嗚呼!京都

「嗚呼!東山」としてスタート。いまは、「京都」にかかわるできごと・見聞録をボチボチときろく。

「龍馬の翔けた時代」

2005-08-25 | Weblog
京都国立博物館開催中の展覧会

坂本龍馬といえば、幕末維新というこの国のベクトルが大きく変わる節目に黒子として活躍した人。展覧会は、龍馬誕生から今年が170年目であることを記念して開催されているもの。
どのような時代背景のもとで、坂本龍馬という人が誰と出会い、いかに考え、行動していたのかということを、同時代に活躍した画家の作品や市井にまかれた瓦版、そして龍馬が親しい人に宛てた手紙などからあぶり出そうとしている。
龍馬が殺されたのは、慶応3(1867)年、大政奉還のひと月後である。
私にとっては、わずか33年という短い生涯に龍馬が為した功績がいかに素晴らしかったかというよりかは、後世に名を残した1人の男の、世の中をよくしたいという素朴な思いの強さと思いを行動で示す力というところが魅力的。今なお龍馬ファンが絶えないわけがわかるような気がした。

■ちなみに1
会場となった京都国立博物館、維新後の廃仏毀釈 の影響により多くの宝物類が破損消滅の危険にさらされる中、国におる保護施設設置の要望が高まり、明治21年、政府に臨時全国宝物取調局が設置されたのに続いて、22年に宮内省が国立博物館の設置(東京、京都、奈良)に踏み出したという経過がある。
「京都国立博物館70年史」には、「…周辺は三十三間堂、養源院、方広寺大仏殿、馬塚、豊国神社、智積院、豊国廟、妙法院新日吉社などの史蹟に取り囲まれ、京都市の東南部における観光の一中心地を形成している。…」とある。(周辺マップ

博物館からごくごく近い妙法院といえば、「文久三年八月の政変」ときってもきれないところ。薩摩藩と京都守護職の会津藩とが中心となり、兵力を背景にして過激な尊皇攘夷を唱える長州系公卿の参内停止と長州藩の御門警備からの排除を断行した。このとき、宮中から締め出された三条実美らの公卿と長州藩士らは妙法院に集まって善後策を協議、いったん長州へ逃れることを決め、8月19日に京都を撤退した、という話。蓑笠を着て雨の中を落ちのびる七卿の姿は、明治時代以降、歴史画の画題となり、数多く描かれてきたという。(図録より)
展覧会でも、「七卿落図」(下関市立美術館)、「梨堂公絵巻」(梨木神社)を見ることができた。
面白い。西洋画で聖書や神話の中で好んで描かれるテーマというのはよくある。日本の近代で描かれたこのテーマ、何が描く人の心をとらえたのか、を考えると面白い。

■ちなみに2
この西国落ちの文久3(1863)年8月19日に龍馬が親戚に宛てて書いた手紙も展示されていた。
「私は攘夷戦争でいつ死ぬかわからない。また機会があれば外国へ行くこともあるだろう。だから私を跡継ぎとして期待していると坂本家は大変なことになりますよ。(後略)」という意味のことが記されている。(図録より)

歴史を揺さぶる大事件が起こった同じ日の人々の生活や思いがどんなもんだったかを知るのに、今ならブログが大活躍するだろう。でも、後世、書かれた手紙や絵画をみて「ほう!」と思える感覚は、アナログ情報ならではやな、とも思う。


この展覧会、8月28日(日)まで。もういっぺん行けるか!?

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