愛する生きものたちへ

スローライフを楽しむ。

川内村の村長さん。

2012年11月27日 | 日記

3・11以来 福島第一原発事故の影響で、周辺自治体から住民が一人もいなくなった。
(16万人が避難している)

信号機のある ごく普通の街並みに、人の姿が全く見えない。

 

そんな中 20キロ圏内の川内村の村長が、「絶対 村に人を戻す!」と宣言した。

(おいおい 大丈夫かい?)

 

原発事故による“全村避難からの帰還”は、世界でも初めての事例である。

彼は チェルノブイリまで足を運び、原発周辺の160以上の村が無人になり、
その村や町の名前が付いたモニュメントが両側に並ぶ 長~い道を歩いてきた。

そして 無人になった町々も。

 

帰国すると 一生懸命 黙々と 村の除染を始め出した。

無謀とも思えた試みだったが・・・徐々に 3000人の村民のうちお年寄や農家を中心に 

まず 500人が戻ってきてくれた。そして 750人。 今は1000人。

 

ここで 大きな問題が次々に表面化する。

第1は:どんどん溜まってくる 除染した土や物の置き場所が無い

国が 3年以内に仮置き場を作ると、宣言したが 候補地の大反対やら

コロコロ首相が代わったりで、全然 前に進まない。

(その間にも 汚染物を入れたブルーのコンテナ袋が 山積みされていく)

 

待ちきれない村長は 村の山奥に仮の置き場を作ろうとしたが、農家の大反対にあう。

「我々の農地の頭の上に そんな物を置かせない!水や土地がが汚れる!」と。

「絶対 大丈夫!なんて言葉は、使わないほうがいいんでないかい?村長様!」と 

ケンモホロロ。

 

玄関払いをされながら 村長は 1軒1軒何度も何度も 「皆のために!」と、お願いし続けた。

そして ようやく 嫌々ながら 仮置き場が出来る運びに。

 

第2は、帰ってきた人が働く場所がない。雇用問題。

唯一あったスーパーが、客がいなく 泣く泣く閉店に追い込まれてしまったが、

企業立地補助金で 全国に誘致をお願いして周り、

ようやく これから数社が乗り気になってくれた。 

 

以前 この村で 250人ほどが、原発関連で働いていたが、

一応 100人の雇用が確保できた。

 

第3は、若者たちや 小さな子供のいる若い夫婦が、被爆を恐れて帰りたがらない

村に戻った人たちも 定期的に20km離れた病院に行き、体内被爆の検査をしている。

若い世代の気持ちが 村から離れていく…

 

第4は、教育 医療の問題。 

病院は20km離れているし、せっかく再開した学校の児童数が 半分以下。

第5は、周りの沿岸自治体 浪江 大熊 富岡町が、

放射能の影響を考えて5年間帰らないことを決めた。 

陸の孤島で 孤軍奮闘状態になってしまう。

 

 この 『NHKスペシャル』を見ていて、政治の方向性に疑問が湧くと同時に

原発事故の処理をあやふやにして、また 一刻も早く原発を再起動しないと 日本はダメになる!

と喚いている御仁たちにあの場所で 暮らして欲しいと思わずにはいられなかった。

 


ありゃ。

2012年11月13日 | 日記

池のふちで 紅葉を撮っていたら、ヒョッコリ 横に飛んで来た。

肩に止まりそうな感じで、逃げもせず ず~っと側にいました。

ハト君も 人恋しいのかな・・・(エサが欲しいだけ・・・)^^;