嗚呼!京都

「嗚呼!東山」としてスタート。いまは、「京都」にかかわるできごと・見聞録をボチボチときろく。

田園調布に家が建つ!?

2005-10-22 | 関連記事
景観・まちづくりセンターまちづくり史セミナー。今日は「郊外の開発はなぜ行われたか」というテーマで京都工芸繊維大学で近代建築史をご専門とされているという石田潤一郎教授のお話を聞くことができた。

「「田園調布に家が建つ」というギャグがあったけど、郊外がいいところっていうイメージはそんなに古い歴史があるわけではないんです」ということばに、京都と大阪の中間にあるいわゆるベッドタウンみたいなところで生まれ育った私の聞く耳はガッシリとつかまってしまった。

明治時代に数々の小説などに出てくる「郊外」というもののイメージはイマイチ、それが明治末期から昭和の初頭にかけての郊外の開発の変遷を辿ることにより、先述の「田園調布に…」を生むまでになってきたということを知る。

京都というところはまさに「保全・再生・創造」を繰り返してきたまちなんだなぁと再認識。

都心vs.郊外の評価は、時代やさまざまな要因で変わっているもんなんや、ということを再認識すると、今日のお題、「「魅力的な住宅地開発」として後世に評価されるには、どのような要件が必要だと考えますか」は、迷宮入りしてしまいそう。。。

ライフスタイルが変われば都心部と郊外に対する評価も変わるだろうし、行政施策などで評価を誘導することだって可能だろう。だけど、できるだけ多くの人が「魅力的な住宅って、まちってどんなんかな?」って考えたり意見を交わしたりするきっかけが増えれば、後に評価が変わろうとも、その時代やライフスタイルにとってベスト、ベターな住宅、まちを創り出すことができるんだろうな。

「都市居住のあり方に正解はない」「当時、都心から人が出て行ったところの理想像で郊外住宅の原点に戻る」というのも、「これからの京都のまちづくりを考えるきっかけになると思う」という石田先生のお言葉。

そう思う。

嗚呼!東山は!?


時代祭の日の東山の一面

2005-10-22 | 歳時記
東山区だって時代祭は通るやん!と、東山の時代祭の日の様子を見に三条通を東へと歩き出した。

御池通や河原町通はすごい人出だったが、川端通を越えると、観光客の姿も比較的少なくなっていた。


沿道には、自分の家から出してきた、といわんばかりのいすが並べられていてそこでぼっちらぼっちらと世間話をしているおばちゃんとかがいる。
 

当分来ぃひんし~と行列の来る道路におしりを向けておしゃべりに興じている人たちもいる。


行列を待ちくたびれて、来るまで近くの大将軍神社に行ってみようと歩いているうちに東西南北がわからなくなって、迷子になって道を尋ねるおばちゃんもいた。

さすがに三条通と神宮道の交わるあたりでは観光客らしき人もまた増えていた。


御池通や河原町通と少しちがうな、と思ったのは、「うちの近所でお祭り行列あるし、来てますねん」という雰囲気がこのあたりには漂っていたこと。

そういえば、沿道で売っていたパンフレットによると、時代祭の行列は「京都市民で組織される崇敬団体平安講社は市域を10地区に分けた10社で構成され、各社がそれぞれ1時代を分担して行列に参加します。」とある。

ちなみに東山区は山科区とともに第五社として安土桃山時代の織田公上洛列の担当となっている。この分担は毎年変わるのだろうか?ず~っとこの列担当なのかしら?

そして驚いたことに、「行列毎に、責任を受け持つ学区が定められ、市の全地域が何れかの行列に所属して交代に奉仕する習しになっており、祭礼の経費も各戸から集める奉賛金が主たる財源となっています。この制度は九十余年前から長い伝統となって今も厳然と守られておるのであります」とある。

そしてまたまた驚いたことに、「時代祭行列の変遷」の項には「明治三十年頃から祭礼費調達のために募金も始められており、市内各区から戸数に応じ、表家二銭・裏家一銭五厘の割にて醵出を依頼することとなった」とある。

戦争で中断したり、参加する列の数が増えたり、電車軌道の敷設や橋の完成といった都市の基盤工事によって行列コースが変わったり、と変遷しながらも、百余年の京都というまちの発展とともに歩んできたこの行列の歴史こそが、時代祭の時代祭たる所以なのかもしれない。

結局、行列に出会うことはなかってけど、来年の時代祭は日曜日。三条通の東の方で敷物か折りたたみイスでも持って行って、じっくりと行列を眺めてみようと思った。

ちなみに、この日の昼間、東大路通の三条通より南行きは、信じられないくらいスムーズに交通が流れていた。


OH!シュール!「二十五菩薩お練り供養」

2005-10-16 | 歳時記
10余年前から公益社の広告などで目にしてそのシュールな雰囲気が気になっていた「二十五菩薩お練り供養」
毎年10月第3日曜日に供養が営まれると知り、行ってきた。

泉涌寺塔頭、即成院の境内。
本番間近の舞台裏。

釈迦堂をあの世、地蔵堂を現世に例え、この日のために架けられた橋の上をお稚児さんたちによる献花・献供の後、二十五体の菩薩様が練り歩かれる。うち二体は「練り踊られて」いた!
 

パンフレットによれば、浄土信仰が盛んだった10世紀から12世紀、阿弥陀如来に救っていただき浄土に行くことが人々の切なる願いだったという。臨終に際して阿弥陀如来は二十五菩薩とともに迎えに来て、極楽浄土に導いてくれるという。

わたしなんかは臨終に際しこんな賑やかに導いてもらえたら、嬉しくって生き返ってしまうかも、なんて不謹慎なことを考えてしまう(コラッ!)。

思ったとおりのシュールさを目の当たりにできて満足の一日だった。

春と秋には「洛東遺芳館」へ

2005-10-16 | Weblog

いっけん南国風の外観、ここが「洛東遺芳館」

運良く、というか毎年春と秋に公開されているが今回のテーマは「龍虎図とかるた展」。この展示物、すべて柏屋の江戸時代からの伝承品だという。円山応挙の虎図などもある。

柏屋といえば、江戸時代に呉服屋番付で大関(当時は最高位)になるほどの財力を誇った江戸店持京商人。呉服のほかに漆や紙も扱っていたという。江戸時代の東山を語る上でなくてはならない豪商である。

「史料 京都の歴史 東山区」(平凡社)によれば「豊かな財力をもって江戸後期には周辺町々の窮迫する財政に援助を惜しまず、鴨川の川かえ費用の融通や禁裏御所造営費の献納など、地元とのつながりを大切にした京都商人の生き方を示している。」のだという。

屋敷にも入らせていただける。今はもうどなたも住んでいないのだが、外観より広い内部に開け放たれているにもかかわらず迷子になりそう。

今の敷地は当時の3分の2ほどになっているが、当時の屋敷の様子はなんと京都府京都文化博物館の常設展示でミニチュア模型化されているので見ることができるそうだ。

ちなみにこの柏屋さん、明治期終わり頃には東京に本拠を移し、現在は営業主力を紙において、柏原紙商事(株)として盛業中です。(同館入場券裏書きより)

東山を語る上でなくてはならない。。。。あれ?でも住所表示はまたもや下京区!


時を超えその偉業を思い知らせてくれる、まさに洛東の遺芳の館、また訪れてみたい。

北座ぎをん思いで博物館

2005-10-15 | Weblog

2005年10月の南座と菊水が見えた。

北座ぎをん思いで博物館に行ってきた。先日、職場で昔の新聞スクラップ記事をめくっていたときに見つけた北座の5階にあるという博物館。

エレベーターを降りたら、暗いフロアー。びっくりしたが、受付のおじさんがすぐに「電気つけますね~」といって付けてくださった。

えええ~そんなにお客さん少ないの??って思ったが、ま、今日は雨だし、それに、3年前にあの新聞記事をみていなかったら京都の中にいる人の方が知らないだろうと思った。観光ガイドブックにはのってる可能性があるけど。

中は、
「四条河原の賑わいから現代まで」
「祗園を愛した歌人たち」
「伝統的髪型展示」
「溝縁ひろし写真展」
などなどが常設展示されている。

芸舞妓さんのTPOに合わせた髪の結い方の紹介や祇園の芸舞妓さんをテーマにした写真展,図会や写真による祇園や四条界わいの変遷の紹介などなど。明治26年まであった「北」座があっての「南」座なんだなぁと認識。当時の様子に思いをはせてみる。

ひとつひとつにおじさんが説明をしてくださった。祗園の今昔を知り尽くしておられる、というわけではないが、「おどりでは、戦時中は練習ができなくてレコードに合わせて舞っていたこともありましたよ」。ときにご自分の体験なども交えお話してくださる。
「祗園にはよく行かれましたか?」と尋ねるとふふふと笑って「入社式が祗園でありました」とおっしゃった。今でもそういうところあるのかしらん?

途中から交代したおじさんからは、この博物館は採算度外視で井筒八ツ橋のえらいさんがこの界隈の賑わいの今昔を今に伝えたいとの思いで開いているというお話をお聞きした。
あ、だから「思い出」じゃなくて「思いで」?なんて心の中でつっこみを入れてみる。。。(採算度外視だけどお客さんのいないときには電気代も節約。すばらしい!)

このビルには井筒八ツ橋のほか、芸舞妓さんたちがよく買い物に来られるという化粧品やさんもある。

「またゆっくり来てくださいね」と言っていただいて「はーい」と答えたように、ここには寄贈のあった京都本をゆっくりと見ることができるソファまであった。

またゆっくり来よう。

雨の日に、祗園に思いを馳せることのできる場所をみつけることができてラッキーな気分。

 

雨の日の退耕庵

2005-10-10 | Weblog
普段なかなか訪れることのできない社寺を巡ることのできるイベントがあり、東山区南部にある東福寺塔頭、退耕庵を訪れる機会を得た。

あいにくの雨の土曜日であったが、始めて訪れた退耕庵は見所いっぱいであった。

鳥羽・伏見の戦いで長州藩の屯所となり、その戦没者の菩提所として知られるほか、小野小町百歳の像などもある。
また、豊臣秀吉の没後、石田三成たちが徳川討伐の軍略を巡らしたといわれている作夢軒という茶室には伏侍の間など独特なものもある。
日露戦争の折にはロシア人捕虜の収容場所にもなっていたという(縁にそのときに捕虜がつけた煙草の火の痕が残っていた)。

数多くの見所の中で、最も心奪われたのが、庭。
大きな庭が2つあるのだが、その一つは、中国西湖をイメージしたもの。もう一つは中国の雄大な大地と山々に思いを馳せて造られたもの。
いずれも、これまでに訪れた庭園にはない個性を感じた。

私は庭の見方などよく知らないのだが、こんなにこの庭を良いと思ったのは、「雨の日」に見たからかもしれない、という気がしている。
自然を巧みに取り入れて造られた人工の庭を自然に帰す魔法のエッセンスが「雨」だったのかもしれない。

同じものでも見るタイミングや角度が違えば違ったものに見えるということに改めて気づかされた一日であった。




「さゆり」がいたまち

2005-10-04 | Weblog
「さゆり」(上・下)(アーサー・ゴールデン著、小川高義訳 文春文庫)が面白いと聞いて読んでみた。


どん底の生活から舞妓、芸妓となった女性が後年、回想の中で繰り広げる昭和初期の女と男と祗園と社会の物語。

祗園は職場から歩いていけるところにある。

今の祗園の風景をセピア色にして車やバスや人通りを少なくして、道路の舗装を取り払い、中途半端な高さのビルを取り除き、という作業を頭の中でしながら、「あのあたりにさゆりの屋形があったんかな?」とか「どこのうどん屋さんのことやろ?」とか「あの道でこの会話がされていたんかな?」などと思いを巡らしながら読んでいけたこと。

今でも通勤途中に寄り道して登場人物の「豆葉」や「初桃」といった表札がどこかにかかってないかしらん?と探してしまう。(フィクションってわかっているのに)

作品の舞台となった祗園のまちの変遷をしばらくは楽しめそうだ。

人や土地の持つ独自のいきさつがなにかのきっかけで人の五感に受け止められたとき、それがあらゆる方面に次のいきさつを創り出す力に換えられるもんなんやなぁ、と得心。

※関連情報

 ・財団法人京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)について

 ・「五花街案内」思わぬ波紋 (京都新聞1999年11月19日の記事)

 ・京都市事務事業評価票(花街伝統伎芸保存・育成、平成15年度)

 ・京都府事務事業評価調書(伝統伎芸振興支援助成費、平成16年度) 







景色の見方

2005-10-01 | Weblog
東山に来て、半年が経とうとしている。ここは有数の観光地を有する地域であるが、五条通より南部は相対的に注目度が低い。実際、私もつい職場のある五条以北のにばかり目がいってしまう。

でも、先日、そのことを改めるきっかけを与えてくれたものに出会った。

 


これ、泉涌寺の近くの音羽屋さんというお店の包装紙(部分)


そこには、泉涌寺八景というのも印刷されていた。

【泉涌寺八景】
 愛嶺堆雪(あいれいたいせつ) 愛宕山につもった雪
 鴨川長流(かもがわちょうりゅう) 鴨川の流れ
 圓通弧月(えんつうこげつ) 鳥部野にかかった月
 熊村炊烟(ゆうそんすいえん) 今熊野村のかまどの煙
 亀山落日(かめやまらくじつ) 嵐山(西山)の夕日
 恵日幽鐘(えにちゆうしょう) 東福寺の鐘
 音羽閑雲(おとばかんうん) 清水音羽山(東山)の空に静かにたなびく雲
 羅刹残雪(らせつざんせつ) 羅刹谷(大門前西側の谷)の残雪

この八景、イメージするに、見て聞いて感じるこころを持ち合わせていたなら、すごく贅沢な気持ちになれるだろうと思う。

ところでなんで「八景」なのかな?「八」は末広がりってことでいろんな方向ってこと?なんて思いながらネットで検索したら、出た。
(独)国立環境研究所 社会環境システム研究領域のホームページ
日本に伝わった景色の見方“八景”

ちなみに、このホームページに挙げられている京都府内の八景(十景)は次のとおり。

修学院八景、城北市原山八景、洛西嵯峨八景、稲荷山八景、東山泉涌寺八景、洛陽十景東山十景、清水十景、紫雲山十景、愛宕十景、修学院御苑十景、醍醐十景(京都市):田邊八景(鶴舞市):綾部八景、由良川八景(綾部市):宇治八景(宇治市):宮津八景(宮津市):青谷八景(城陽市):大住十景、常光山八景(田辺市):須知八景(丹波町)

秋の行楽シーズンがやってくる。有名でなくてもいい、ひっそりと「My東山八景2005」探しもいいな。

※関連情報
 ・音羽屋さんのホームページ
 「お店の近くでの行事」という情報が、地域密着っぽくてステキ。

 ・独立法人国立環境研究所のホームページ