景観・まちづくりセンターのまちづくり史セミナー。今日は「郊外の開発はなぜ行われたか」というテーマで京都工芸繊維大学で近代建築史をご専門とされているという石田潤一郎教授のお話を聞くことができた。
「「田園調布に家が建つ」というギャグがあったけど、郊外がいいところっていうイメージはそんなに古い歴史があるわけではないんです」ということばに、京都と大阪の中間にあるいわゆるベッドタウンみたいなところで生まれ育った私の聞く耳はガッシリとつかまってしまった。
明治時代に数々の小説などに出てくる「郊外」というもののイメージはイマイチ、それが明治末期から昭和の初頭にかけての郊外の開発の変遷を辿ることにより、先述の「田園調布に…」を生むまでになってきたということを知る。
京都というところはまさに「保全・再生・創造」を繰り返してきたまちなんだなぁと再認識。
都心vs.郊外の評価は、時代やさまざまな要因で変わっているもんなんや、ということを再認識すると、今日のお題、「「魅力的な住宅地開発」として後世に評価されるには、どのような要件が必要だと考えますか」は、迷宮入りしてしまいそう。。。
ライフスタイルが変われば都心部と郊外に対する評価も変わるだろうし、行政施策などで評価を誘導することだって可能だろう。だけど、できるだけ多くの人が「魅力的な住宅って、まちってどんなんかな?」って考えたり意見を交わしたりするきっかけが増えれば、後に評価が変わろうとも、その時代やライフスタイルにとってベスト、ベターな住宅、まちを創り出すことができるんだろうな。
「都市居住のあり方に正解はない」「当時、都心から人が出て行ったところの理想像で郊外住宅の原点に戻る」というのも、「これからの京都のまちづくりを考えるきっかけになると思う」という石田先生のお言葉。
そう思う。
嗚呼!東山は!?
「「田園調布に家が建つ」というギャグがあったけど、郊外がいいところっていうイメージはそんなに古い歴史があるわけではないんです」ということばに、京都と大阪の中間にあるいわゆるベッドタウンみたいなところで生まれ育った私の聞く耳はガッシリとつかまってしまった。
明治時代に数々の小説などに出てくる「郊外」というもののイメージはイマイチ、それが明治末期から昭和の初頭にかけての郊外の開発の変遷を辿ることにより、先述の「田園調布に…」を生むまでになってきたということを知る。
京都というところはまさに「保全・再生・創造」を繰り返してきたまちなんだなぁと再認識。
都心vs.郊外の評価は、時代やさまざまな要因で変わっているもんなんや、ということを再認識すると、今日のお題、「「魅力的な住宅地開発」として後世に評価されるには、どのような要件が必要だと考えますか」は、迷宮入りしてしまいそう。。。
ライフスタイルが変われば都心部と郊外に対する評価も変わるだろうし、行政施策などで評価を誘導することだって可能だろう。だけど、できるだけ多くの人が「魅力的な住宅って、まちってどんなんかな?」って考えたり意見を交わしたりするきっかけが増えれば、後に評価が変わろうとも、その時代やライフスタイルにとってベスト、ベターな住宅、まちを創り出すことができるんだろうな。
「都市居住のあり方に正解はない」「当時、都心から人が出て行ったところの理想像で郊外住宅の原点に戻る」というのも、「これからの京都のまちづくりを考えるきっかけになると思う」という石田先生のお言葉。
そう思う。
嗚呼!東山は!?