが趣味でやってるみたいな、なんともアットホームな、よい意味でぐだぐだなカンジの床屋で、(よい意味でぐだぐだというのは、非常にキケンな表現だが、あくまでよい意味なのだ)とても居心地がよい。
店内はおばちゃんの好きなものとか、知り合いとかお客が置いていったであろう、演劇やら、なんとか教室やら、ライブ告知やらのチラシが棚に積んであったり、壁に貼ってあったり、奥の方は普通の生活空間みたいに床屋稼業とは全くもって関係のない日常雑貨が散らばっていて、まあなんというか、アットホームというか、インザルームというか、よくわかんないけど、
なんどもいうけど、よい意味でぐだぐだである。
そんで、その不思議な空間に流れていた音楽が、なんか個人的に非常に気になるというか、惹かれるところがあって、
髪切られながら、これは一体誰ですか、って聴いたらば、なんとAbdulla Ibrahim であった。
アブドゥラ=イブラヒム、昔はダラーブランドという名前だった、南アフリカ出身のピアニストです。
僕も昔のやつ、何枚か持ってるけど、その時聴いたやつは結構新しめのやつで、なんだか随分印象が違った。ていうか、ほとんど同一人物とは思えなかった。
昔はすごくごりごりしてて、「戦うピアノ」のイメージだったのに、床屋で聴いたそれは、すっごく内省的で、ロマンティックで、センティメンタルだった。でもそれだけではなくて、ただ単に甘く流れたりはしない、ビターなテイストもしっかりあって、それがただのBGMとは違う、聴く人を惹きつけるエッセンスになっていると感じた。
ほんと久しぶりだけど、けっこういいな、って思った。
で、次の日だったかな、
買いに行きました。
こないだカーステでじっくり聴いたけど、すっごくよかったです。
意外だけど、ポールブレイの90年以降のソロピアノにすっごく似てる感じがする。
意外だけどね。
技巧的なところはそんなにないんだけど、ほんと心を打つピアノです。
ちょっと聴き、聴きやすいなーと思うけど、
甘いといえば甘いけど、
でも、
「あ、甘くていいかんじ~」
と思って聴いてると、足もとすくわれます。
実はけっこう苦いです。
でも、その苦さが、
すごく、いいです。

あ、アルバムのタイトルは「先祖」です。
「は?」って思うでしょ。
ま、でもほんとなんだから、しょーがない。
誰にでもおすすめって訳にはいかないかもしれないけど、
でも、
いいですよ。
久しぶりに、いいオンガクに出会った。






小確幸一個追加

2009-02-26 | 日々雑感
コドモを膝に抱いて、焼酎お湯割りをちびりちびりとやりながら、ブログ記事を更新する、というのを
「小確幸」リストの中に追加しようと思う。
(小確幸知らない人は前の記事にちょっと書きましたのでそちらを)

こないだ村上春樹氏がイスラエルでブンガク賞をもらっておきながら、彼の地において、イスラエルの武力政策に強く反対するスピーチをした、ということが新聞に載っていて、おお、さすが世界のムラカミハルキ、いいぞいいぞ、と思っていたら、あとで聞いた話で、その模様、結構テレビで放映してたんですってね。僕はテレビをみない人種なので、当然のごとくmissってしまいましたが、
あーあ、見たかった。
僕はこんなにコアなムラカミファンなのに、まだ一度も氏の肉声を耳にしたことがないのである。
といっても、氏はかなりな程度のマスコミ嫌いで、テレビ出演なんか、あの知名度の割にはほとんど皆無であって、今回の出来事はほんとに千載一遇のチャンスであったはずなのであった。
だから、ほんとなおさらやね。
まあ、氏はちかぢかノーベル賞をとるであろうと、まことしやかにささやかされてる方であるから、
ま、そんときは、めったにつけないテレビ、つけっぱなしにしとこうかなとは思うけど。

しかしうちの娘、まだ100にちそこそこしかこの世界では生きてないけど、
さっきから、おとなしいしてますけど、
じっとパソコンの画面みて、何感じてんやろか。

そうそう、話はあっちこっちにとびますが、
僕はキースジャレットのめっちゃコアなファンやのに、まだ一度も生の演奏聴いたことないんだけど、
そういうのってどうなんでしょうか。
多分あとで、ぜったい後悔すると思います。




昨日の夜から

2009-02-17 | 日々雑感
今日にかけて、けっこう雪が降った。
それでも今日の朝がたはちょっと太陽がでていて
空気がすばらしく透きとおっていた。
雪が降ったあと日が照ると、道に積もった雪がとけて道がぬれて
太陽の光りがそれに反射して、すごくきれいだ。
雨の時より乾きが遅い分、そういう状態をわりと長いこと目にすることができる。
それと屋根に積もった雪がとけて、それが一段下の屋根とか地面にしたたり落ちる音。
天気は晴れているのに窓の外で際限なくピチャピチャと音がしている。
なぜかわからないけど、昔からそういう光景と音のかんじが好きだった。

すごく寒かったけど、雪があまり降らない平野部では、ほんと1年に一回あるかないかのすごく希少な光景で、
雪国出身の僕としては非常になんというか、こころがほっとするというか、ノスタルジックな感傷にひたってしまうというか、
多分「サウダージ」的な感触、というのか。



某投稿動画サイトを見てると、思わぬところでいろんな発見をするわけですが、
最近のヨーロッパのジャズピアノシーンは、キースジャレットの影響から出発した、
すっごく耽美系ななよなよピアノが、
一つのプレイスタイルとしてほぼ確立した感がある気がします。
なよなよ、というのは僕の本心ではなくて、
ほんとはもっと肯定的な形容詞を使って表現したいとこなんだけど、
どうせいわゆるところの日本のジャズファンの方々に言わせればそんな印象に映るのが関の山なんじゃないか、
と思って、言われる前に言っちゃえ、そうそうそのとおりですー、って勝手な被害妄想、
そのなんというか、非常に屈折した心理から出てきた言葉なんだけど、
まあ、それはいいです。
そんでもって、そうゆうピアノの最右翼はTord Gustavsenな訳だと思う訳だけど、
まだまだ若手と言えるであろう彼が、もう既に、更に若いピアニスト世代に影響を与えつつあるようで、
そういうのが大好きな僕としては、ほんとに大歓迎したい状況でありまして。

という訳で、自分だってそういうピアノが弾ければいいのにな、
って思うことは思うんだけど、
まあ、道はふつーに険しい。
険しいことこの上ない。


スパゲティー

2009-02-09 | 日々雑感
夕方急に雨が降ってきて、
ほんとは自転車でちょっと外に出て食事をする予定だったのが、
急遽とりやめになった。
で、家で夕飯を作ることになったのだが、冷蔵庫にはたいした食材もなく、
そういう時のお決まりコースでスパゲティーを作ることになった。
家の食事は基本的にはかみさんが作ってるけど、スパゲッティーの場合に限り、自分が担当している。
理由はまあいろいろある。

少ない残り物食材の組み合わせで、いくつかの可能性についてかみさんと議論しあったが、
結局、キャベツ、ツナ、しめじのクリームスパゲティーというところに落ち着いた。
僕がスパゲティーを作る時にまずはじめにすることは、
酒を用意することである。
ちなみにこれは料理に使うのではなく、酒本来の用途、
つまり、飲むためである。
今ぐらいの季節だと、焼酎のお湯割りを用いるのが正しい。
酒をちびりちびりやりながら料理すると、気分が適度にハイになって、作業が非常にスムーズにはかどる。
今日の献立の所要時間は約15分。
味見一切なしで皿に盛ったが、まずまずの出来であった。
モノトーンな日常生活の中にあっては、ささやかな自己満足である。
ムラカミ氏的に言えば、「小確幸」(小さくはあるが、確固たる幸せ)というやつである。
そういえば、ムラカミワールドの中には、本当に頻繁にスパゲッティが登場する。
エッセイにもたびたび登場するし、短編小説(のようなもの?)で「スパゲティーの年に」というやつもあるし、
あの、「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭だって、いきなりスバゲティーをゆでているシーンである。
というわけで、なんとなく気になって、「カンガルー日和」に入ってる、「スパゲティーの年に」
という短編を久しぶりに読みかえしてみた。
まあなんということのない、たわいのない文章である。まさに
ムラカミ氏のいう、スパゲティー小説(スパゲティーを茹でながら気軽に読める小説)そのままだ。
でも、彼がスパゲティーがすごく好きなんだ、ということは、とてもよくわかる文章。
好きっていっても、スパゲティーという料理が好物だ、という意味においてではなく、
なんというか、スパゲティーという食べ物の存在のありよう、というか、スパゲティーにまつわる空気感というか、
まあ、彼自身の私的なスパゲティー体験に基づくイメージなんだろうけど、
そういうような感覚をすごく大切に思ってるんだろうな、
ってことが、非常によくわかる文章です。

なんかそういうの読むと、
自分も独身生活時代によく作っていたスパゲティーのことをふっと思い出す。

一人暮らしの汚いアパートのなかで
スパゲティー作りながら
ちょっと心地いい孤独感。