嗚呼!京都

「嗚呼!東山」としてスタート。いまは、「京都」にかかわるできごと・見聞録をボチボチときろく。

東山のカラス(パート2)…とハト

2005-08-27 | Weblog
正面通に面する専定寺は、「烏寺」とも言われている。(周辺マップ
駒札によれば、
「熊谷山専定寺(せんじょうじ)と号し、浄土宗西山禅林寺派に属する。
寺伝によれば、昔、専定法師という旅僧がこの辺りの松の木の木陰で休んでいると、二羽の烏が梢にとまり、「今日は、蓮生坊(熊谷直実)の極楽往生の日である。我々もお見送りしようではないか。」と語り合い、南の空へ飛び立った。法師が不思議に思って蓮生坊の庵を訪ねたところ、烏が話していた同日(承元2年:1208年ー9月14日)同国に亡くなっていた。そこで法師は、ここを有縁の霊域と感じ、草庵を結んだのが当寺の起こりといわれている。
かつてはこの故事を伝えるため、境内の松の梢に土焼きの烏が置かれており、大仏(方広寺)の七不思議の一つに数えられていた。
 本堂に安置されている本尊阿弥陀如来座像は後白河法皇の念持寺と伝えられ、平安時代後期の作風を示し、また金箔による像内化粧を施してあるなど貴重なもので、京都市の文化財に指定されている」。


残念ながら、2度訪れたがいずれも入り口は閉じられていたので、外観写真だけ撮って帰ってきた。




今日の驚きは、この烏寺、意外なところで「鳩」とつながっていたこと。
なんと、鳩居堂寺町姉小路の筆墨商)の店主は熊谷直実の子孫だという。

幕末には、頼山陽頼三樹三郎父子や武市半平太(瑞山)など尊皇攘夷運動に関わった人々や漢学者、医家、書家、商人など様々な人々が鳩居堂に身を寄せ、当時の主人熊谷直恭、直孝父子などとともに時勢を語り合ったという。
(「明治維新と京都」(小林丈広著、臨川書店)より)
そして、直恭以来の社会奉仕や国事事業への貢献が認められ、8代目熊谷直行は、太政大臣三條実美公より、900年来伝承されてきた「宮中御用の合せ香」の秘方をすべて伝授されたという。(鳩居堂HPより)
昨日知った七卿落図に描かれていた三条実美ともつながっている!

点と点が線になるのは、嬉しい。



※関連情報
■平塚瓢斎関連情報
 ・絵図類の考察からみた江戸末期から室町後期における京都近郊の植生景観
 ・平塚瓢斎先生宅址
 ・華光寺(上京区)

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