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まだ80には数年ある団塊世代のおGGです。
ふとしたことで、ふた月前に、世間で言い尽くされている「失われた30年」が、指折り数えると、その「失われた30年」の起点が、1986年の「G5首脳、蔵相、中央銀行総裁」が出席した、「プラザ合意」であることに気が付きます。
そして、その「失われた30年」は、2025年9月で「失われた40年」になる現実を知ります。
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翻って、40年を考えると、自分の人生ではありますが、反省と慚愧に堪えない内容であり、自身の不明瞭に嫌悪感すら感じるようになります。
40年前と言えば、先に逝ったマダムKazanと結婚したのが、プラザ合意のあとの年末であったことを思うと、人生の半分以上が、失われた日本の時代とともに生きてきたことになり、訳もなく、怒りがこみ上がってきます。
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嫌な上司に従い、愚にもつかないことに、追従した日々が思い起こされ、昔をおもうと、懐かしさよりも、慚愧が先立つ昨今です。
かような微妙な感情の綾を、発信したブログです。