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光の世界へようこそ❣️

悪魔の統治してきた世界から真の自由解放へ歴史の狭間で
目覚めと霊性の向上、そして光の中へ

おばさん議員奮闘記 不当懲罰、冤罪はこうして  その2

2021-07-19 15:30:00 | おばさん議員奮闘記

2日目

午前、議長が11月の辞職勧告時「拘束されない弁明があればしても良い」

と言っていたにもかかわらず「馬鹿になって謝ればそれで済むこと」と私に謝罪を要求する。

議員全員が更に謝罪の要求をつきつけてくる。

懲罰動議は「固有名詞をつかった」とあったが固有名詞は使っていないと言うと[前村長と言った]という、

ではなぜ前村長の名を理由に挙げないのか、それは理由にならないと認識していたからである。

反論をするが謝らせたい議員と常識的な話になっていかない。

議員全員と議長の要求は延々と続き、さらに延会の責任まで言ってくる。


議長の絶対中立放棄と統率の欠如である延会の責任まで押し付けられ、

これ以上の意味のない抵抗は止め、終息に向け謝罪を受け入れることにした。

はからずも冤罪はこうして作られると言う体験をした。

謝罪は強要であることを含ませ、最後は「これからは」とも「これからも」ともとれるようにした。勿論「これからも」という意味である。

言葉の圧力、多数の横暴、不当な懲罰、村民の目の届かない密室でこのようなことが行われている。

平成213月 議会定例会後の全員協議会で

「おら、、CHANT]に謝罪文を載せることになっていた、ある人がそれは検閲違法であるから掲載することはないと言っていたが、一応提出する、ところがこれではだめという、最低の義務を果たそうとしたが常識は通じない。議長は中立を放棄している。

無法には法律でと法的根拠を書面にて示すように求めた。井出議員が侮蔑の笑いで圧力をかけN議員が「その紙一枚が税金の無駄遣い」と無駄遣いに言及している私に嫌味を言う。違法を認識していて書面に出来ないと言うことのようだ。


6月、定例議会後

事前に謝罪文掲載と私事に関しては法的根拠を文書で示すことなど5項目を申し入れておいた。謝罪掲載の法的根拠を示されなかったので、8月初め、NO11を発行する。


95日、敬老会後の全員協議会

謝罪文掲載なしの「おら、、」の発行を追及される。更に「おら、、NO11」の読み上げを議長命令と強要される。明らかな検閲と、個人活動への介入、活動妨害である。


9月議会定例会

機関紙に謝罪文を掲載しなかったという理由で、議職勧告が決議されそれに対し謝罪を求められたが拒否する。するとまたもや全議員が退席し延会となる。



同じく謝罪を要求してくる、拒否又全議員が退席延会となる。I議員が謝罪(文)は相手が納得してこそのものという。村長も演壇から降りてきてI議員と同じ事を言う。


3日目 914

懲罰が決議される。その理由はまたもや本会議が外で言ったことを歪曲したもの、退席全議員の名誉をかけた苦肉の策、もはや常識は通じない議会に何も期待するものも無く、弁明をしてもそれは無意味と判断、審議再開に向け、3日間の出席停止を受け入れる。

(会期中行政視察旅行で休会、私は政策上の反対で旅行は不参加)


925

議長から3日間出席停止にの懲罰に対し謝罪の要求してくる、拒否する。そのため行政説明を中止全員協議会。井出議員より一般質問の説明責任を果たしていないと又振り出しに戻り説明をする。謝罪を要求するなら、その法的根拠を示すように求める。

何とこれが法的根拠と、懲罰4回の決議文と、行政視察に欠席して、その間何を勉強したかと2項目を公文書にて提示され回答を求められた。

双方とも回答しなければならない法的根拠がないと回答する。

更に「村長からの機関紙記事自粛願い[12月3日]」を利用しようとしたようだ。


無駄な視察旅行に欠席したことは政策信条によるもの。議員として立派なことではないだろうか。欠席中の行動を何故問われるのか。無駄な視察のほうが問われるのではないか。



9月28日  本議会後

回答について、N議員は次は100条委員会だと脅しをかけてくる。前にS議員の「いつでも辞めさせることができる」と言ったことと同様人権侵害の疑いがある


これらの懲罰の新聞記事により川内議会の異常さに他市議員から抗議文が届く。議会と役場にも送った?

5日  経政東北「二度辞職勧告を受けた、、」の記事、11月の機関紙にして発行


12月議会定例、、100条委員会無し


平成22年3月 議会定例会

本議会開始にあたり「憲法、地方自治法尊守義務違反のまま謝罪も訂正も無い議会で表決は不参加]を表明する。却下され、議会後説明を求められる。坪井議員の「それなら訴えればいい」の言葉。議長からは何もなかった。私が行動の準備しているとは夢にも思ってないよう、そのままやり過ごせると思っているようだ。

このような議会に対し行政は


20年6月の一般質問[人件費削減の為の職員定数減]に対して村長の答弁は「行政改革推進委員会」「行政改革推進本部」「事務機構改善委員会]を持って適正化を策定したそうだ。

身内(行政事務)の改革を身内出来る筈がない、それが証拠に25年までに60名にするというのは何もせずとも可能でありそれで改革改善とは言えない市そのための委員会、本部も実態のないものではないか。全国平均定数は人口1,000人につき89人なのである。



       2021  7/19


おばさん議員奮闘記(26) 未来の形「住民参加型自治体」

2021-07-15 22:53:00 | おばさん議員奮闘記
先頃の新潟県泉田元知事告発の件に思う事あり
「おばさん議員奮闘記から地方自治体の議会、
選挙のあり方の参考になるかと再掲します。
全国的に、議会議員選挙は、国政、地方ともに
選挙違反は慣習化され、公にされなければ違反行為と認識されないのです。
そうです、、、分からなければ良いと言う感覚。

12/29

「悪魔が世界を統治している」中で議会は必要でしょうか?


******

我が村の議会は、もはや正常な最高意思決定機関の体をなしていない。
なぜそのような議会が存在するのか、地方議会が大なり小なり、似たようなものであるなら、議会そのものの存在意義を改めて問うべきではないだろうか
かって、多数決議会は理想的なあり方と信じられていたようだが、
近年、少数の正しい意見が抹殺されていくことに疑問が持たれつつある。
国民や住民全体のために骨身を削る真の為政者による多数決議会なら、
文句を言う方がおかしいが、その質の低下した、と言うより、利権、既得権益獲得のための、党派の権力争いのための多数決議会は、勢い「多数の横暴」となってゆく。

村の選挙
「多数の横暴」その弊害は、まず選挙に現れる。
わが村の議会議員選挙では、立候補者が自分の取り組むべき政策信条、
主義主張を掲げて演説したり、選挙カーで回ることをしない。
つまり、議員としての理念政策信条を持っていないと言うことである。
これでは真剣に考える有権者は、
何を基準にして候補者を選べばいいのかわからない。
村外からの移住者、真面目に選ぼうとする有権者は、
非常に疑問を感じ困るところである。
村特有の選挙の実態は、その候補者が自分にどんな恩恵を与えてくれるかである。

特定の組織団体や、業者等が、立候補者と手を組み、
利権獲得のためその人を選ぶ。
個人の場合には、主に自分の子供を職員にしてほしいと言うおねだりになる。
そこに普通の主婦なども関わっていることにこの村の腐敗の深さが読み取れる。
選挙違反に巻き込まれたら、その事実は簡単に消せない。
否応なしに派閥に取り込まれ、やがて居心地が良くなり同化していく。
共犯と言う罪の意識がなくなり、犯罪に加担していく。
多数決議会の第一の弊害、それは利権がらみで住民を選挙違反に巻き込み、
住民の中に対立構造を作り、和と輪を崩壊させていくことにある。


「議会改革」の道筋
早くも一期の任期が終わりに近づき、公約の成果を報告すべき時期になった。
まず、他議員の間違いに同調せず、取り込みの誘惑に負けず、
圧力に屈することなく、妥協せず、自分が正しいと思うことを主張してきた。
結果的に議員の行き過ぎた私への圧力が、墓穴を掘ることになる。
私の公約「議会改革」の道筋につながった。すなわち議会を廃止し住民参加型議会を目指す、と言う道が見えてきた事は皮肉である。
とは言え多数決議会である以上、一人会派では政策立案の機会は無い。
従って議員自らが改めようとしない限り、「税金の無駄遣い」の是正は無理と分かり行政の自浄を求め、一般質問をしたが、
執行部側も全くその意思がないことを悟った。
さらに住民の7、8割が行政議会と何らかの利害関係にあり、
特定議員を支持し、議会の存続を許している。
私はこの間4回もの不当懲罰をかけられたが、
それはそのような背景があるからである。

ともかく、この村の体質で自浄を求める事は無理と悟り、
国の問題として取り上げるべきと思ってきた。
それには信頼できる国会議員の力を借りる必要があると考えていたところ
偶然が重なり国会議員のNさんの集会に参加することになった。
Nさんは私の置かれた立場を理解してくださり色々とアドバイスをしてくださった、

その頃懲罰騒動があり、他市の元議員さんが議会のやっている事はおかしい、
と村に抗議し私を擁護してくれた。
同時期、「政経東北」さんの取材を受け、私の考えを記事にしてもらった。
何より、私の理念政策信条を理解してもらえたことが、心強かった。
それを読んだ村民の中に、私への理解者が増え、
近隣の議会にも少なからず、影響を与えたようだった。
私自身としては理解者、支持者の後押しを感じ、
さらに公約実現に向かえると言う確信を持った。
地方自治体の問題は、国、国民の問題でもある。
自分の自治体だけが良ければいいという問題では無い。
また、多数決議会は民主主義と言う迷信に囚われ、
議員任せにしてきた責任もあると思う。
「正義システム」「多数決議会」「町村の議会廃止」
など全国民が改めて真剣に考えていくべき課題と言えるのではないだろうか。


        *******政経東北 2010  10月より

                   2021 7/15



おばさん議員奮闘記 えっ、お巡りさんが、家に、、。

2021-07-11 23:04:00 | おばさん議員奮闘記
出る杭は打たれる。
殆どの人は幼少期から少年期、純粋な心を持ち何が正しいか間違いか、学んで成長する。

大人になれば、その社会に順応する必要があるし生き方としては多少横道に外れても、気付けば修正しながら正しい道を生きる努力はする。

何が正しいか、
日常の中で礼節、道徳を踏み行って、次世代に良い影響を残していくのが大人の務めである。

が、
人の心には、魔が、存在する。
その魔は理性で抑制できるが、集団になると特に暴走してしまう。

一連の騒動が続いた一期なのなかで、こんなことまで、と、呆れるというかその幼稚性に驚いた一件がある。

地元出身国会議員を訪問の時、昼食がアルコール付きの軽い立食、進められるままにビールをコップ半分ほど、、。元来アルコール類は嫌いじゃないし、特に喉を潤したい時ビールの一口の美味しさは、たまらない。その感覚で頂いて、その後帰途に。

夕方なり、乗り換えの地元近くの食堂で夕食となった。
同席を勧められたが断り、離れたところで一人で食べることに、、。
解散場所に到着、我が家まで車で帰る。

我が家に到着して30分ほどすると、交番の警察官が、、。
地元で顔馴染みでもあるし何かな、と。

すると、
知らせが入ったので、アルコール検査をしたい、という。
議員から連絡入ったんですか?と一応聞く。誰からというのは関係ないです、、
若い、幼い子を持つ警官、いつもの穏やかな口調とは打って変わったその対応に、当然といえば当然だが、冷徹さが漂う。この変貌に、心が冷えてくるのを感じる。

マニュアルがあるのだろう、自分に非の無いように気を遣っていることがわかる。家に到着するまでの食事、アルコール摂取について尋問される。あの半分ビールから6時間は経っている、そのことを伝えた時、ガッカリしたのが伝わって来た。

そうか、手柄が欲しいのだから、ここは逮捕になった方が警官は喜ぶのだ。更に好感度の高かったイメージが全く反対になった。、、悲しい、、。

10分ほどしてもう一人若い警察官、そこで、アルコール度を調べることに、、。。当然ゼロ値。

「立場を弁えて、絶対飲まないようにしないと、子供さんが可哀想でしょう」と、、ゼロ値の残念さをせめてものプライドでカバーしようとする。

こちとらは、弁解の余地はなく、素直に分かりました、と。
二人が帰った後、議員達のこの仕打ちに頭に血が上りそうになったが、
あの時、もっと飲んでいたら、、、夕食時、誘われるままに飲んでいたら、、と考えると冷や汗ものではあった。

次の日、みんなの前に顔を出すと
鳩が豆鉄砲喰らったような顔して押し黙っている。
吹き出しそうだったが、
この非情な議員のすることに、更に警戒するようになった。
所詮警官は職に忠実、そこに温かい心を求めるのは無理なこと。
影に隠れて鼠取りしている姿、
バイクのおばさんの反則切符きってる姿、
若い純な青年がいつかは体制に組み込まれ
理不尽な思いを持ちながらもいつかは
染まっていくのだろう。

身内に警官職の者がいない事は、本当幸いだと、今は思う。


一人だと常識的でいい大人であっても
体制に組まれていれば、抑えられていた魔の心は
それに染まっていくのである。

一連の議会騒動で、先頭に立って私を積極的に貶めようとしていた人は実は、人の良い、夫であり父親である。
行き合えば悪いことをした自覚があるような、へつらってくるような何とも言えない弱い心のありようが伝わってくる。

。全国、地方議会がこのような人たちの集まりであるとしたら、議会は不要だと思う。
しかし、それは政府から地方までそのシステムが変わらなければ、更には住民の意識の向上、精神性の向上もなければ難しい。

世界の転換期を迎えているが、ここを乗り越えれば次世代は新たなシステムに変われるのでは無いだろうか。
その希望はある、、と感じている。

何故なら、いま宇宙レベルの転換期を迎えているから、、。


          2021 7/11


        
















おばさん議員奮闘記(24)  住民総会型議会とは、、実現可能か?

2021-07-05 23:03:00 | おばさん議員奮闘記

住民集会型議会とは、

地方自治法89条では普通地方公共団体に議会を置く、と定めている。
町村は条例で第89条の規定にもかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設ける事ができる、94条前条の規定による町村総会に関しては、町村の議会に関する規定を準用する(95条)この法文を読めば分かるように都道府県や市では認められていないが、町村に限っては議会を置かず、有権者による町村総会で代用出来る、
とある。
西山村議が提唱した「住民集会型議会」構想は「超村議会」の一つの具体例と言えよう。すなわち現在の議会を廃止した上で、外部監査を置き、住民グループなどで組織する「住民集会型議会」で予算執行案などを、議論し、決定していく。
因みに、議会を置かず町村総会で代用していた例があるかどうか、総務省に問い合わせると、「現在はないが過去には2例ほどある」とのこと。神奈川県芦ノ湯村(合併して現在は箱根町)が、昭和22年まで、東京都宇津木村(同八丈町)が、昭和33年まで、それぞれ町村総会を設けていたのだという。
更にインターネット、ウィキペディアによると、長野県王滝村が財政危機を理由に、平成18年に、町村総会設置の動きがあったが、議会で否決されたため実現に至らなかった、と、言う記述がある。
ともかく制度上は町村に限って議会を廃止する事ができるのである。ただ、それを実現するには議会の可決が必要となり、「権益」と化している議会(議員)が自らその道を選ぶとは思えないから、かなり難しいだろう。それは王滝村の例を見れば明らか。しかし、西山村議がそれを承知でしかも現役議員でありながら、現在の議会を廃止するための勉強、運動を今後の議員活動の柱にしたいという。その意思の表れが本誌の寄稿というわけである。
本誌は県内の自治体の個々の各種事例を取り上げる中で、幾度となく地方議会を「無駄飯食い集団」と評してきた。もちろん、そうでない議会もあるが、いずれにしても「地方議会の報酬はそれだけでは生活できないくらいの金額が好ましい」というのが基本的な考えである。と、いうのは、議員専業だと落選したら「職」を失うことになり、その場合、生活に窮してしまうから、結果として次の選挙に不利になら内容、敵を作らないよう、当たり障りのない活動に終始する恐れがるからだ。

議会を廃止して住民総会を設置するというのは、そこから更に進化した形である。
王滝村のように、財政危機だからという後ろ向きの理由ではなく「自分たちが住む街の予算の使い道などを自分たちで審議する」という前向きな理由で実現に至れば、それが本当の住民自治となる。そういう意味では、同制度について議論してみる価値は大いにあるだろう。更にこうした議論が広がれば、現職議員は危機感を抱き、議会のあり方を、もう一度考え直すはずである。それだけでも大きな成果だ。
いずれにしても、地方議会のあり方を再度見詰め直す一つのきっかけになればと思う。

             政経東北 2010 4月号

おばさん議員奮闘記 (23) 地方議会は不要、これからは住民総会型議会です。

2021-06-30 23:39:00 | おばさん議員奮闘記
既読の方も国政選挙の参考に、。

*******政経東北2010 4月、記事転載

二度目の村議選立候補は村長選挙から4年目を迎えていた。村長交代したのである意味期待を持って立候補した。
中立の立場を変えなかったが、前回に続いてBさんが、ぜひ応援したいと言ってきた。最初は断ったが、「今回は俺も同じ考えで、是非頑張ってほしいからと言う。
何よりも政策信条を理解してくれていると言うのでお願いすることにした。
しかし、だんだん疑問を感じてきた。思いもよらなかったことだが選挙違反者に囲まれることになった。ひょっとしたら私を落とそうとする罠かもしれない、と思った。
実際選挙違反の誤解を受けるようなこともあった。
(追記、当選が決まったとき、Bさんが派閥ボスのところに顔を出すように、という。そんな約束もしておらず、何故に?と、思ったが後の祭りだった。私は村長派であると、自他ともに認識を促しておくということなのだろう。そして、投票日、前夜ボスに家に電話を入れるように、とR氏に言われた事を思い出し、そのように組織が動いていた事を知った。
後になって思うのは当選はしたものの、それは私を取り込むために票が入ったからで本当に私の考えを理解して支持してくれた人は少なかったのかもしれない。信頼していた人でさえ村長が変わったとしても村は良くならない、無駄な努力はするな」といった。
私は派閥の拡大に利用されたことを確信した。
中立を保つのは難しい事を知ったが、政策信条を貫く事は別である。だがそれは通用しなかった。次第に、裏切り者的に受け取られていった。

選挙違反、採用工作、議会と行政の馴れ合い、政権派優遇、是正を主張する者への圧力をかけるイジメ議会、、、、教育重視政策を掲げる村の実態がこの有様である。
村長が変わっても何も変わらない。

派閥対立は利権争いの道具である。
いつの頃からか政権を取ったらその政権を応援していたものが優遇されるのは当然」とされてきた事でもわかる。本来それを是正するのが議会の役割だが、その機能を果たしていないばかりか、行政と馴れ合い、一緒になって利権政治を行なっている。
派閥対立はこれらをカモフラージュする為であり、あった方が都合が良いのである。ただこの実態を住民は知らない。それをいい事に、このような、村民の対立を煽り地域社会を悪化させる議会は不要と考える

12月議会ではその前の議会で予告されていた100条委員会の動きはなかった。一連のいじめはとりあえずなくなったわけだがそれは9月の騒動により、議会と役場に抗議文が寄せられたからであり、「政経東北」さんに記事が掲載されたからである。
これは少なくとも、議長、村長は川内村の議会は憲法、地方自治法遵守義務違反をしつつ、イジメ議会を続けてきたことを認識しているという事だ、にもかかわらずこの3月議会まで、何の訂正謝罪もなく問題に蓋をしたまま、ことを済まそうとした。

3月議会本会議議会で20年9月の一般質問の懲罰から、9月までの4度にわたる懲罰は、憲法地方自治法遵守義務違反によるもので無効です。このような議会は議会ではありません。審議はしますが表決は棄権しますと、発言した。

本来ならば、黙って議場を出れば良いのだが、執行部と議員に一連の懲罰は無効だと言うことを知らせたかった。また議会と馴れ合ってきた執行部側も、懲罰に加担した可能性があるから、イジメ議会であることを認識して欲しかったのである。
昨年10月、村長は自身のブログで実名入りで私を批判する内容の記事を書いている。と、言う事は懲罰が正当なものと認識していたことになる。あいにくその日は(表決棄権を宣言した日)緊急入院により村長は欠席だった(分が悪くなると入院雲隠れする国会議員がいるが、?)
議会終了後早速私は発言の真意を問われた。改めて議長に文書で提出するといったが例によって聞き入れられない。「表決棄権は議員職責の放棄で重大問題、懲罰動議と言う議員もいた。この期にに及んでまだ懲罰をかけたいらしい。

議長は一連の懲罰を認めてきた責任は重大であることを認識しているようだった。中通りのが元議員から抗議があったとされた時から私には腫れ物に触るような態度だったし、何とか事なきを得たいと言うのを強く感じた。

議員の要求を受け議題に帰ってきたものを読み上げた。全議員とも反論しなかったが、それについての議長の対処はなかった。ある議員が「それならば訴えればいいんだ」と言った。
それで終わりになった。

議会は不要
1、単なる形式的なものでしかない、多くの議案は賛成で通ってきた。一応の質疑はあるが、討論はほとんどなされておらず、反対なら反対と言うだけで良いとのことで、後はすべて異議なしで終わり。以前、委員会の報告議案に反対討論したら、報告議案に反対はできないと言われた。改めて地方自治法で確認したら反対できることがわかったし、4、5期の議員がそれを、
知らず反対できない、などと言うのだから問題だ。

2、個々の活動の主義主張の場となっていない。

3行政との馴れ合いが過ぎる。
会期中に村長室に出入りする議員が多く、議会と行政に一定のケジメがあることを知らない。会期中行政と接触し議案を有利にするための調整を行っている可能性あり。

4、行政と議会による村政の私物化が横行している。
指定管理者施設の責任者等は議員とその関係者等で秘められている。
 
5、特定支持者、特定支持団体の代表としての議員でしかない。
6、政治理念政策信条を発表していない、持っていないに等しい。
7、選挙違反を誘導、村民を違反者にする。
8、行政と公務員特権、既得権益を共有、監視の役目を放棄している。
9、行政議会とともに、憲法地方自治法を知らない。
これは致命的である。

このような議会は議会としての意味を持たない。
議員報酬は税金の無駄遣いである。
そこで私は住民総会型議会、を提案したい。


*******転載終了

地方分権と謳っておるとはいえ、地方自治体は、政府の影響を大きく受けている。一体と言っていいかもしれない。
例えば、自分の選挙区の国会議員とは切っても切れない縁がある。地方自治体は地元出身の国会議員に陳情する。それに応えて選挙区のために動く。その関係は次期の当選に繋ぐためでもある。

ある時、地元出身の国会議員を訪問する事になった。一通り挨拶をする。ある国会議員は農作物被害を減らすためイノシシ駆除に対し、一頭につき補助金を出すことを国会に取り付けたので大いに利用して欲しい、と言った。
補助金については以前に決まっていたが、自分が取り付けたその事を知らずにいた我が村の議員にとても残念そうだった。

この様子から、利権のしがらみは全国何処も切る事ができない、と感じ、国会議員が国全体を考えて国政を行なっているとは考えにくくなった。

今にして思えば、このようなことから国の弱体化を狙っていた組織の謀略のなかにあったのだとわかってきた。

利権、それは支配層の支配するための、大きな存在なのだ。
今、日本が彼の国の支配下に落ちて行く危機にある事を知る必要がある。


          2021   7/1