
意外な話と思ったが、そうでもなさそうな、、。
福島、会津藩と山口、長州藩は明治維新最後の内戦戊辰戦争の戦い東軍と西軍の代表格、
その因縁は今でも続いているのでしょうか?
福島原発事故後、暫く経ってから、ネット上にその様な書き込みがあり
そんなことあるのでしょうか?
山口県は「上関原発立てさせない」運動で311前、2月の寒い時期、
海保とカヤック隊の熾烈な攻防がニュースになって印象に残っていました。
柳井市に住むカヤック隊の一人のH氏とネットで繋がって、
H氏の企画していた菅元総理の講演会にお誘いを頂きました。そして
その後、「上関原発建てさせない」関係の方、祝島の方と繋がらせていただき
25年の大集会にも呼んでいただくなど、私自身にも因縁の地となっていました。
それから、時を経て、マチュピチュ関連のボランティア先が
戊辰戦争の戦場地であった安達太良山の麓、

この地に於いて
果敢に戦った13、4歳の少年を含む二本松少年隊15名ほど戦死しています。
そして、その時の西軍長州藩の戦死者を弔うお寺にお墓がある言言います。
敵の兵士を祀っている事に武士道精神の思想に
その因縁は明治維新より以前から続くものではないかと感じ
長州藩と会津の因果関係を調べる事にしました。
お互いに未だに、怨念が横たわって仲違い中である事を知り、
以前に聞いた原発事故が長州藩との因縁の戦いが続いていると言う話と合致したようで、
だんだん興味が湧いてきました。
昨年、ボランティア関係講演会が山口でり、これはちょうど良い機会と、
以前、ご縁を頂いていたS、H両氏の経営する山小屋ランプの宿に顔を出しました。
(さくら紀行の編集長)
長州藩が明治維新時どのような役割を担っていたか、
少し踏み込んで調べたいと思い萩市に向かう事にしました。
この時はあまり時間が取れず、しかも休日とあって萩市に入る頃は大渋滞となり、
引き返す事になりました。
山小屋に戻りSH氏にその目的を明確にして、次回の訪問を約束して来ました。
帰宅後、k氏は白虎隊生き残り、飯沼氏の自叙伝をお持ちでそれが見つかったと言い、学者の方2名が大変関心を寄せて下さっっていると連絡がありました。
何か、神の力が動いているのでしょうか?
それとも両藩の御霊が何か求めているのでしょうか?
御霊の安寧のためにも、和解を早く実現させたいという想いが湧いてきます。
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会津鶴ヶ城、会津市内にあります。
大河ドラマ、八重のさくらでもお馴染みの綾瀬はるかさんの
撮影時のパネルとメッセージが展示してありました。


(三春、舞鶴城跡の桜です)
それから
白虎隊19名の自刃地、飯盛山に向かいます。
15、6歳の少年たちがどのような想いで散ったのだろうか、

白虎隊が見たと思う、お城の方角

資料館はそれぞれの内容が少々異なりますが、三箇所あります。
戊辰戦争について、それほどの情報を得たわけではありませんが、
調べるうち、一般社会には戊辰戦争、明治維新がかなり歪曲されて語られているのを感じます。
恩讐を超えて和解を、、との話は以前からあり、一部の人たちの交流は、存在するようです。
ただやはり会津の人たちには未だわだかまりを残している人も多く、スムーズにいっていないとか、、
歴史はさらに遡って行く予感がします。
2021 6/29
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