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文革以降の中国の拡大主義と国内の強圧主義を唱えた政治家です。
鄧小平
粛清と権力闘争で、数回に失脚をしながら、地獄から蘇った政治家が鄧小平なら、単に権力を行使して、自身の出自隠蔽の為、南京事件記念館を造り反日政策を始めたのが、江沢民です。
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中国共産党・中共には「中華人民共和国の最高指導者」というくくりがあって、
毛沢東ー(華国鋒)ー鄧小平ー江沢民ー胡錦涛ー習近平 の名が連ねているのがWikiでヒットします。
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つまり中国の「国家資本主義」を提唱し、14億の人口潜在的労働供給力と消費のポテンシャルを売りに、米国をはじめとする西欧先進国への生産市場の提供、言うなれば、労働市場の開放とも言うべきトリガーで、切り込み隊長役を見事に演じたのが鄧小平。
それを可能にした素養は、彼の若き日のフランス・パリ留学ー逃亡・ロシア留学という経験で習得した国際感覚は、今流で言う、グローバリスト/鄧小平流グローバリズムであったかも知れません。
OGGの友人のO氏は「鄧小平の目は全く笑っていない。まるでパンダそのもの」と酒席で講釈を受け賜ったことを思い出します。
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法輪功への弾圧、生体臓器摘出、売買は江沢民の治世下で行なわれ、現在も継続する犯罪ですが、毛沢東次ぐ犯罪者で小心者であるところは習近平にも似ていると思われます。
つまり権力闘争が苛烈な中共組織にあって、細心の注意、感覚を研ぎすませることは、組織内を無事に確実に泳ぎ切るための必須条件であり、「小心」は生存競争と自己防衛のイロハなのだろうと想像できます。
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解放経済の基調になったのが、鄧小平の韜光養晦(とうこうようかい)とサラミスライサーとの両輪であることは有名過ぎます。
アメリカのノー天気なカウボーイ的性格を良しとする当時の米国社会がいとも簡単に、亡命支那人が稚拙と素朴の地を丸出しにして演じきったのが、「韜光養晦(とうこうようかい)」を演技で、如何に米国が、彼らの巧妙な手口、罠に嵌められたかには、驚かされますが、この時の「韜光養晦」は巧妙な撒き餌になっていたはずです。
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つまり、「韜光養晦」にはソ連・共産ロシアへの牽制的存在をアピールし、結果、米国の関心を集めることに成功したということです。
帝政ロシア時代より、中ロには国境紛争があって、かってはその最前線が旧満州で、紛争の締結は1991年のソ連崩壊のよって実現します。
そして、米国のヘゲモニー戦略は、1945年以降は、対ソ戦略が基調にあることです。
それに2020年コロナ禍以降は、対中戦略がそ米国ヘゲモニー戦略の基調に加わったとみれば、現在の米国の対中大利構造という構図は見やすくなりそうです。