ポポキのハワイ日記

我が家の猫POPOKIとハワイの紹介

宗廟を巡る…その1

2007-10-31 21:55:56 | Seoul
宗廟の醍醐味は正殿にあるかと思います
この国宝である宗廟を見たかったから…
相棒と一緒に宗廟まで足を運びました
そのスケールの大きさは…
僕のデジカメではとうてい写しきれないものでありました

正殿と永寧殿
正殿は国宝第227号に指定されている史跡で…
永寧殿も宝物第812号に指定されている史跡であります
この正殿と永寧殿は…建築的に明確に分節された…
塀、月台、基壇、柱、屋根など…建物を構成する部分で…
祭礼用建築物が兼ね備えるべき機能と
空間の完璧に取り揃えており…
その象徴性を高めております
横に地の果てまで続くかのような廟庭月台は…安定を…
建物の前面には無限に反復されるかのように立ち並ぶ柱は…
絶える事の無い王位の永続を…
水平に空の果てまで広がるような屋根は無限を象徴しています


宗廟を建てる。。。

2007-10-30 19:01:23 | Seoul
宗廟は今まで散策した史跡の中でも
比較的に建物の少ない史跡です
とは言っても…敷地は広大で…
しかも…昌慶宮を拝観した後の散策とあっては…
かなり相棒も僕もクタクタです。。。

宗廟は史跡第125号に指定されています。
境内には正殿、永寧殿、典祀庁、御粛室、香大庁、功臣堂、楽工庁等の建物があります
正殿と永寧殿は…それぞれ塀に囲まれており…
廟庭に出入りする門には位牌の通路である南の神門…
祭祀時に祭官が通る東門…
そして楽工と班列員の通路である西門があります
囲いの中央部には広い廟庭月台があり…
その真ん中には神路が南北に長く伸びており…
その北の端に基壇が造られており…その上に建物が建てられています
囲いの中の廟庭の空間は極めて静謐であります
時の流れを無言で語るかのような厳粛さの漂う空間です
正殿と永寧殿のある廟庭には樹木や草花を一切植えていない反面…
塀の周囲には厳選された特別な樹木を植えてあります
四方を欝蒼とした幽玄な森に創り上げ廟庭だけが…
空に続く空間としました
端からの精気を授かり…そこに霊的な力が満ち宿るようにしました

宗廟の歴史。。。

2007-10-29 00:20:03 | Seoul
相棒と宗廟と歩いているころには…
かなりクタクタです。。。
しかし…そのスケールの大きさに戸惑うばかりで…
クタクタだったのも忘れるくらいです。。。
ただ…日差しの強さには参りましたけど。。。

宗廟の歴史
竣工後の宗廟は…
祀る位牌が増えるや…
世宗3年(1421)には…正殿の西側に別廟の永寧殿を建立し…
そこにも位牌を奉安しはじめました
今日…正殿には西側第1室に太祖をはじめとする
高徳のある歴代国王と王妃の位牌49位を19室に祀っており…
永寧殿には太祖の4代祖…正殿より移安された王と王妃…
および死後称号を贈られた王と王妃の位牌34位を16室に祀っています
歴代国王のうち…廃位とされた燕山君と光海君の位牌は…
正殿と永寧殿から除外されました
正殿と永寧殿は宣祖25年(1592)の壬辰倭乱(文禄の役)で消失し…
光海君元年(1608)に再建されました
その後…数回にわたる重建を経て現在の姿になりました


宗廟へ…

2007-10-28 23:54:47 | Seoul
宗廟と昌慶宮は繋がっていて…
相棒と一緒に歩いて後門から宗廟へ入ると…
京都にいるような雰囲気にあります
宗廟って聞いてあまりピーンと来ないけど…
ツアーパンフレットに写真のある朱色の正殿が宗廟です

宗廟の歴史
宗廟は…儒学を統治思想として建国した…
朝鮮王朝が歴代国王と王妃…
そして…死後称号を贈られた王と王妃の位牌を祀り。。。
祭祀を執り行った場所であります
太祖は…漢陽に遷都した年の1394年に。。。
宮廷の位置を決めた後。。。
都城の左の東側に宗廟。。。
右の西側に社禝壇を配し…
その年の12月に宗廟の造営に取り掛かり…
翌年の9月に竣工しました


昌慶宮の散策~その5~

2007-10-27 12:53:31 | Seoul
昌慶宮から宗廟に移動することを考えると…
昌慶宮の奥までのんびりと散策する時間がなくなってしまいました
とりあえずは…春塘池までを目標として…
二人で散策しました

春塘池
元来…ここは勧農場(王が耕す水田)でありましたが。。。
1909年ごろ、日本によって日本風の池に造成してしまいました
1986年、昌慶宮の再建工事の際に…
韓国造園様式に造り直すと共に…
池を浚湈し…池の中に島を作りました
「春塘池」と言う名前は…
朝鮮時代、科挙を行った春塘台があった地域で。。。
それにちなんで春塘池と呼ばれています

大温室
大韓帝国の純宗(第27代王)隆熙(年号)3年(1909)に竣工した温室で…
建築当時、韓国最大の木造構造の温室でありました
1986年、昌慶宮の整備・再建工事をきっかけに
韓国の自生蘭と野生花を中心に展示しています



昌慶宮の散策~その4~

2007-10-26 22:54:08 | Seoul
撮影会の終わった相棒と僕は…
その恥ずかしさゆえに…
早足で昌慶宮を散策することにしました
日本に戻って文化財の詳しい友達にその話をすると…
「韓国って文化財をみんなに知ってもらいたいのか…
保存することも大切に思うけど…結構立入禁止にゆるいよね」って。。。
でも…本当に貴重な経験をしました

觀天台
宝物第851号の觀天台は…
朝鮮時代の天文観測台でありまして。。。
小簡儀台または…矑星台とも呼ばれていました
粛宗(第19代)14年(1688)に築造され…
朝鮮時代の天文台の様式をあらわす代表的な遺物であります

成宗胎室碑
この胎室は…
朝鮮の成宗の胎室であります
1930年5月…元々、京畿道広州郡京安面にあったものを…
日本政府によって…ここに移設されました
また、当時、全国各地に散在していた歴代国王の胎室も。。。
西三陸に移されました

昌慶宮での出来事。。。

2007-10-25 22:36:54 | Seoul
昌慶宮を相棒と散策していると…
撮影会でもしているのでしょうか?
カメラマンが多かったです。。。
そんな中…建築物としては一番奥にある「通明殿」に辿り着くと。。。
韓国語で…「モデルをやって欲しい」と声を掛けられた
…たぶん…
そこで相棒がすかさず「OK」を…
「えっ」モデルは僕なのにぃ~
そこで彼(カメラマン)が選んだ場所は…
そう「通明殿」の中であります
しかも…立ち入り禁止の中に入っての撮影会です
「本当に良いのかな!?」って思いながら…
何枚も撮影をしました
相棒も近くに来て僕を笑いながら撮影していました

通明殿
宝物第818号である「通明殿」は…
昌慶宮の寝殿の中でも…
中心になる殿閣であります
成宗15年(1484)に建てられ…
1592年に文禄・慶長の役(壬辰倭亂)の時に焼失したものを。。。
光海8年(1616)に再建しました
その後、再び火事に見舞われましたが…
純祖34年(1834)に再建し…今日に至っています
この建物は…屋根に鬼瓦(大棟)がないのが特徴で…
通明殿をいう扇額の書は…純祖の御親筆であります


昌慶宮の散策~その3~

2007-10-24 22:53:20 | Seoul
昌慶宮に行く途中…昌徳宮の前に人だかりがありました。。。
この秘密は翌日に分かるのですが…
相棒と歩いている時に…
昌慶宮も同じような混雑があるのかなぁ~何て思っていました
恐るべし…韓流ブーム。。。

崇文堂
崇文堂は…景宗(第20代王)の時に建立されたが。。。
純祖30年(1830)の大火災に見舞われて…
焼失しましたが。。。
同年の秋に直ちに再建し…今日に至っています
扇額の書は…
英祖(第21代王)の御親筆であります
英祖は…学問を崇め尊び…英才を育成しました
王がここで成均館(国立大学校)の学生らを接見し…
試験を行ったり…酒宴を開き…
彼らの勉学の勞を労いました

涵仁亭
ここには元々、成宗15年(1484)に建てた仁陽殿がありましたが。。。
宣祖25年(1592)、文禄・慶長の役(壬辰倭亂)の時、焼失し…
その後…仁祖が仁慶宮の涵仁堂をここに移して涵仁亭と名付けました
その後…また火災に見舞われ焼失したのを…
純祖33年(1833)に再建し…
今日に至っています
英祖(第21代王)は特に…
文武科拳で壮元及言(首席合格)した人材を接見するなど。。。
宴会場にも使われたことがあります



昌慶宮の散策~その2~

2007-10-23 22:15:43 | Seoul
昌慶宮は道路をはさんで…
宗廟と隣り合っている史跡です
相棒ともゆっくり散策するために…
半日をかけて…この二つを散策しました

明政殿
国宝第226号に指定されている明政殿は…
昌慶宮の正殿でありまして…
成宗14年(1483)に建立し…
文禄・慶長の役(壬辰倭亂)で焼失し…
光海君8年(1616)に再建されたものであります
朝鮮時代の宮中の殿閣は普通…南向きでありますが。。。
この明政殿は…東向きであるのが特徴であります
明政殿で…文武百官の朝賀・即位式・外国の使臣の接見など
国家儀式が行われました

文政殿
昌慶宮の便殿で…
国王が政務をつかさどった所であります
成宗の時に建立されましたが…
文禄・慶長の役(壬辰倭亂)で焼失し…
光海君の時…明政殿と共に再建されました
その後…朝鮮末期まで存在していたが。。。
日本植民地時代になくなったと推定されます
現在の建物は…1986年の再建工事の時…
考証によって復元されたものであります


昌慶宮の散策~その1~

2007-10-22 23:25:43 | Seoul
昌慶宮は景福宮に比べてそんなに広くありません…
その中にも国宝や宝物があり…
歴史的文化財としてその存在は一見の価値があります。。。
同じような建物に見えるけど…
それぞれの所以など興味深いものがあります

弘化門
宝物第384号に指定されている弘化門は…
昌慶宮の正門であります
成宗15年(1484)に創建されたが…
文禄・慶長の役(壬辰倭亂)で焼失し…
現在の門は…光海君8年(1616)に再建されたものであります
この建物の外観は…全体的に頑丈な構造を成しており…
荘重な美しさと共に親近感も持たせています

玉川橋
宝物第386号に指定されている玉川橋は…
宮殿の正殿に入る時には例外なく。。。
宮殿の正門と正殿の正門の間を流れる禁川を渡るようになっています
玉川橋は…その禁川の上に架けられた橋で…
成宗14年(1483)に造られました