「丘の地面から伸びている枯れた蔓草が巻き付いた大きな白い十字架が、その土地の荒涼とした印象を決定づけている」ですが、クロノイオーンの時系列に従って、次のコード153「苦悩する人の傍に新しい扉(脱出の扉)への鍵を携えた二人の守護天使が臨み、彼とその家族を襲っている例えようもなく悪魔的で極めて暴力的な力から守護しようとしている」がついに本格作動を開始し出しました。
なお、このコード153は「窮地からの脱出」が主題となっていますが、実はこのコードの背後(対向コード)には、あの恐るべき「絶滅と荒廃(絶無)のコード」であるソーラーコード333「荒寥とした砂漠の砂の下に、壊れて石化した古い木が埋もれている」がありますため、仮に窮地からの脱出が最終的には成功する場合があったにせよ(基本的には成功しないのですが)、必ず極めて大きな何かが「台無しになる」「完全に失われる」という運命的代価を払わなければなりませんし、また、このコードがどこかの家族に来た場合は、進行法の月単位で来れば、その家族の誰かが死に瀕するほどの重症を負うか死ぬ危険のある病気になるかといった現象化になり、年単位で来れば、家族の誰かが死にます。
たとえばの話ですが、仮に、このコード153に先立つコード152に、進行の太陽コードが4月16日から入る人が居たとしましょう。太陽コードとは、つまり「年運コード」のことなので、その人の運勢は4月16日から約1年間、コード152の運命的影響にずっと支配されることになります。
そして、仮に、そのコード152がもたらす極めて過酷すぎる力を万が一奇跡的に乗り越えられたとしても、それに続く次の1年間の年運コードとなるコード153が、これまた152に比肩しうるほどに強力過酷なので、結局は丸々2年間、その人は最凶最悪の運命ゾーンを辿ることになるわけです。
〔註〕コード153の後に続くコード154が訪れて、やっと運気は回復上昇安定を遂げることになります。
このコード152からコード153に亘る2年間(その両コードが進行太陽で来た場合)は、それが健康で丈夫な人に来た場合でも、その人の生活や人生に大打撃を与えます。健康で丈夫な人に来た場合でもそれほどの大事惨事になってしまうわけですから、もし弱っている人や療養中や闘病中の人に来た場合は、まずはほぼ100%、このコード152→153のゾーンを生きて抜け出ることはできません。
普通にコードの定石で言えば、コード153に太陽が移る前のコード152の間に死んでしまいます。
ですが、もし何か超常的な類い稀なる奇跡が起きてコード153に入れたとしても、そのコード153は恐るべき絶滅のコード333と表裏ですから、結局はそこを生きて出ることはできないのです。
〔註〕重病患者がそこを生きて出られる唯一の例外があるとすれば、それは次のコード154そのものか、もしくはコード154の三位一体コードを自分が最初から出生コードに持っている場合だけです。
これが「コードのプログラム」というものです。この4次元のプログラムコードの「絶対性」の前では、「個人の気の持ち方」とか「言葉の可能性」なんて、まったく何の足しにも力にもなりません。
人の「気持ち」や「言葉」は所詮3次元のもの、つまり、メタレベルにある4次元にコード(支配)される対象にすぎないのですから。
『言葉はコードを越えない』
コードを越えられるのは、最初からコードを越えた所にある5次元のフォースだけ。
【コード解説】
・ソーラーコード153「苦悩する人の傍に新しい扉(脱出の扉)への鍵を携えた二人の守護天使が臨み、彼とその家族を襲っている例えようもなく悪魔的で極めて暴力的な力から守護しようとしている」
♢コードの現象化形態:環境からの激しい圧迫。強い精神的苦悩。(ときに)破壊的状況。苦しみに耐える過程で、未知の方向からの援助がもたらされる。守護天使の導きや5次元を領する真実の神の加護を求めること。大きな犠牲。家族の中の誰かが死ぬ。
・ルナーコード153「ウサギ毛のマフラーを首に巻き、黒いタキシードを着た腹話術師が、自分の人形に話をさせている(賓客に給仕するバニーガール)」
♢コードの現象化形態:魔的なエネルギーの強い介入。身を守る必要。雌伏の時。不断の努力の果てに社会的上昇を遂げる可能性。良きパートナーシップやチームプレイにより一定の望ましい結果を得る。バートナーや仲間に助けられる。パートナーや仲間の活躍。自分の大切な人や仲間のために頑張る状況。内助の功による成功。(一部に)文筆の才能。人に会話の内容を指示する状況。予定された(台本)通りの茶番。