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光の世界へようこそ❣️

悪魔の統治してきた世界から真の自由解放へ歴史の狭間で
目覚めと霊性の向上、そして光の中へ

おばさん議員奮闘記、私は、なぜ、議員を目指したか??

2021-06-27 22:07:00 | おばさん議員奮闘記
西山村議が明かす村の実態

「普通のお母さんが良い」平成15年に初めて議会議員に立候補することを打ち明けたときの娘の言葉である。
無理もなかった父親が亡くなってまだ2ヶ月も経っておらず、
娘としては母親がさらに多忙になっていくことに不安があったのかもしれない。
しかし、子供の未来を真剣に考えれば考えるほど
この川内村を変えなくてはならないと言う思いが強くなっていった。
母親としては失格かもしれないが、子供たちを思えばこの立候補。
娘もいつかそんな私の気持ちが理解できる時が来ると信じて、
立候補することにした。

初挑戦は落選だったが、次は最下位ながら当選を果たした。
私がなぜそれまでそれほどにまで、議員になるなろうとしたのか?
それは平成6年に川内村にUターンした時まで話は遡る。

その頃、村はゴルフ場建設の話が持ち上がっていて、
環境保全推進の観点から、反対派の人たちを応援していた。
一方両親は、当時の村長の支持者で、建設賛成派だったが、
ゴルフ場建設の説明や、推進の話を何も考えなしに受け入れていたようだ。
ある日、両親と賛成派の仲間との会話の中に、
反対派を懲らしめる」との言葉を聞いた。
まさか聞き間違いだろうと思ったが、そうではなかった。
ゴルフ場建設反対派の人たちが、村八分にされていることがわかった。
(行政区を更に分けた、一忌組合で、反対派二、三軒残し、賛成派は脱会)
何でも役場職員OBが先導したとの話で、今時こんな事はあるとは…、
反対派の努力のおかげでゴルフ場建設には至らなかったが、
本当の中身は派閥対立による権力争いだったことがわかった。

派閥対立はそのまま住民の対立である。
同派閥以外はみんな敵と言う感じだ。
両親もそんな村社会にとっぷりと浸かってきたようで、
理解に苦しむ話が多かった。

行動は何でも親の許可を得てからにすること、
反対派閥の〇〇さんとは話をするな、
選挙では〇〇さんを応援する事、
ある時なぜ、そんなに現職村長を応援するのか」と質問。
「(私たちの)就職を世話してもらえるから、、」これには唖然。
では反対派の人たちはどうなるのか?との問いには答えなかった。

その言葉通り、夫の休職中、村長の親族のAさんが家に来て、
「役場が開く迄(欠員が出る迄)〇〇建設で働いてはどうか」と言う。

なぜこの人が役場の人事の事までわかるのか疑問だったが、
とりあえずと言うことで夫は現場見学に連れていかれた。
帰ってきた夫はなんとなく変だ、と、その話を断った。
一体何が変なのか、これは後々になってわかってきた。
その鉄塔工事にはかなり大勢の関係者が入りそれを取り仕切っていたのは、
当時の村長のブレーンであるAさんで、
村長サイドからの情報でこの事業に関わっていた。
そこで働く人は村長派で占められていた。
Aさんが夫の就職の世話をしようとしたのは、翌年に、
Aさんの夫が議員選挙を控えていたからで、
私たちの応援を得たいがためであったことがわかった。
夫が変だと言ったのはその裏の不透明さを敏感に感じていたからだ。

その後、広報でイワナの里の職員募集のお知らせがあり、
両親にどんなものかを聞いてみた。
すると母は、〇〇さんに聞いてみると言う。
帰ってきた母は決まっているようだが一応面接を受けてみてはと言われたという。
後でわかったが公募は形だけで裏では既に決まっているとのこと、
面接を受けた夫は格好のカモフラージュ役だったことになる。

村長選挙を3カ月後に控えた頃、
母が「あっち(反対派)からお金なんかもらうなよ」と言った。
「えっ川内でそんなことあるの」と言うと母はうろたえた。
それから2ヶ月ほどして、今まで家に来たことのない人が続けてやってきた。

そして勝手に上がって、茶封筒を置いていったのである。
その現実にお先真っ暗のどん底に突き落とされたような感覚がした。
封筒の中には50,000円が入っていた。
選挙買収は別の世界の出来事と思っていたし、
まして自分に起こるとは夢想だにできなかった。
この現実に様々な思いが交差した。

まず両親のことだ。
村長派として大きく関わってきただけに、買収のことを告発したら、
反逆と受け取られ敵視され、いじめに会うことになる。
家族として村八分にされることも覚悟しなければならない。
だが、最初から答えは決まっていた。
親が犯罪を認識しながらそれを犯す、と言う事は子供の尊厳を否定することであり、
子供に対しこれほどの裏切りはない、と、
私たち夫婦は両親の立場を守ることより、
子供に恥ずかしくない生き方をすると言う選択をした。

選挙買収をする方が、利権、既得権益の権力保持に躍起になっているが、
される方の身になれば、暗い闇のどん底に突き落とされるに等しい。
平気で犯罪に巻き込む、私はその対象にされたことが悔しく、
買収でなびくと思われていた事にプライドも誇りも傷つけられた。

夫は仕事の関係で2 、3日家を開けていたが帰ってきて、
すぐにお金を返しに行ってくれた。
間髪入れず村長と議員2名が自宅に来て、
〇〇議員が「俺のことを誰だか知ってか」と言った。
その時は何を言っているのか分からなかったが、
しばらくしてそれは脅しだとわかった。

買収金を返したことで、村長反対派からは画期的な事と、賞賛されたが、
村長派者には敵視された。
母は、村長派の中で婦人会副会長をしていたが、
それだけ風当たりも強かったようだ。
当時の課長に婦人会副会長を止めてもらう。と、
言われたりかなり辛そうではあったが、
私は自身が応援してきた村長派の実態をもっとよく知り、
目を覚ましてほしいと言う気持ちだった。

選挙買収は村の裏公認となっており、
普通の主婦も何のためらいもなく関わっていることがわかった。
この年の選挙では両派から10人近くが逮捕された。
その時の村長のコメントが全く無責任なものであったため、
買収の件を告発した。
無法許すわけにはいかない、と言う思いと、当事者は反省してもらいたい、
村民にはきちんとした善悪の判断を促したい
との思いで、捜査には積極的に協力した。

何回かの事情聴取の中で村のさらなる無法状態を知った。
買収に関わるある人物がどうしてもわからなかった。
ある日検察から買収に関わったのはこの人かと確認を求められたが、
その時に検察から示されたのは別人で替え玉であることが分かった。
国家機関を欺き平然とているわが村の執行機関のレベルの低さに
情けない思いがした。

しばらくして、Aさんが逮捕された。
しかし関係者は反省の色もなく、
逆にAさんは違反者全員の罪を被って臭い飯を食ってくれた。と、
むしろ英雄視されたと言う。(執行猶予付き)この間に1人の自殺者が出ている。
故郷のあまりの自堕落が信じられなかった。
この様な村で我が子に人生を送らせるわけにはいかない。

いつか普通のごく当たり前の社会を、と、この経験によって、
村の政治のあり方に向けるようになった、ということである。


おばさん議員奮闘記(22) 記者さんコメント素敵です。意味あり再投稿です。

2021-06-24 19:39:00 | おばさん議員奮闘記
発端は西山議員の思想改革

実はこの問題は村外にも波紋を広げている。
9月中旬、県中地区の男性からこんな投稿が寄せられた。
『双葉郡川内村議会で議員辞職勧告決議案が可決された。理由は議員個人が発行する機関紙を議会が発行前に審査する約束だったが、それを守らなかったため、と新聞報道にあった。しかし、議会が議員個人の機関紙を審査する事は、憲法第21条「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲はこれをしてはならない」といった基本的人権の保障を逸脱する。憲法遵守義務をわきまえない議会の職権乱用の違法行為である。地方議員の体験のあった作家、杉浦民平さん(故人)は、日常生活では真面目で常識を持った人が大部分を占める地方議員が、役所、特に議長に入ると、一般住民と別の世界を形作ってしまう。そのくせ、ほとんど議員が日本国憲法も地方自治法も知らないし、財政に対する知識も意識もない。しかも住民の利益を考えることを忘れて、やたらと与党になりたがるし、権力の一端に参与したことを誇る、、、、」と書いている。
上記のように市民派と言われる新人議員と、女性議員を与党と言われる議員が集団で『いじめ』る、議会が市町村を問わず、全国的にかなりの数がある。
地方分権の受け皿である地方議会がこのようなレベルの低い議会であれば、
地方分権の推進がなかなか進まないのもある程度理解できるでしょう』こうして第三者の見解を聞いてみると、議会に非があると考えている人が多いことがわかる。
奇しくも他地域の議員県中地区在住の投稿者はともに『いじめ』と言う言葉を使っている。

西山議員は川内村出身、双葉高校を卒業後、東京に出て勤務し、その後は東京や岐阜などで生活していたと言う。夫の出身は県内ではないが、平成6年に西山議員の故郷である川内村にUターンしてきた。そして外の空気を吸ってきた西山議員にとって、
今の川内村にはとても現代の出来事と思えない、と言うようなことがままあるようだ。「過去には村長選に絡む買収騒動に巻き込まれたこともあるし、選挙の報復として建設会社の指名外しが行われ訴訟に発展、その時はオンブズマン訴訟の世話役を任されたなかで、身の回りで起きている不可解なこと、黒い噂などに触れてきたのです」そう語る西山議員が初めて村議選に出馬したのは平成15年4月、この時は最下位落選だった2度目の挑戦となった19年4月には定数12人に対し13名立候補119票で初当選を果たした西山議員が、信条としているのは議会改革と税金の無駄遣いをなくす、ことと言う。その一環としてくだんの機関紙では「議員報酬は、一律月50,000円、
期末手当なし、活動経費は領収書添付で支給、議員としての活動は報告制にする。
(その成果が村民に認められれば少々のボーナスを)と、提案している。同じく、機関紙では自身の議員報酬、期末手当の手取り総額を示し、どんな活動にどのくらい使ったかを明確にしている。さらに同議会では積み立てと称して、毎月議員報酬から20,000円が引かれており、西山議員によると、これは祝い事やイベント、葬儀等の際に議会として出す祝儀や香典等のための慶弔費としてして徴収されている、と言う。
ただ、「実態は視察研修旅行のための積み立てとなっており無駄だから本当に慶弔費として徴収するのなら月5000円程度で充分。と、改定を訴えたが、受け入れられなかった経緯がある。また視察そのものについても議員になって最初の年は参加したが単なる物見遊山だったとして、2年目からは参加していないと言う。
西山議員のこうした言動が同僚議員から煙たがられているのは間違いない。
今回の騒動はこれが根本にあるのだろう。
最も傍目にはそれが『いじめ』に見える事は、前述した第三者が指摘している。


議会中に視察旅行
ところで、先に視察旅行について話題が及んだので、それについて1つ指摘しておこう。同議会は9月議会会期中の9月16日から四国に視察に出かけたのだと言う。
何でもバイオマス資源を推進しているところの視察なんだとか。
本来は9月議会が終わってから視察に行く予定だったようだが、議会騒動があったため会期を延長した結果会期中の視察となった。全国的に議員の視察旅行に批判が集まる中、議会終了直後(実際は会期中だったが)に視察に行くとは、単なる『打ち上げ旅行』にしか見えないが、、、、。

そんな経緯もあって、本誌は審議を拒否した議員から詳しい話を聞くことができなかった。一方議長には議会事務局を通して、議会を円滑に進めると言う立場から、今回の騒動についての見解を聞きたいとアポイントをお願いしたが、これについても返答は寄せられていない。ついでだから言うが、今回の視察は意義が乏しいと断言できる。以前県外のある自治体に取材に行ったことがある。そこは全国各地から視察が訪れる先進的な行政運営をしているところだが、そこの担当者は、本誌の取材にこう語った。ウチでは議員の視察は受け付けていない。なぜなら、議員がウチの取り組みを知ったところで、帰って自身の自治体に反映できるわけでは無いから。
議会ではなく執行部が本気でウチの取り組みを参考にしたいと言うなら喜んで紹介するが、単なる物見遊山ならお断りです」議会はあくまでもチェック機関であり、執行部ではない。そこを基本的に考えると、例えば、議会改革の先進地を視察するのであれば効果もあろうが、そうでなければ意味は乏しい。
今回の視察費用については未調査だが、もし、一部でも公費が入っているのなら、村に目に見える効果をもたらさなければならない。それができないなら、そんな無駄な視察は今すぐやめるべきだ。話がそれたが、こうした指摘をしたのは同議会の『レベル』を示すため。今回の「延会騒動」と言い「会期中の旅行」(本来は打ち上げ旅行になるはずだった)と言い、そんな議会ではとても村の発展は望めない。

*******  政経東北、2009 10月号 転載

もう一つの裏事実、
この時の、視察旅行を無駄旅行と位置付けて、欠席したのですが、議会から、自分たちは研修旅行に行く、その研修に欠席したなら、その間、研修に見合う、何をしたのか報告せよ、と言う趣旨の通達が来ました。
私は、村民の負託を受けている議員であり、何故あなたたちの指示に従わなければならないのか、法的根拠を示してください。と回答、それで終了となりました。


                           2021 6/24

おばさん議員奮闘記 (3) メディアと議会

2021-06-21 22:12:00 | おばさん議員奮闘記
この一連の出来事が朝日新聞県版で、
08/12、09/9、09/12の三度掲載されました。
当時記者と少し会話を交わしましたが、何故か
「議会を混乱させるから謝った方がいい」と、言う。
私は、新聞記者は社会問題を提起、より良い方向に向かう為の記事を書く人たち、と、捉えていましたからこのアドバイスには疑問を感じました。
後で振り返りこの新聞記者がなぜ、私に体制寄りのアドバイスしたのか、この記者の記事内容も、事情を知らない人から見れば、懲罰受けた私に非があるように受け取られるものでした。

当時、
私は、誰もが知っている国会議員のサポーターで、時々集会に参加していました。事情を話したところ絶対謝罪はしない事、とアドバイスを受けましたが、それを貫けば、さらに追い込まれることを考え妥協したのでした。
この時点で、正当な議会と思えなくなって、
まともに相手すれば貶められる、と感じたのです。

その頃、都市部の議員とも一緒に活動していましたが、
その人たちが言うには「穏便に上手くやる事」と、進歩派にしては意外な答え。
「いや違うでしょ、それじゃ程々の活動しかできない」と、、やはり村のと都市部の政治の違い、事情の受け止め方の違いがある事を知りました。

当時議員広報にも大々的に取り上げられていましたから、身に覚えのある人には戦々恐々だったに違いありません。ある人は電話で探りを入れています。議員の後ろに多くの支持者が控えています。

機関紙発行は、批判攻撃の的になる覚悟が必要でした。
子供にも微妙な影響を与えていましたが弱気ではさらに
精神面に深手を負うと強気を心掛けました。
全国的にこのように理不尽な立場に追い込まれた方は結構多いと思います。懲罰は殆ど冤罪に近いと思います。

今にして思えば、国会ー地方議会、議会が憲法、法律の下に正常に運営出来なくなる、何らかの謀略が進んでいたのかもしれません。
そのような背景を理解して読んでいただけば現在、
日本の置かれている何が問題かがわかって来ると思います。

引き続き、記事転載していきます。

******* 
謝罪文を載せずに機関紙発行

西山議員によると、その後3月に議長に謝罪文を出したが、
これではダメだと突っぱねられたと言う。
そもそもこの間の議会側の対応には不満があった西山議員。
そこでそっち議会側がそう出るならこちらもと、
強硬策に出ると考えたのだろう。
機関紙の審査を受けることや機関紙に謝罪文を載せることの
法的根拠を求めたが回答がなかった。
法的根拠がないなら機関誌審査や謝罪文掲載の要求に応じないとして、謝罪文を載せず次号の機関紙を発行した。

最初に問題となった機関紙は昨年11月7日発行のNo,10、一方次号のNo,11を発行したのは、今年7月23日だが西山議員自らが語ったように、そこには一連の騒動に対する謝罪文は掲載されていない。

当然、これを見た同僚議員らは約束が違う、と反発。
その直後の今年9月議会初日の、
9月10日に2度目の辞職勧告決議を可決し、
「西山議員とは一緒に審議できない」として、
一斉退席して延会となった。
同議会では、翌11日も、同様の事情で議員が退席、
2日続けて延会となったが、週明けの14日、
西山議員を三日間の出席停止の懲罰に科し、
議会を再開させた。

この件について朝日新聞県版にこんな記事が掲載されている。
[『出席停止の』懲罰は、昨年西山氏が発行する機関紙に同僚議員らを批判するような文章を載せたことをめぐって、
出すことになっていた謝罪文への言動が原因と言う。
「10日に議場で『謝罪は紙一枚にも取るに足らないこと』、
などの発言は、議会に対する冒涜」としていたZ議員らが提案。懲罰特別委員会で本人の弁明を聞き、結論を出した]  

西山議員によると、「3月に議長に謝罪文(機関紙に載せる予定だった文書の案)を出したところ、『こんな紙切れ1枚で』といった趣旨のことを言われたと言う。
それが新聞記事にあった議会での「紙一枚に取るに足らないこと」との発言につながったのだろう。
ともかく、一連の騒動の経過はおおよそ以上のようなもの。

こうした同議会の現場について、
ある程度事情を知っている郡内のある議員は、
「理由はどうであれ、住民の負託を受けた議員が審議を拒否すると言うのは、許されることではない」と述べた一方、

全く事情に通じていない他地域の議員に事情を話し、発端となった西山議員の一般質問の是非(『議会の品位を汚す』ものかどうか)審議拒否の妥当性について意見を求めると、
次のような見解を示した。

「先ず、一般質問の通告文書がどうなっていたかが問題です。それと同じ文章、すなわち西山議員の機関紙に乗せられていた文面を指す)で通告があったとすれば、それを議会事務所と議長が受理し、議運にも図られていると思うので、
それに基づき質問したことが、品位を、汚すと言うのは議会側が間違っていると思います。
そうではなく、例えば、『職員採用について』と言った程度の文面であったのに、
壇上ではそういった踏み込んだ発言をする場合もありますが、それでも大した問題では無いように思います。質問者に『執行部に対するひどい批判だ』と、指摘するくらいで良いのではないでしょうか。むしろ、前村長時代の身内採用に関わっている議員が、暴かれると困るので質問言った議員をいじめてるような印象を受けます。
そうなると、議会の自殺行為のような感じです。また『反省のない議員と一緒に審議できない』と言うのは筋違いも甚だしいと思います。これも議員間のいじめで、議会の自殺行為だと思います。


*******   政経東北 2009 10月号、

最後部分の新聞記事「紙一枚に取るに足らない」は事実を曲げたもの、特別懲罰委員会で本人の弁明とありますが、曲解を承諾した覚えはないのです。これは、機関紙の件の根拠について説明できないので矛先を変えてきたのでしょう。Z議員らと記者の関係はどのようなものか当時は未だわかっていませんでしたが、最近のメディアの問題から体制寄りの新聞といえば納得いきます。

最後の5、6行、まさに❗️


                    2021  6/21

おばさん議員奮闘記 本議会、そして打ち上げ

2021-06-02 15:44:00 | おばさん議員奮闘記
本議会と委員会

政治に関心を持つ方は議会傍聴もされて大体の流れはご存知かもしれないが、
本議会前に各委員会が議論して本会議になる、という事を私は知らなかった。
当然本議会が議論の場と思っていた。
委員会は地方自治体によって名称が多少変わるが
我が村は産業と総務、二つだった
委員会は本議会前に議案と予算配分が決められて、
それに対し意見疑問を呈する会でほぼ全員が賛成する。
反対したい人はここで反対するが、
丁々発止の議論展開にはならない。

何故なら、そんな反対議論はその他大勢の賛成で決められてしまうのが
ほとんどである。
反対もそれ程強力に反対するわけではなかった。
その事を知らず(笑)議論は本議会でするものと思っていた。
本議会になって何の議案か忘れたが、
反対討論に回った時、「委員会でそのような事言っていなかったのに、
どうしてここでいうのか、」という。
ここは議論の場だから当然反対意見は言う、と返した。
両討論は回数が決められていて、最後に採決となる。

そのことから、本議会とは議事録記入のためのセレモニーであると分かった。
何か特別な事を言うと議事録ストップがかかった。驚きである。
議会を侮辱、議会を混乱させた、、
というのは議事録記入がスムースにいかない時のこと、、
国会も酷いが地方も同じである。

ほんとに傍聴する必要があるのは各委員会なのである。

国会でも居眠りしている議員が居るが、
結局何もする事がないのである。
採決のための要員、、
選挙運動演説で何を言ってきたのかは色々だと思うが、

本気でやる気になって議会当選したとして
このような議会のあり方を目の当たりにし、
だんだん慣れてしまうのでは無いだろうか?

定例議会は日程はほぼ4、5日、年四回、
間に臨時議会、何かあれば臨時議会が開かれるが、
一度あったかどうか、、。

2年もすれば議会で緊張感は無い。我が家の延長のような感じ、
いねむりする長老議員もいる。

議員バッチは必ずする様に、、議会とは神聖な場所である、、とかは
議員としての存在感を示すためにある。そして、、、
なんと、議会終了日は打ち上げがあるのだった。
税金の無駄使いを無くす、を掲げている私としては欠席したい。が、
先ずはその内情を、と、参加を決める。
行けば、議会で答弁のために出席した役場課長クラス、村長、議員全員ズラリ、
なあんだ、これで議員の役職「行政の監視」は無理だわ〜、自ら無駄遣いしてるし、
私の心情を察したのか、今日は村長の出資で開催、モニョモニョ、、と誰かが弁解するともなく弁解。

途中退席する。
私退席でホッとした空気が流れるのがわかる。


議会改革、税金の無駄遣いを無くす、という政策信条はやはり必要なのだ、
と、静かに闘志を燃やす私だった。

                  2021  6/2










おばさん議員奮闘記  闘いの火蓋は切って落とされた。

2021-05-18 12:58:00 | おばさん議員奮闘記
兵庫県、斉藤知事の孤軍奮闘に過去の自分が重なり、過去記事再掲します。

 「議会改革」「税金の無駄遣いを無くす」を政策信条にあげ、
最下位ながら当選した。
しかし、この政策信条は行政議会にとって片腹痛し、
住民のみなさんもそれほど意識の中には無かったと思われる。

その政策信条を掲げる事ができたのはUターン者であったからである事が大きい。
逆に言えば、村住民のままで居たら、
この社会に染まり善悪の判断もできないようになっていたかも知れない。

人生とは、その節々の選択如何で運命が決まる。
帰郷しなければ、また違った人生だった。

目の前に繰り広げられる環境が運命を左右していく。
どのように生きて行くか、与えられた環境の中で
真偽、善悪、美醜をどのように捉え選んでいくかが
人生を決めて行くのだと思う。

議会はまさに悪魔の跳梁跋扈する世界と感じた。

常に政策信条を遂行するための信念と勇気を意識し続けた。
このことを忘れてしまえば巧妙な仕掛けに
知らず知らずのうちに乗ってしまう危うさは常に感じた。

病院組合議員の指名も、
議員仲間への誘導が目的であると思われた。
私の中で村議会、病院組合議会の改革という課題を突きつけられたが、
返上するわけにはいかない。
勇気を試される日々、
出来れば逃げたい(笑)

どのように切り出そうか、、

病院組合に出席すると手当がつく、これは疑問であった。
村の議員としての役職なのだから、手当は村議員の報酬とするのは当然、これは二重の報酬になると、住民感覚で捉えれば、それが普通のことである。
この報酬のことは村議員からは聞かされていなかった。
この報酬で黙らせようとしたのだろう。
お金はトラップにうまく利用されるのであった。
このマネトラに引っかかる私ではない、


村議会との二重報酬、この疑問を呈することにした。
恐らく、組合議員の全員はまさかの提言に戸惑ったと思う。
しかし、敵もさるもの、、
村議会とは別の、時間外の報酬であること、
この事案は村議会の判断に委ねる、、という事であった。

かくして、この提言はこのような結果になったが、
政策信条を踏み行なったという事実の積み重ねとなった。
勇気を持つということは大変なことである。
この勇気があるかないか、実行できるか出来ないか、運命をも左右する。
神は見てあり、、この勇気を神は見ている、真偽を問われている。
この意識が私を後押しした。

議会は全国的に同じ形態で、定例議会が6、9、12、3月に行われ、
臨時議会が国からの事案専決のためにあり、
そのほか村独自の議案提出があったときに行われる。
議会会期はほぼ5日〜一週間、時には10日、
本議会の前に予算委員会が行われる。
最初は、予算委員会が政策を決めるもの、
本議会前に決定するものということを理解していなかった。

他の議員や役場職員の私への懐柔を警戒していたこともあり殆どを自分で確認した。

馴れ合いに染まれば、事実が見えなくなる。

本議会では議論はしない事実を知った。
本議会は議会議事録にスムーズに記録することが目的であった。傍聴者はセレモニーに参加させられているだけである。

時折、「議会を侮辱」とか「議会を混乱させた」とかいうのは
議事録の記録に混乱を起こしてしまう事で、
不都合な部分が記録されるのを避けたいのである。
そのためしばしば、議事録記録を止められる。
国会でも同じ、で議論しようととすることが混乱とみなされて行く。

このような事実を知って敵陣の中で孤軍奮闘の
戦いの火蓋は切って落とされたのであった。


                   2021 5/18