嗚呼!京都

「嗚呼!東山」としてスタート。いまは、「京都」にかかわるできごと・見聞録をボチボチときろく。

つながるつながる。。。。

2005-08-28 | Weblog
今日、中京区にある河原町通沿いの丸善に行った。
まもなくの閉店(店舗閉鎖)を知らせるビラが貼ってあった。

「…明治5(1872)年、丸屋善吉により開店した丸善は…(中略)…現在の店舗では、お客様のニーズにあったサービスの提供が難しいことから10月をもって閉店することにいたしました。…」といった内容。

最近、河原町では書店の入れ替わりが激しい。私は混み混みのお店よりのんびりまったり本選び三昧できる人の少ない大型書店をより好むので、丸善も結構好きだった。

明治5(1872)年といえば、第1回京都博覧会が開催された年。
京都博覧会社が設立されて以降、昭和初頭まで続いたという。
そして、今日の驚きは、この京都博覧会社の設立及びその運営を担った中心人物のひとりが、熊谷直孝!そう、昨日、出てきた。鳩居堂の店主。

熊谷直恭・直孝父子は、尊攘派商人であったが、蘭学を知る町医者たちとの交流により開明性も持ち合わせていたことから、討幕派の外交政策が攘夷から開国に転換しても無理なく受け入れることができたのであろう。
天皇の東京行きによる京都の衰退からの経済復興と近代化の実現のために「博覧会」にも目をつけたのである。(「明治維新と京都」(小林丈広著、臨川書店)参考)



ところで、今日は、景観・まちづくりセンター京のまちづくり史セミナーの2回目「建都1100年の町衆の行動の本質に迫る」に参加。
明治期に京都が直面した2つの都市構造、「近代都市」と「歴史都市」がいかにまちづくりや景観に影響を与えてきたか、ということについてのお話。

ここでまた驚き!
そのセミナーで話題となった、槇村正直による「町組」の改正に積極的に協力したのが、これまた熊谷直孝なのである!!
直孝は自分の土地を小学校用地として提供するなどしたという(これが上京二十七番小学校、のちの柳池小)。

長い間、京都のまちを支えてきた「町組」は明治に様々な形で近代的再編を迫られた。
そしてその再編に少なからぬ役割を担ったのが、これら町組を支えてきた商人たちであったことが面白い。

新旧、内外の相剋が大きく時代を動かすエネルギーとなるのだっ!自分の中でもね。

ちなみに、この第1回京都博覧会の会場となったのは、東山の知恩院建仁寺、そして下京の西本願寺。はぁ~、東山にやっとこさつながった!

※関連情報
 ・丸善
 ・塩と博物館の関係
 ・日本最初の学校
 ・都をどり
 ・松岡正剛の千夜千冊‥明田鉄男「日本花街史」
 ・新京極ぶらり歩き

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