天瀬ひみかのブログ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND

僕たちの旅、ここではないどこか、幸福な場所へ。

真の黒幕はアカシックコード。ゆえに、コードを解した者は、この世界の偽りの彼方にある真実を知る。

2017-03-13 23:07:05 | 日記

「不出戸知天下」(戸を出ずして天下を知る) −老子


まさに、コードを知る者、5次元の真実の神の光とともにある者は、かくの如くとなります。

私は(重度のCSで、ESでもあるため)テレビを持っていません。

ニュースはネットで見るだけです。

空気の悪い映画館に入れないので映画も見ませんし、時間がないので映画やドラマのDVDも見ません。

あと、雑誌や新聞は、紙やインクから揮発する成分に反応するので読みません。

だから、本当なら、世間のことはほとんどまともに分からない…となるハズなのですが、ただ粛々とコードを読んでいるだけで、その道の専門家よりも、正確な未来が分かります。

それに比べて、世間にあふれる「情報」は、ほとんど無意味です。

なぜならそれらの99%は、すでに起こった事に関する感想や論評で成り立っているからです。

つまり、それらは、いくら語を尽くし、分析を尽くし、修辞を尽くしたところで、結局は出来事に対するただの「後天的」「受動的反応」であるに過ぎません。

そして、その「受動的反応」である99%の残り1%には、「積極的行動」である「予測」があります。

しかし、その予測は、残念ながらほとんどが外れますから、世間に流通している予測情報の中で、まんまとそれが当たる確率は、最終的に1%以下ということになります。

よって、それはまったく実用的でも実利的でもありません。

ただ、「戸を出ずして天下を知る」とは言っても、その家に籠っている人が、戸の外にあるこの世界(3次元)と、この世界を上から支配しているアカシックコード(4次元)をさらに越えた、真の神の5次元の光(啓明)と繋がっていなければ、ただのオタク、ただのヒッキーになってしまいます。

しかし、ひとたび5次元との繋がりを得れば、その人は「そこに動かずして天下のことわりの一切を知る」人になるのです。

無目的に(テロスなく)動く、(自然に反して)工夫する、(アカシックに操られて)考える、(ムダな)情報に流される…それこそ人の〈営為〉には「本来自然」と「宇宙大調和のことわり」からかけ離れたムダなことばかりです。

そうしたことから自らを遠く離して、1度すべてをゼロにリセットしてみることが大切なのです。ですが、ゼロになることは、口で言うほど簡単なことでは全くありません。一人の人間には、それこそ膨大な数の有形無形のムダなものが何重にも折り重なって付着しているのです。

たとえば、古来より宗教の世界では、仏門への出家や修道会への入門という形で、一気にそうした付着物を強制的に取り去って現俗を離れることを最高の選択肢として信者に示してきました。

ですが…それは結局コード294でしかありません。つまり、3次元の現俗から自らを切り離した所で、次には4次元の魔界の宗教性の中に自らの魂を完全に閉じ込めるだけのことなのです。

実際、コード294が表わしているのは、前のコード293に描かれている「自分が持ち堪えることのできないほどのカルマの負債(ミステリー、秘密、恥部、原罪)」をもったままで、つまり、それを何一つ解決できないまま、コード294の修道会(または仏門)に入り、結局その中でもそれをまったく解決する(あがなったり、救われたりする)ことはできず、俗世の人々と実質何も変わらず同様に罪人のまま死を迎えるという結末です。

このように、物質的には自らをゼロ(禅に言う無一物)にはできても、カルマの負債=原罪までは、人はゼロにすることはできません。宗教という方法を通じてもです。なぜなら、その宗教自体が、人間の原罪の大きな一部をなしているからです。かといって、では無宗教なら良いか?と言いますと、それでも原罪を減じることはできません。なぜなら、原罪の始まりを描いたコード1は、神の願いからの離反を表わしており、無神論、反神論、人間中心主義を表わすものだからです。つまり、神の否定、ないしは神の忘却こそは、人間が持つ最も重いカルマであり、原罪であるということになるからです。








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